顧侯子の行方2
「顧侯子が?」盛墨が目を丸くする。夏瑚も思わず口が空いてしまい、急いで扇で口元を隠す。もちろん口は閉じるが、扇を広げたり軽く揺らしたりすることで、視線を逸らすことができるのだ。これぞ令嬢の技なのだ。
「顧敬は実家に戻ったのではなかったのか?」盛容の声もちょっと割れている。
「戻ったそうだ。一晩だけ実家に泊まり、学園に戻るはずだったが、学園にはいまだ現れていない。学園にも侯爵家にも連絡がない」昇陽王子は、夏瑚たちを見回す。
「顧家で捜索に取り掛かると聞いている。彼は公職には就いていないし、正学生でもないため、学園や宮廷が関わる案件ではない。顧家に助力を乞われれば、力を貸すことは可能だが、まだその段階でもない」
「碧旋はそうもいかないだろう」盛容が思案顔で腕を組む。「一応、顧家の養子だ。それで自分も探しに行くって?」「そういうことだ」
「ええと、瓶淀山と言うと」夏瑚が独り言ちていると、「地図があるよ」盛墨が勢い込んで言い、自分の荷物を載せた馬の方へ駆けて行った。すぐに走って戻ってくると、折りたたんだ紙を高々と掲げた。劉慎と姫祥が卓上の茶碗を片付け、扶奏が組み立てた折り畳みの小机の上に載せた。
盛容が広げた地図は、かなり詳しいものだった。この手の地図は平民では手に入らない。貴族でも、自分の領地以外の地図を手に入れるのは難しい。
「これ、入学祝いに陛下に頂いたものだよ」自慢げに盛墨が言う。「この縮尺のものは珍しいんだ。陛下にお声がけいただいたから、畿州も宇州も王家直轄地の甘州もかなり詳細になっているんだ」
確かに州によって表示されている記号や等高を示す線、道を表す線の本数が異なっている。緻密な描写の州と、そうでない州があるようだ。自領の情報を外に出したがらないのが普通だから、盛墨の地図はかなり珍しい。
「瓶淀山はここ」盛墨が地図の中央より右上の一点を指さす。「孔州と馬州、巴州の州境になる」孔州は顧侯爵の領地だ。馬州は盛墨・盛容兄弟の父親馬偉公の領地で、巴州は郭伯爵の治める州だ。
「ここは自由郡なんですね。特殊民族がいるのですか?」地図の記号を読み取って、夏瑚が尋ねる。
偉華の国土は、主に王家の直轄地と貴族領地で成り立っている。しかし、自由地と呼ばれる特殊な土地も存在している。巌河の河口付近の島々や南海諸島、北の霊山山脈、東樹海辺りの自由都市などがそれにあたる。島だったり都市だったりまちまちな形態だが、住民の自治が行われていることが多い。
「そうですよ。ここは女主族の自治区なんです」
思わず声を出しそうになるのを何とかこらえた夏瑚だった。
幼い頃にその話を聞いた時は、てっきりお伽噺だと思った。それが事実だと認識したのは、実は結構最近のことだったりする。入試の勉強の過程で、確認したのだ。
だって、嘘みたいな話だろう。女性しかいない民族なんて。巨人族がいるとか、そういうたぐいの話とばかり思いこんでいた。
生まれたときは皆性別はないから、成人の儀式の際に女性になるようにするのだろうか。男性になりたがる人の方が多いと思っていたが、違うのだろうか?そういう教育でもされるのか?
「なんで女ばっかりなのだろうな?」盛容が心底不思議そうに言う。「成人するとき、男を選ぶと山から追い出されるとは聞いたけれど。残った女だけで、集落の運営ができるのか?治安とか、町の防衛とか、どうなっているのだ?」
盛容の疑問に、盛墨は首をひねる。瓶淀山の標高や自由郡の面積ならわかる。自由郡の正確な人口数や経済規模は公開されていない。政体は合議制で、数年ごとに代表者を選んで議会を運営していると聞く。
集落の構成員は女性が圧倒的だと言う情報はある。しかし男性が全くいないわけではない。盛墨が目にした情報ではそうだった。
「彼女らによれば、男がいないほうが治安は保てるのだそうだ」昇陽王子が淡々と口を出す。
「お?女主族に会ったことがるのか?」盛容が身を乗り出して問う。
「数年ごとの拝謁の儀に、女主族の代表者も上京する。成人前の我々は公式の儀には参加していないが、去年の晩餐会には参加したのでな」「私もです。その席にいたというだけで、質問などはしていませんが」乗月王子も思い出しながら説明する。
「明月は質問してたな。結構しつこく、いろいろと。代表者は30代の女だったが、最後の方は苦笑いしていた」「我慢強く答えていましたね。姉上は女でも政治ができると主張されておられますから、その証拠としても女主族に興味がおありだったのでしょう」
女主族ではもちろん治安部隊も防衛部隊も女性が担っていて、特に問題はないらしい。
集落は基本、女性と未成年者で構成されている。成人の儀式で男性を選ぶと集落の市民権を失い、追放処分となる。物心ついた時から、そういうものだという教育を受けて育つので、その覚悟を持って選択をするようだ。故郷から離れたくない男性は、近くの町に居を移し、そこから女主族と行き来するような仕事を選ぶことが多い。行商人や飛脚、狩人のような仕事だ。