宴5
だから貴族たちと平民たちでは、夏瑚の踊りに対する反応が違う。夏瑚たちが踊っていると、体を動かし始めていた護衛の数人は、誘われたと理解したのだろう、夏瑚たちの動きを真似て踊り始めた。
護衛たちに続いて、周たちも数人、体を動かす。
すると太鼓の音に混じって、弓弦の調べが流れてきた。弓弦の音はどちらかと言うとゆったりとした曲に向いているが、弦をはじくように弾く奏法で速い曲調の物を奏でることもできる。そのやり方で、聞いたことはないものの、明るい印象の旋律を碧旋が演奏していた。いつの間にか太鼓の側に座り込んで、弓弦を奏でている。
夏瑚は感謝の念を込めて微笑んだ。
それから他の論科の面々を見回す。
乗月王子は演奏する碧旋を見ている。昇陽王子も碧旋を見やり、次いで夏瑚を見て、苦笑を漏らした。
叱られるされることはなさそうだ。呆れられたかもしれないが、それで距離ができるならそれでもいい。
盛容と盛墨の二人は、何か話しながらこちらを見て、再び盃を手に取り、こちらに掲げて見せた。
劉慎の姿を探す。どこにいるかわからなかった。
盛容たちから少し離れて、踵を返し、立ち去っていく後ろ姿があった。
一瞬胸の奥がすっと冷える。やはり受け入れられなかったか。
夏瑚は気を取り直して、手を伸ばした。
それに応じて姫祥が夏瑚の手を取る。それでしばらく二人で踊った後、手を離し、夏瑚は周のところへ踊りながら移動する。
姫祥も同じように移動し、護衛の一人の手を取った。
これはさすがに夏瑚にはできない行動だ。婚約者や家族以外の男性の手を取るなど、淑女としては問題がある。本当なら姫祥にもあまり好ましくない。
護衛はこれも劉家の配下で、夏瑚にも馴染みがある。気のいい男だし、一応姫祥が事前に話をしていたようだから勘違いはしないだろう。これを見ている他の男が誤解をしないとは言い切れないのが心配だが。
姫祥はすぐに護衛の手を別の護衛の手に渡す。男同士で手をつなぐことに、周囲から揶揄う声や笑い声が上がるが、ちょっとおどけてしばらく踊ってくれた。
夏瑚は戸惑う周の手を握って、踊ってみせる。振り付けは簡単で、同じ足の動きの繰り返しだ。周は弱弱しく笑顔を浮かべ、なんとか踊り出す。
夏瑚はもう一方の手で、別の周商会の女の手を引いた。「え、あたしも?」びっくりしたのかそう声を上げる。少し酔ってもいるようだ。それほど抵抗なく踊り始めた。
それなりに盛り上がってきたかな、と思い、夏瑚は踊りながら、移動した。
目当ての人物は護衛の中にいた。
夏瑚が手を差し出すと、沈は躊躇った。しかし周囲の護衛たちは沈をひやかし、踊るようにはやし立てた。何せ、この宴自体が、沈が王族に取り立てられたことを祝うものなのだ。少しくらいは人前に立ってもよいだろう。
周囲から押し出されるようにして、沈が夏瑚に手を引かれて歩き出す。踊るというよりは引っ張って行かれる牛のようだ。
夏瑚が向かったのは、周のところだった。
周が息を吞む気配が伝わる。夏瑚は周の空いている方の手に、沈の手を載せて、その場を去った。
姫祥が戻ってきて、夏瑚は姫祥と手をつないだ。
目的は果たした。夏瑚は周のかさついた手を見たとき、農民の手だと思った。周はそもそも農家の子供だ。豪農とはいえ、平民で農家の出には違いない。だから本人はそれほどその手に否定的な思いはないかもしれない。商人の娘で、侯爵の養女となった夏瑚が気の毒に思うのは逆に失礼なことなのかもしれなかった。
それでもこの十年の苦労がその手に表れている気がしたのだ。
出奔してから、沈は周の手には触れていないらしい。
これで何かが変わるということはないだろう。周自身も沈と一緒にいたいのかどうかわからなくなっているように思うし、夏瑚には介入する理由もない。
ただ、沈は周の視線すら避け続けている。せめて最後に、何かの形でこの十年に触れて感じてほしいように思う。
余計なお世話だということはわかっている。
勝手な感傷だ。
「ほんとですよ。何の役にも立たないし、私らにも何の利益にもなりませんよ」姫祥はぶつぶつ言いながら、夏瑚の編んだ髪を解いていった。
二人の手を結び付けた後、しばらくして夏瑚たちは踊りを止めた。
碧旋はもうしばらく護衛たちの要望に応えて、何曲かの流行りの歌などを演奏した。それに合わせて歌ったり踊ったりしていたが、両王子が側近と引き連れて寝所に引き上げると、音楽はやんだ。夏瑚たちもそれに従って宴を後にした。
「そうねえ。姫祥には余計な仕事をさせたわね」「貸しですからね」姫祥は夏瑚の装飾品を一つずつ布に包んでしまっていく。
疲れていたので手早く入浴を済ませ、さっさと床に就く。大量の湯が勿体ないないので、その後姫祥が入浴する。
姫祥が自分の身支度を済ませると、夏瑚はすっかり寝入っていた。姫祥は夏瑚の様子を見て、上掛けを整えた。
「まあ、こっちの借りのほうが、大きいんですけどね」姫祥はそう独り言ちて、枕もとの灯りを持ち、自分の寝台へと向かっていった。