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第一の課題の顛末4

 夏瑚は周の十年間を思う。一方的に同情を寄せるのはあまりいい趣味ではないと思うけれど、つい自分が彼女の立場だったら、などと想像してしまう。

 それにどうしても割り切れないような気持もある。

 「失礼ですが、どうして沈さんにお気持ちをお尋ねにならなかったのです?」一向に打ち明けなかった沈が歯がゆいが、周にしても一度くらい思い切って聞いてみるべきだったのでは、と思ってしまう。こんなに長い間寂しい思いをするくらいならば。


 「どうしてでしょうね」答える周の言葉は、独り言のようだ。「自分でもわかりません。尋ねたいと何度も思いました。でも、その度に喉が塞がれたように、痺れたような感覚がして、どうしても言葉が出なかったのです」

 「今からでは、できませんか?」夏瑚が問うと、周は何度か瞬き、頭を振った。

 夏瑚は周の手を取って、両手で包んだ。彼女はとても寒そうに見えたのだ。


 不審者は男爵家からの使者であろう。

 恐らく水面下で沈と連絡を取ろうとしている。正確には男爵家というより、沈の生母の采配であり、沈を取り戻したいのだろう。このままでは、次子が男爵家を継ぎ、そうなればいくら嫡男で第一子であっても、爵位を継ぐことはできなくなる。


 公爵家の手前、手荒なことはしないだろう。田爵は公爵家の所縁の人物だし、息子の関路は現役の昇陽王子の護衛だ。

 しかし、田爵の客人は違う。公爵家と繋がりがあるわけではない。田爵とも言ってしまえばただの大家と店子の関係だ。

 ことが男爵家の相続問題なのだ。貴族にとっては一大事、下手に他家の者が口を挟めるものではない。その点に関しては、派閥の異なる公爵家では、介入できない。沈を返してくれと主張されれば、突っぱねることは難しいのだ。


 もちろん、圧倒的に高位貴族である公爵家ともめるわけにもいかないから、慎重に動いているのだろう。まず、沈と連絡を取り、戻ってくるように説得する。しかし、それが失敗すれば、正面から押し通ろうとするはずだ。

 田爵には慎重に対応するだろうが、周たちに関してはわからない。


 周の手は、意外なほど堅かった。

 見た感じではほっそりして女性らしい手だと思っていたのに、かさついていて荒れているのが感じられた。夏瑚や姫祥は水仕事はあまりしないし、手入れをしているから綺麗な手をしているのが当たり前になっていた。

 農作業をしている者の手だ。その手で二人の生活を守ってきたのだろう。そう思うと、余計に周が可哀想に思えた。

 「申し訳ありません、さっきまで実を回していたので、汚れております」周はそっと手を抜いた。



 碧旋と盛容に連れ出された沈は、他の護衛たちに混じって立ち合いをしていた。

 ほぼ十年ぶりの練習試合である。

 素振りしかしていないとの話だったが、それなりにやりあうことができている。

 試合がもたらす緊張感がたまらない。沈自身、自分が相手の剣を捌いていることが信じられないような心持だ。十年も碌に鍛錬できていない。腕はさび付いているものと思っていた。そもそも、それほど腕がいいと思っていたわけでもない。


 それでも、剣を振っていると無心になれるのが好きだった。立ち合いの際に、感覚が研ぎ澄まされ、相手の剣と自分の剣が呼応していくようになる様が、不思議で、心地よかった。

 できればずっと続けていきたいとは思っていたが、全てに優先して、というほどではなかった。できれば強くなりたいし、家族や領地を守り、武家として務めるためにも励むつもりだった。

 でもそれは、周瑶や家族の暮らしのためで、それらを捨てて剣の修業をするなんて、考えたこともなかった。


 家を出るのに、周瑶に理由を聞かれ、明言せずにいたらいつの間にか、剣の道を究めるためだと思われていた。それならそれでいい。一人でもできる鍛錬なら続けるつもりでいたからだ。剣の腕はあったほうがいい。自分一人なら、傭兵稼業も考えていたのだし、周瑶を守る必要もある。


 周瑶は、少しずつ金を溜め、沈に師をつけようとした。だが、この近辺には道場はない。それなりの剣豪を呼べたとしても、それは一時的なものだ。

 それに、その金の使い道は他にいくらでもある。もっと使いやすい農具や、試してみたい種。擦り切れてきた周瑶の長着も買い替える必要がある。毎日農作業に明け暮れるので、痛みが激しいのだ。

 生家にいれば、そんな苦労はせずに済んだ。力仕事は雇人がするだろうし、気晴らしに美味しいもの、美しい装飾品も手に入っただろう。

 約束通りなら、それほど裕福ではない男爵家でも、いろいろできることはあった。周家も娘のために援助してくれただろう。

 そう考えれば考えるほど、自分のために金を使わせる気にはならなかった。


 今、それなりに動けているのは田爵のおかげだ。

 田爵は公爵の護衛だったことは知っている。ただ、一介の護衛であり、剣術の大会などに出ていたことはない。少なくとも名前が出るような活躍はしていない。

 でも、公爵が長年の働きに田爵の位を与えるだけの働きをした人だ。

 沈が素振りをしているところに、十日に一度現れ、「右肩だな」ぽつりとこぼす。初めは何を言っているんだと思ったが、その言葉を考えて剣を振っているうちに、型の崩れ、力の入り具合などに気づいた。

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