学園の謎4
「夏瑚」劉慎の呼びかけは思わず零れたものだった。
海州は貴族としての夏瑚とは最早関係がない。その内政に批判的なことを述べれば、いささか角が立つ。もちろん学生間の論議の場でのことだから、公にはされないはずだ。
「そう言われると気にはなるが」それまで黙っていた昇陽王子が呟く。「どの程度検証できるものかな」と首を傾げる。
実際の現状を、現地に赴いて検証するのは、それぞれ自分の親が治める領地だから可能なことだ。関田爵の屋敷に赴いたのも、昇陽王子の側近が関路であるから可能だったのだ。領主が領地に持つ権力は大きい。領主の許可なく、あれこれ首を突っ込むことは難しいだろう。
「海州を論科の題材とするのは難しいでしょう。距離も一番遠いと存じますし、海州のご領主に交渉するのは難事です」劉慎の声はきっぱりとしていた。
「では、羅州に相応しい題材があるか?」「探します」昇陽王子の言葉に劉慎が間髪入れずに返す。
昇陽王子が口の端を歪めて黙ると、乗月王子が「銅鑼島には、題材になるような問題は思いつくかな?」と碧旋のほうへ会話を振った。
「銅鑼島は問題だらけだ」碧旋はにっこりする。「売るほどあるよ。でも、過疎とは無縁の地でね。傍迷惑な人間が次から次へと登場するからな」
「そうなのか。何だか楽しそうだね。出来たら、いつか行ってみたいものだ」乗月王子がしみじみと言う。「ま、無理だろうね」碧旋は肩をすくめた。「王族がくるとこじゃないし、お付きの面々が反対するだろうさ。何せ、『賊の島』だからね」
「外交の島です」盛墨が横手から勢いよく割り込む。「人材も豊富と聞いています。私は海に馴染みがないので、一度海に行ってみたいと思っているのです。それに外の国のことも知りたいのです」
「迎賓館はないよ」と碧旋が手を振り、「来るならそれなりの準備が必要だ。それに論科での議題とはずれるから、別の機会だな」
「そうだな、次の訪問地を考えねばな。乗月、候補はあるか?」「ございます」扶奏が申し出る。「盛墨はどうだ。次の候補地はないか?」昇陽王子の言葉に、盛墨は大きくうなづいた。
「題材と完全に一致しているか自信はないんですけれど、一つ、馬州にとっての懸案事項があります。領地の人口や活性化とも無関係ではないと存じます」
「では、扶奏、盛墨、資料を提出してくれ。検討したい」「畏まりました」
夏瑚は安堵と落胆の思いを一人味わっていた。海州の問題を開陳すべきだったとも思う。王族に訴える機会など、そうそうない。海州の問題は、偉華の問題だと夏瑚は思っている。王と連なる者たちは、偉華の問題を知るべきだ。
一方で、直訴によって生じる災厄から逃れたことに安堵している。下手すれば、王族の不興を買うかもしれない。その結果がどうなるのか、学園を退学させられるのか、養子縁組の解消か、不敬罪か。昇陽王子も乗月王子も、安易に権力を行使する人間ではないし、問題を訴えたことだけで罪に問うような行動には出ないとは思うが、少なくとも劉慎の精神は削られ、嘆かれることになるだろう。わかってはいるが、なかなかうまくいっていると思う義理の兄との関係を無下にするのは心が痛んだ。
「さて、解散してもよいが、盛墨、碧旋。二人で騒いでいた理由について、説明してもらえるか?隠し部屋があるとか」昇陽王子の散会の挨拶は、かなり奇妙なものだった。
確かに今朝盛墨は中庭で建物を測っていたし、旅に出る前、碧旋は何度かいなくなっていた。顧敬侯子が探し回っていたが、学園内からは出ていないという話だった。思い返してみると、隠し部屋があったということだろうか?
「ええ、是非」盛墨は嬉しそうだ。盛墨は席を立ち、昇陽王子のところまで行って、「これが計測値なんです。碧旋殿が見つけた部屋は東側の校舎ですが、西、南、北、にもそれぞれ隠し部屋を疑う数値があるんです」
昇陽王子は盛墨と一緒に歩き出す。盛容と関路がその後に続く。
「まず、碧旋が見つけた部屋を見たい」昇陽王子が碧旋を見る。「いいけど、弓弦が要る」碧旋が答えると、昇陽王子が頷く。碧旋はちょっと肩を竦めて、部屋から一人出て行く。
「学園に隠し部屋など、あるのですか?」乗月王子が首を傾げる。「碧旋達によれば、な。この後乗月には予定があるのか?」「ございますが、まだ時間に余裕はあるのでご一緒しても?」「もちろん」両王子が連れ立って進み、中央に昇陽王子を挟んで、盛墨がほぼ並んで部屋を出て行く。
夏瑚と劉慎は特に誘われていない。誘われていないのについて行くのも図々しい。隠し部屋、という響きには魅力を感じるが、同時に危うさも感じる。下手に近づかないほうがいいかもしれない。
「では、私共は失礼を」「そなたらも参れ」夏瑚の挨拶は昇陽王子にいとも容易くぶった切られた。「畏まりました」劉慎が恭しく答える。劉慎は夏瑚よりも態度を取り繕うのがうまいが、より丁寧になるときは、内心を隠そうとしていることが多い。隠している感情が何かはわからないけれど、今も隠しているはずだ。