客人たち2
自分は決して無能ではないと思う。怠惰でもない。それなりに勉学にも鍛錬にも励んできたつもりだ。
「それなり、だ。天才ではないし、特別秀才でもない。だが、王に必要なのは天才的な才能ではない。それなりであっても歩みを止めるな。少しずつ、学べ。少しずつでいい。でも、止めるな」遠慮のない扶奏にはそう評されている。
側近筆頭の扶奏は、幼馴染だ。乗月王子の三つ年上で、乗月王子の母親が妊娠に気づいた時から、選考していた宇州侯家の次男だ。「もし乗月が生まれていなかったら、俺は女になって政略結婚させられていただろうな」と扶奏は笑ったことがある。
扶奏は乗月王子のために、王子誕生から一月で王宮に上がった。まだ3歳だったわけで、侯爵夫人である母親と引き離されて、王子の遊び相手として勤めることになったのだ。
兄よりも、母親よりも扶奏と一緒にいた時間のほうが長いだろう。だから良くも悪くもお互いに遠慮がない。その扶奏の評価は結構正しいはずだ。
覚えていなかったら、今から覚えればいい。仕えてくれる者は入れ替わることがあるのは当然で、状況次第で増えたり減ったりするのだ。その度に覚え直し、見知った者でもその者の状況が変わることもあり、それを記憶していかなければならない。
乗月王子は、自分の気持ちを切り替え、その護衛の前に立った。
その男は、若く、いい体格をしている。盛容よりは細いか。視線が定まらないのは、困惑しているからだろうか。「私の護衛の一人と、聞いた」乗月王子は声を掛ければ、男は視線を地面に落とし、「はい。楊と申します。郭家の家臣でしたが、扶奏様にお声がけいただきました」
扶奏の推薦と聞いて、乗月王子は少し安堵する。扶奏の選んだ人間なら間違いないだろう。
「何を見つけたか、説明を」碧旋が促すと、楊は「ああ。えーっとどこから説明すればいいんだ?」と碧旋に助けを求めた。
「無礼な。言葉を改めよ。碧旋殿は」乗月王子が慌てて叱責すると、碧旋は笑って手を振った。「護衛だって、誤解させた俺のせいだ。黙認してくれ」「しかし」乗月王子が躊躇うと、昇陽王子が「もともとそう言う人だ。言う通りにしておけ。それより本題に入れ」とばっさり切り捨てた。
つっかえながら楊は説明を始めた。交代で見回りしているときに不審な痕跡を見つけたと。
その場所に案内するために歩き出した楊の後を二人の王子が続き、盛容と碧旋が続く。
「楊は狩りが得意なんだと。幼い頃からの山を歩き回って、獲物の痕跡を探していたらしい」碧旋が抑えた声で言う。それでも、話し始めたことに気づいて振り返った二人の王子の耳に良く響いた。
まばらに生えた木々の間を、一行は足早に進んだ。下草も短く、茂みも適度の間引かれている印象だ。ここは、人の手が入った林なのだ。薪を拾ったり、木の実を採取したりするために、歩きやすい状態が保たれている。
さらに歩き続けていると、その林の奥に一際濃い緑の群れが現われる。徐々に木々が密度を増し、下草に足を取られるようになる。
「ここです」先を行っていた楊が立ち止まって、一行に向き直る。昇陽王子が下草を踏みつけ、やや強引に茂みを突っ切る。乗月王子が閉口した表情で足取りを緩めると、碧旋が身を乗り出して、昇陽王子の突貫の跡を広げた。
「枝がない分、ここなら通れる。俺の跡を通れば」碧旋が通りすがりに、乗月王子に声を掛ける。返事を待たずに乗月王子の前に出る。
見ようによっては、無礼ともとれる行動だ。王子の前を行くとは。盛容は、少し身構えた。それは貴族として反射的な反応だった。
盛容は自分で苦笑いして、緊張を解いた。確かに碧旋は傍若無人なところがある。王子たちと同じ正学生だから許される態度だが、実際は対等とされる学生同士でも王子に気安く接する者はなかなかいない。盛容は結構ざっくばらんに振舞っていると思うが、それも一応親族で幼馴染であり、年上だからなのだ。
けれど、二人の王子は碧旋の態度を不快には感じていない。むしろ喜んでいるのかもしれない。この振る舞いだって、乗月王子が歩きやすいようにという気遣いなのだ、恐らく。
乗月王子と盛容が後に続く。いよいよ普段人が立ち入らない森の境界まで来たとき、楊が指示したのは、折れた枝先だ。
「この高さ、下草の倒れ方を見るに、ここにいたのは人間です」獣にしては体高が高く、下草の倒れた範囲が狭い。
「この辺りの人間はこんなところまでは来ないでしょう。来たとしても、このような茂みに踏み入らない」それはそうだろう。日常的にここへ来る人は、薪拾いや木の実を取りに来るのだから、手を伸ばすことはあっても、わざわざ茂みの中に突っ込まないだろう。
林と、その奥の森には明確な違いがある。林は人の手が入って、人が利用できる場であり、森はそこから野生の境界となる。
この辺りには虎はいない。しかし、熊や狼はいるだろう。遭遇すれば無事では済まない。山犬でさえ、狩人ではない農民ならば噛み殺せるのだ。
「では、何者だと?」「狩人ではありません」楊は考えながら答える。「痕跡は森の奥に続いています。森の中を移動しているけど、狩人なら、もっと痕跡を残さないように気を使う。狩りは、隠れて静かにやるもんなんだ。この痕跡は、そんな気はない。乱暴なんだよ」