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宴3

 神への挨拶は前振りだ。

 続いて、より早くなる太鼓の音。叩く姫祥も結構大変である。

 夏瑚はそれに合わせて、小さく跳びながら、足の位置を変えていく。

 それを見て、周囲がざわついた。

 跳ぶという振りは結構珍しいのだ。

 基本的に、舞いは神に捧げるものである。拍はゆったりしたものが多く、優雅さを強調するために、仕草は大きく、ゆっくりと行われることが多い。

 跳ぶより、回転が目立つ。


 対して、今夏瑚が踊っているのは、どちらかと言うと、演劇で行われているものだ。

 数少ない娯楽の一つとして、お芝居がある。神話だったり、昔話だったりを人間が演じる。人形を動かして演じる劇もあるが、人間が演じる劇のほうが人気がある。

 そのような劇では、歌を歌ったり、楽器を演奏したり、踊ったりすることが多い。場面の転換の時や、科白や仕草の演技だけではわかりにくいような場面に使われている。


 例えば戦いの場面。鎧兜をまとった兵士たちが勇ましい掛け声とともに、足を踏み鳴らして揃い踏みをしたり。例えば恋に落ちる場面。二人が手を取り合って、同じ振り付けを楽し気に向かい合って踊る。

 元来舞いは神に捧げるものであっても、それを真似て舞う者はいた。直接神とは関係のない宴会や寺院のないような集落での祭りでは、そう言う舞が披露された。

 演劇でも話題になるような演目の踊りは真似された。


 半面、それはいかがわしい一面も持つ。

 「巫女」という言葉は寺院で仕事をする女性を指すが、それには神に捧げる舞手でもあると同時に、結婚して子をなせない者が子を得るための最後の手段でもあった。

 下手すれば女性の命を縮めることになるので、頻繁に行われることではなかったが、有力な信者のために巫女を斡旋する寺院はあった。そのために、舞手と娼婦を混同する風潮があったのだ。


淑女は舞踏は教養として必須とみなされているが、神に捧げる舞を重視し、下品にならないよう、心がける。そのため、ほとんどは古典と呼ばれる舞踏を習得し、そこからはみ出すことはしない。

 自分の感性で、新しい踊りを踊ることは、下手すれば淑女としての自分の評判を下げることにもつながりかねないと考える向きもあるのだ。

 もちろん、平民はそこまで考えない。酒の席で踊ることは避けるし、肌の露出の多い衣装で踊ることも避ける。特に卑猥とされている動作も避けるが、踊ること自体は楽しむし、新しい踊りも自分で即興的に踊ることも厭わない。


 だから護衛たちはそれほど深く考えずに夏瑚の踊りを楽しんだ。酒の席ではあるが、無礼講ではないし、王族がいる席なのでそれほど崩れたものではない。ただ、気楽に楽しませようという夏瑚の思惑だと素直に受け取った。

 周たちも、夏瑚が身分の高い令嬢だということは察しているものの、踊りにそこまでの意味を読み取らない。その可笑しさを感じる夏瑚の踊りの達者さに感心して、喝采する。


 驚いたのは、高位貴族たちだ。

 彼らが見る踊りと言えば古典だ。神事か、伝統的な舞で、何度も見たことのあるもの。舞手は代われども、演目、振り付けは変わらない。年改めの儀では、その年の年神による寿ぎの舞、王族の誕生日なら、祝福の舞。誰が踊っても、段取りは同じ。確かに舞手によって印象は違ったりはするが、それほどの感慨も持たない。

 そういうものだと思っていた。


 淑女としての嗜みだからと、盛墨は舞の練習もしていた。振り付けは覚えられるけれど、自分の動きが、その舞の意味するものに相応しいとは到底思えない。でも、どうすればいいのかがわからない。教師はつけてもらったけれど、「もっと情感をこめて」などと言われても、どうすれば情感がこもるのかわからない。そもそも情感、ってなんだ。

 夏瑚の踊りは古典ではない。だが、そこに込められた感情はよく伝わってくる。これが情感なのだろうか?


 盛容は驚いて、次に感心した。こういう踊りは見たことがない。領地で、収穫祭のような行事の際に、平民の舞手が踊っているのを見たことがあるが、それに似ている。娼婦の舞も見たことがあるが、あれは舞というより、自分の体や動きをいかに魅力的に見せるか、というもので、舞とは呼べないと思っていた。

 平民の踊りは上手かどうかは判断できないが、とにかく楽しそうだった。今の夏瑚の踊りも楽しそうだ。


 扶奏は面食らっている。

 夏瑚は王子の婚約者候補の一人だ。扶奏も真剣に検討していた。控えめな性格がよいとは思っていたが、こんな踊りを踊るとは!

 乗月王子は戸惑っている。その踊りの巧みさは明らかだが、これは頭の固い貴族たちが見れば、格好のねたになる。それがわからないのだろうか?実際、扶奏の渋い表情を見れば、その危惧も妥当だろう。


 関路は眉一つ動かさない。

 そもそも田爵は平民上がりの護衛だ。地位を得てからも、子供である関路の教育は特に貴族としての物ではなかった。武人としての教育を施されたのである。貴族か平民かはあまり関係ない事項が多く、最低限の礼儀作法だけを授かった。踊りについての知識は皆無である。そういう部分は主に任せる。関路としては、舞手が暗殺者でなければどうでもいいのだ。

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