田爵の土地1
「暗殺だとすれば、銅鑼島の商人よりも、海州にやって来た奴のほうがうまくやったってことだな」と昇陽王子が呟いた。
夏瑚は血の気が引くのを感じた。「まさか」劉慎が小さく叫び、唇を噛んで黙り込んだ。
「暗殺ねえ。それにしては狙いが曖昧過ぎる。夏瑚の父上は健康状態に問題はないか?何か不調を訴えたりは?」「私は何も聞いておりません。あまり会ってもおりませんので、少しくらいの不調なら私の耳には入らないやもしれません」
「だとしても、死んだらさすがに連絡があるだろ。きつい言い方でごめんよ」碧旋はちょっと合掌してみせた。「重い症状はないんじゃないか。銅鑼島でも、素手で触らなければ、特に体調を崩した者はいなかったし。貴重な商品だから、あまり弄らなかったんだろう。一人でずっと運んだわけでもないし」
「着用するのは危険そうだな」盛容が言うのに、「第一王子にはよく沐浴するように伝えた。一応触れた人間は手を洗うように、それから体調を確認するように申し入れた」昇陽王子が頷きながら碧旋の説明を聞いているところを見ると、碧旋の申し出を知っているらしい。
「鳥は雷家に送ったのですか?同じ染料か確認するために?」盛墨が聞く。「まあ、そんなところだ」
「碧旋の説明によれば、夏瑚侯子に対する誠実さには欠けるものの、罪を犯したわけではない。特に処分はしない」昇陽王子が皆を見回して告げた。
「御意に」盛容と劉慎が立ち上がって膝をついて首を垂れ、盛墨と夏瑚もそれに倣う。「面倒をかけた」碧旋は昇陽王子に向かって拱手し、続いて一人一人に向かって礼を取った後、天幕を出て行った。
「大儀だった。皆も戻れ。一刻後、出発する」
一行は昼前に、関家の土地に入った。
緩やかな勾配の土地で、よく手入れされた田園風景が広がっている。北の山地は畿州公の領地だそうだ。
「ようこそ、お待ちしておりました」関路の父という田爵が、一人、一行を出迎えた。髪は薄く、皺が多いのでかなり年を取っているように見えるが、姿勢は良く、動きはきびきびしている。
「急な訪問になった。もてなしなどは必要ない」昇陽王子は簡単に言う。「申し訳なく存じますが、何分人手が足りぬ僻地ですので、お言葉に甘えさせていただきます」
田爵は深々と頭を下げ、乗月王子にも挨拶をした。そのあと、彼に案内されて、厩に馬を繋ぎに行った。本来ならば、屋敷の家来が現われて、馬を預かり世話をしてくれるものだが、家来は雇っていないと言う。
家来はいないと言うが、耕作地にはいくつかの人影が見える。小作人かと思いきや、少し違うという話だった。
「どう違う?」昇陽王子が話を主導するつもりらしい。
田爵の傍には論科の面々がいる。碧旋も昇陽王子に手招きされて、護衛の群れから近づいてきていた。護衛たちは学生の傍に一人に一人の割合で控え、後の者は周囲に散らばって警戒を続けている。
乗月王子は物憂げな表情をしていた。田爵に挨拶をしたきり、口を開かない。あたりを眺めているが、時折碧旋をちらちら眺めている。
盛墨は、田爵に質問を始めた。土地の広さ、収益の額、その内訳。就労している人数や、作物の種別や収穫量など、気の赴くまま質問をしていて、結構楽しそうだ。盛容は弟の様子をにこやかに眺めているが、その実内容にはあまり興味がないようだ。「山から攻められたら、終わりだな」などと呟いている。
碧旋は質問はしなかったが、相槌を打ち、表情が動くので、話を咀嚼しているように見える。
碧旋が質問しなかったのは、劉慎が熱心に質問していたからだろう。
「土地を貸しているということか?小作人とどう違う?」「私は貸しているだけなので、一定の賃料を受け取っています。収益とも関係なく、初めの取り決め通りの額で、それ以上でも以下でもありません。また、貸した土地で何を植えようが、私は関知しておりません」
「関知していないと言いながら、先ほどは収益や収穫量を答えていたが」「報告は受けております。ですが、それに関して決定権も持っておりませんし、差配もできません」
「では、誰がそれを行使している?」
「客人です」夏瑚たちの怪訝な顔を見て、思わずと言うように田爵は微笑んだ。
「夕食の際にご紹介させていただきます。彼らは今仕事中ですので、それまでお待ちいただけませんか」
農作業は日中が勝負なので仕方がないだろう。所有地内を見て回ることはできるので、夕食までは半ば自由に行動することになった。
田爵の屋敷は、二階建ての木造建築で、正直なところ、夏財の屋敷に比べると小振りの屋敷だった。東側にほとんど同じくらいの大きさの建物がもう一軒あり、そちらは客人たちが使っているという。
両王子と夏瑚だけが本宅に部屋をあてがわれ、ほかの面々は天幕を張ることになった。
屋敷の傍に護衛たちが次々と天幕を張っていく。それを見ながら、夏瑚はお茶を飲むことになった。屋敷の前庭に、設えられた椅子に腰を下ろすと、それまで意識していなかった疲れがどっと押し寄せてきた。