謁見1
この奇妙な建物の周囲も、樹木は立ち枯れ、下草は干からびている。所々緑色も見えるが、大部分は枯れ草だ。
「これ、わざとだよね」碧旋が下草に顔を近づけて言った。
一帯が荒れ果てているのは、故意ということだろうか。後宮が広く手が回らないというわけではないのか。
この王宮は初代王が構えたもので、とにかく広い。各省庁も王宮に含まれているので当然なのだが。
初代王の時は、統一された国のあちこちから各部族の長の姫が妃として入内して、現在の制度よりも遥かに人数が多かった。こちらの部族の娘を受け入れて、あちらの部族の姪を拒むわけにはいかない状況だったのだろう。その当時は50人くらいの妃が後宮で暮らしていたと言う。
だから後宮はかなり縮小されている。当然、外周の城壁近くの建物から使われなくなっていったのだろう。北東の一角はあまり縁起がよくないという迷信がある。この方角に門や扉、窓は作らないほうが良いと言われている。この一帯はその方角に相当する。
一般に縁起が悪いと言われていても、何も建てないのは土地が勿体ない。よくあるのはあまり窓の必要がない倉庫を作ることだ。
「そうだな、ここには木を植えたりしてはならないことになっている。茂みも禁止だ。手入れしないだけでは雑草が生えるので、熱湯を撒いたり、薬を撒いたりしている」昇陽王子の答えに驚いて足が止まる。そこまでのことをしているとは思わなかった。
「何の薬です?」盛墨が恐る恐る聞く。「重曹だとかだ。人体に影響するようなものじゃない」
「しかし、何のためにそこまでするんです?」劉慎が不審の念を隠そうともしないで呟いた。
昇陽王子は無言で、塔に向かって足を進める。当然関路はそれについて行く。
乗月王子は碧旋にちらっと視線を投げて、弱々しく笑う。「行きましょう」乗月王子が碧旋に手を差し出す。碧旋はちらっとその手を見て、「遠慮しておく」と言って歩き去る。
乗月王子は差し出した手を見つめた後、手を下ろして碧旋の後を追う。その傍らに扶奏が付き添う。
思わず夏瑚と劉慎が顔を見合わせた。その後、ふと視線を感じて斜め前を向くと、盛容と盛墨も目を見合わせ、次いでこちらを見た。
乗月王子は結構本気らしい。あの仕草は配偶者や恋人に付き添う時の仕草だ。気に入っているのはわかったいたが、まだ成人しておらず、しかも女性になる保証のない相手に、好意を匂わすような行動を取るとは意外だった。
その感想は夏瑚だけでなく、3人も同じだったようだ。案外、碧旋本人もそう思っているかもしれない。
乗月王子の行動に気を取られていて、塔への注意がおろそかになっていた。
気がつくと、碧旋が立ち止まって周囲を見回し、数か所に目を止めてから少し体を揺すってから再び歩き出した。
夏瑚は碧旋が何を見たのだろうと思って、その視線の的を探した。
立ち枯れた木立の傍らに人が一人、佇んでいた。くすんだ緑色の服を着ていて、手甲をつけている。
塔の壁の傍らにも一人、同じような服装の人間が少し俯き加減の姿勢で立っている。
既に乗月王子は塔の中へ入り、階段を上っていた。夏瑚は仕方なく劉慎たちと塔へ向かう。塔の傍らに佇む男に小さく礼をして、階段を上り始める。
階段を上り切ったところにも一人、男が立っている。こちらは略式の鎧を着こんでいる。顔は剥き出しで、これも略式だからこそだろう。しかし、腰には半月刀を佩き、右手に槍を構えている。すぐに槍を繰り出せる姿勢だ。
いわば臨戦態勢の武人がいることに内心びくびくしながら、昇陽王子がどこにいるのか探す。
もう一つの塔へ延びる通路は、左右の壁に銃眼が設けられていれば、城壁の巡視路に似ている。しかし銃眼はなく、通路を守るはずの壁は腰よりも低い。側壁が低いので見通しはよく、通路の中ほどに昇陽王子が膝をついているのが見えた。
昇陽王子の向こうに、人影が見える。跪く昇陽王子のすぐ隣に、乗月王子が辿り着き、同じ姿勢を取った。護衛の関路は王子から数歩下がったところで佇んでいる。その立ち方は階段傍の男と同じだ。
さらに両王子から離れて扶奏が跪いて俯いている。これはまずい。扶奏のすぐ後ろに立って碧旋の後ろ姿が見えた。それもまずい。
慌てて夏瑚はその場で蹲った。劉慎もそれに倣う。劉慎は夏瑚ほど動揺はしていなかった。もっと間近で挨拶したこともあったからだ。後宮の片隅で会うのは違和感があるが、私的な場であるということだろう。
ここへ誘導したのは昇陽王子だ。不意打ちであることからも、それほど礼儀作法に目くじらを立てるとは思わない。
それでも棒立ちになっている碧旋ほど、傍若無人にはなれないが。
親族でもある盛容と盛墨はすいすいと歩いて行った。扶奏の傍らを通り過ぎ、両王子の後ろで片膝をつく。その動作は物慣れていて、顔は真直ぐその人物に向けられていた。盛容が口を開いた。
「ご機嫌麗しく。お久しぶりです。、大伯父上」相手はゆるゆると頷き、「楽にせよ。ここには我々しかおらん。遠慮は無用だ」と告げた。