夏瑚の踊り1
いつもなら碧旋の周りには護衛たちがいた。
馬が合うらしく、旅の間、学生の夏瑚たちとではなく、ずっと護衛たちといた。両王子は学生でも自分の護衛と側近と共にいたが、夏瑚、盛墨、劉慎は夏瑚の馬車の周囲にまとまっていた。それには一応護衛上の必要もあって、護衛対象が固まっていたほうが守りやすいということもあった。
盛容も護衛たちと混ざっていたが、盛墨のところに時々戻り、食事も一緒にとったりしていた。
人脈を築くという意味では、碧旋の行動には疑問符がつく。護衛と親しくするのに意味がないとは言わないが、ずっと一緒にいる必要はない。盛容のように、学生たちとも交流すべきだろう。
乗月王子は時折、遠くに見える碧旋を見ているようだ。王子の関心は本物のようで、もし王族に嫁ぐことが目的ならば、既にいい仕事をしたことになる。
それらのことが碧旋にわかっていないはずはない。とすると、碧旋の目的は別のところにあるのだろう。顧敬との諍いも本心からであるならば、何が目的なのか?
碧旋に声を掛ける護衛はいるものの、いつもと違って、碧旋の表情が暗く、結局遠巻きにされている。
夏瑚はそこへゆっくりと歩いていく。姫祥はついてくるが、特に何か言うことはない。
「食が進まないようですね」夏瑚の声に、碧旋は顔を上げる。手には茶碗を持ち、傍の地面にまだ肉と胡瓜を巻いた餅が半分ほど残った皿が置かれている。
「心配をかけて悪いな」碧旋は弱々しく笑う。夏瑚が長衣の裾を少し掲げると、姫祥が小脇に挟んでいた小さな敷物をさっと広げてくれた。
敷物の上に夏瑚が座ると、碧旋の目が微かに緩む。「令嬢とは地べたに直接座らないものなんだな」と感心したように言う。
「付け焼刃の令嬢ですけどね」と返すと、「いや、立派な淑女だ。無駄に気取ったところがない分、上品だよ」と褒めてくれた。真面目な顔で、落ち着いた調子で言われるたので、本当に褒められているようだ。
「まだ、落ち込んでいらっしゃるの?」と聞くと、「直球だな」と笑う。落ち込んではいるが、余裕がないほどではない。「私が追い返したようなものだからな。ちょっとやり過ぎた。顧敬が戻ってくれば、話し合うつもりだったんだが、まさか行方不明とは」
一人称が「私」になっている。それに、初対面の時の大袈裟な身振りもない。碧旋も初顔合わせでいろいろ演じていたということだろうか。
「まあ、やっちまったものは仕方ありませんわ」と言うと、「うん」と素直に頷き、項垂れた。
まるで飼い主に叱られた犬のようだ。そういう態度に出られると、容姿も相まって同情する気持ちがむくむくと湧く。これは危ない。
乗月王子の気持ちもわかるような気がする。放っておけないのだ。
碧旋はとても中性的なので、恋愛感情かと問われれば、疑問にも感じる。振る舞いはやや男性的だから、女性の夏瑚が恋愛対象と見ることもできなくはない。
乗月王子は、碧旋を女性と感じているのだろうか?
夏瑚は定まらない自分の感情を持て余す。どう振舞うべきだろう?
そもそもは人脈づくりの一環であり、情報収集の一手であったのに、今はただ目の前の幼い顔つきの人物にどう接したらいいか、考えあぐねている。
つい、手が出てその頭頂部をするすると撫でてしまった。
昇陽王子と乗月王子が統率した学生の一行は、無事に学園に戻ってきた。
人員が一人増えていたが、そこは問題はない。男爵家の使者に伝言はしているが、乗月王子は学園から正式に王族の護衛として召し上げたことを通知することにしている。乗月王子は男爵家にとっては一応派閥の旗頭であり、正式に通知することで、余計な問題は避けられるはずだ。
学園に到着した一行は、前庭で解散し、護衛たちの大半は休みをもらい散っていった。沈も乗月王子付きの護衛団の詰め所へ案内され、宿舎に部屋をもらって、簡単な研修を受ける予定になっている。
夏瑚は姫祥を引き連れて、自室へ引き上げる。劉慎は夏瑚と自分たちの荷物を受け取り、寮人に振り分けて処分・収納するように指示を出すために、前庭に残った。扶奏と盛容も自分たちの荷物の差配に残っている。
昇陽王子はいったん学園長のところへ挨拶に行き、必要な手続きを済ませるとのことだ。
碧旋は一人、自分の小さな手荷物を持って、さっさと自室に引き上げてしまった。
本当に美人とは恐ろしいものだ。一定の警戒心を持って相手をしているつもりだったのだが、気持ちがどんどん碧旋に対して甘くなっていくのがわかった。他の人と同じ悪事を働いても、碧旋には厳しい罰を下せそうにない危うさを感じる。
流石に夏瑚も、自室に戻ると疲れが出てきた。待っていた侍女と姫祥を交代させ、姫祥には休みを取らせる。まず入浴を済ませると、全身が気怠く、眠気が襲ってきた。
劉慎が、入浴の間に夏瑚の荷物を運んできてくれていた。今日はゆっくり休むように、という伝言を残して。
田爵宅での宴で踊ってから、なんとなく劉慎の態度が違っているような気がする。変わったとまでは言わないが、劉慎にはあの踊りが引っ掛かっているのは間違いなさそうだ。
貴族の令嬢としては、はしたない行動、ということだろう。
貴族の令嬢としての教養は、舞・踊りの修練を要求する。だが、令嬢としての舞・踊りは、あくまで神などに捧げる神聖なものとしてあるべきであり、人間の、それも酒を飲むような騒ぎの中で行うものではない。一歩間違えば、それは娼婦の行動と受け取られかねない。