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第一の課題の顛末3

 沈慧はそれに不満があった。少ないとはいえ、領民たちの生活が領主の采配にかかっている。だから疎かにすることはとてもできないし、沈慧は領主を継ぐべく努力を重ねていた。

 だが、あまり自分には向いていないと思っていたらしい。父親の側室に次子が生まれると、本当に自分が後を継ぐべきなのか、迷いが生じたとも言っていたそうだ。

 「ただ、まだ幼い次子様に責任を押し付けるような真似はできないとも言っておりました。でも、内心では、後継ぎから外れて剣の腕を磨きたいという希望は持っていたのです」


 しかしその希望のために家出したとは言えない状況だ。剣の腕を磨くためには、師の教えを受けたり、修練に打ち込んだりというのが常道だ。毎朝の素振り程度では上達するどころか、現状維持も難しいだろう。

 周がついてきたことで、諦めたのだろうか。それまでは男爵家に仕えていた家臣に教わっていたそうだから、家を出れば当然教わることはできなくなる。「別の師を探さなかったのか?」

 「探そうとはしたのです」と周は言った。

 家を出た当初の沈はとにかく無気力だった。一応基本的な型振りは毎日していたが、師を探す様子がない。周が探した師の話をすると、生返事をする有様だった。

 それよりも周の生活の基盤を整えるべきだと言い出した。


 自分が強引についてきてしまったせいで、それが気になって剣術のことに集中できないのだと思った周は、言われた通り、自分たちの生計を立てることに取り掛かった。

 そのあたりは実家にも相談し、男爵領から離れ、その介入の恐れがない土地を候補に、自分ができそうな仕事を考えた。

 周は沈と婚姻する心づもりでいたので、男爵家の領地を繁栄させられる事業をいろいろと思案していた。しかし領主の後ろ盾がない以上、それらの案はほとんどが使えない。


 それに急に家を出ることになったので、何の準備もしていない。唯一、実家の助けは借りられることだけが救いだった。

 これから新しい知識や技術を身につけるには時間がかかる。沈のためにもあまり時間はかけられないし、まずは自分にもできることで、実家の助けが最大限に望めるのは、林檎などの栽培だった。

 林檎の栽培に適した土地で、まだそれほど林檎が名産になっていない地域を探した。林檎の栽培可能地域から考えると、男爵領からそれほど離れられないが、公爵家の領地なら、男爵から手を出すのは難しいはずだ。


 そうして周は懸命に働いた。

沈は一緒になって働いてくれた。本来なら自分で農具を持って土にまみれて働く人ではない。でも、沈は文句も言わず、黙々と働いた。不器用で、何度注意されてもすぐにはうまく作業できず、農民見習いとしては結構手がかかったが、怒ったり腐ったりしなかった。

 男爵家から妨害の様子もない。事業の進展は遅かったけれど、内職もこなせば何とかなった。周は足は悪くても丈夫だったし、沈はさすがによく鍛えていた。


 数年経って、農業だけで食い扶持を稼ぐことが可能になった。天候にも恵まれたし、予想以上に田爵の土地は滋養に富んでいたようだ。実家とは異なる新しい林檎は、生食よりも加工に向いていて、逆に大きな商品化の可能性があった。

 周が自分たちの生計を立てることに必死になっている間、沈の剣術は停滞していた。

 周もこれではいけないと思っていた。仕事の傍ら、剣術の師を探し、住まいへ招いたりもした。ただ、それ以上のことはできなかった。沈も師へ付いていくとは言わず、周も一人では仕事にはならなかった。


 沈はひたすら素振りと型をさらう毎日を過ごしていた。強く主張しないのだから、もう、剣の道は諦めているのかもしれなかった。自分と剣を天秤にかけているのかもしれない。自分のせいで諦めてほしくはなかったが、かといって背中を押すこともできなかった。

 周は以前から決めていた通り、成人して女性になった。気質としても、沈との約束からしても、それが唯一の選択だった。

 家を出たとき、沈は既に成人していて男性だったから、生活が落ち着けば或いは、と希望を持っていなかったとは言えない。

 でも、どちらからも切り出されないまま、約束は触れられずにいた。


 事業は考えた以上に順調で、八年目に人を雇うことになった時、周はそれが何かしらのきっかけになるかもしれない、という予感を覚えた。

 直接的には、人を雇うことで沈の仕事を減らすことができる。そうなれば、沈は自分のやりたいことができるようになるはずだった。沈は周から離れていくだろうか?家を出る沈についてきてしまったことで、家から引き離すことになったとただ責任を感じて一緒にいただけなのだろうか?


 周の説明は思ったより饒舌で、はっきりと語らなかった部分でも彼女の心情は汲み取ることはできた。これだけ多くの見知らぬ貴族に囲まれて、自分の内心を説明するのは難しいと思うのに、淡々を話していく。きっと彼女は何かしらの覚悟をしていたのだろう。それは、まさか王族を含む高位貴族に事情を説明することではなかったとは思うけれど、覚悟したことよりもこちらの方が大した痛みではない、と言っているように思えた。

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