第一の課題の顛末7
上空に旋回する鳥の姿がある。鳴き声はない。徐々に近づいてくるので、その体色が黒いとわかる。烏だろう。
使役される鳥は、何種類かあるが、烏もよく使われる。まず頭がいいので、巡回経路が複雑でも、複数でも覚えることができ、音もいろいろと聞き分けることができる。伝令以外のちょっとした細工、何かを抜き取らせたり、落とさせたり、そういうこともできる。
それに結構強く、他の鳥にはまず負けない。鷹くらいだろうか。犬にもひるまない。
但し、それほど高くは飛ばないし、渡り鳥や鷲などに比べると長距離は苦手だ。そういう場合は使わないのが普通だ。
烏は碧旋が差し上げた手の甲に留まった。
碧旋はその手を下ろしながら、右手で烏の足に着いた筒を解く。摘まみ上げたそれを軽く振ると、烏の方も心得たように、碧旋の頭に乗り移った。
手の中の紙を見ても、碧旋の表情は毛ほども動かなかった。
この二人は一度離れたほうがいい、と夏瑚は思った。
どうもこじれすぎている。夏瑚からすれば、何も話さない沈が悪いとは思うが、周が立ち上げた農園の中で沈は浮いている。他の仲間とも距離があるし、沈自身農作業に向いていなさそうだ。真面目にはやっているようだから、嫌われているわけではないけれど、ああやって碧旋と盛容が連れだしたところを見ると、剣術を使うような仕事の方が向いているのだろう。生きていくためには必ずしも好きな仕事ができるとは限らないけれど、自分はこちらの方が向いているとわかっていて、その仕事に就くことが不可能ではないのに、向いていない仕事を続けるのは苦痛だろう。
周もそれがわかっているのだ。
沈が兵士になるか傭兵になるかすれば、ここにはいられないだろう。周が沈を共にいたければ、この地を離れて、事業を少なくとも一旦は手放さなければならない。
あるいはもっと早くそういう決断をしていれば、二人は離れずに済んだかもしれない。早いうちに結婚するという決断ができていれば、ということではないだろうか。
夏瑚にはなぜそうならなかったのか理解できないが、もう、今更どうしようもないことだ。
ならば、できるだけ穏便な形で別れるのがいいのだと思う。
男爵家の介入がなければ、二人の気持ちが固まるだけでよかった。こうなってしまうと、沈が男爵家に戻らなければ、周やこの農園、周の実家に何か仕掛けてくる恐れがある。
沈は戻る気はなさそうだが、それは周のこととは直接関係ないはずだ。だとしたら、一度、沈には生家に戻ってもらい、事情を説明して、生家と改めて縁を切る、というのは。
「難しいだろうな」夏瑚の口から、ため息が零れた。
それができるのであれば、そもそも出奔はしていなかったのでは、と推測できるうえに、一度戻るとさらに縁を切るのは難しくなりそうだ。それでも夏瑚から見れば、根本原因である沈が事態を収拾すべきだと思うが、きっと周は彼を犠牲にするような方法はとりたくないだろう。
夏瑚にはこれという妙案がない。もうこれは、殿下に強権でも発動してもらうしかないのでは。
他の面々も、口を開かない。
室内が静かだったので、外の物音がよく聞こえた。誰かの足音が響いてくる。足音が入り乱れているので、一人の足音ではなさそうだ。
碧旋達?
近づいてきた足音が止まり、扉を叩く音がした。
これは碧旋ではなさそうだ。碧旋なら、すぐに扉を開ける気がする。
扉の傍に立っていた関路が扉を開けた。
そこには関田爵が立っていた。
「お客様です」丁寧に一礼したのち、田爵が脇へ退くと、急ぎ足で入室してきたのは扶奏だった。
隙のない服装をしているが、ややくたびれた表情だった。
大股に乗月王子の元へ行くと、恭しく礼をし、すぐさま昇陽王子に礼を取る。少し離れたところから二人に向かって膝をついたまま、連続して礼をするやり方もあるが、真っ先に乗月王子一人を優先して跪いた様は、自分の忠誠を誰に捧げているのか明らかにする振る舞いだった。
「ずいぶん早く戻ってきてくれた」乗月王子は扶奏の肩に触れながら言う。扶奏は立ち上がって、盛墨公子、劉慎と夏瑚にも礼を取る。
「最低限の指示だけで戻ってまいりました。殿下の側に仕えるのが私の役目ですから。それに」険しい目つきでぐるりと室内を見回す扶奏の口ぶりは重い。「碧旋殿は、何処に?」
「外に盛容と出て行ったが、会わなかったのか?」昇陽王子が不思議そうに聞き返した。
「正門の前に何やら兵卒の姿がありましたので、面倒になって裏へ回ったのです。ということは折よく間に合ったということでしょうか」扶奏は表情を和らげた。
「兵卒?例の不審者か?」劉慎が言う。
劉慎の言葉の意味を扶奏が聞きたがったので、簡単に経緯を説明する。扶奏が周に確認のために質問をしたりもしたが、すぐに事態を飲み込んだようだ。「なるほど、そういうことでしたか」
扶奏は乗月王子に向かい、「恐らく、その男爵家の者が門前に参っております。当の沈なる者が撥ねつけたところで、相手は引き下がりますまい。相手も力づくとはいきませんでしょうが、何日でも粘るでしょう。我々としては、放置して学園に戻ってもよいのですが」昇陽王子に向いて軽く頭を下げ、「それでは昇陽王子殿下のお気持ちは休まりますまい」