碧旋の素性2
侯爵家の間諜をもってしても探ることができない、素性。
同じ侯爵でも、羅州侯は南の要衝を押さえ、自領内の産業も多く、豊かな所領だ。その資金力を背景に、宮廷内でも、かなりの勢力を維持している。対して孔州侯は、家柄は古く由緒があるが、所領は食料こそ自領で大方を賄えてはいるが、特に目立った産業などはなく、そのため宮廷への貢献度は低めだ。地道に領主を務めているが、それ以上の欲はなさそうで、間諜などの使うのが難しい配下もあまり雇ってはいないようだ。
それなのに探れなかったということは、孔州侯以外の何者かが秘匿に手を貸しているのではないか。
それはあくまで、根拠の弱い推測に過ぎなかった。
今、その情報が、本人によって開示されていく。
真土河の河口にある島と言ったが、単独で貴族が所領にできるほどの広さの島は一つしかない。銅鑼島だ。そしてそこは有名な所領でもあった。
「雷家所縁の方か」劉慎が独り言ちる。
男爵家とは貴族の中では下位であり、領地を持っている貴族の中では最下層に位置づけられる。男爵より下の地位に勲爵や田爵があるが、勲は官職か勲章を賜った者、田爵は土地を賜った者で、両者は位としては同格になる。勲は土地持ちではない。田爵は土地はあるが、あくまで土地だけで民はついてこない。統治権を持っていないのだ。
領主は土地と民を治める者である。基本的にはそう言うことになっている。
それ以外にも貴族にはそれぞれ職務についている場合がある。大臣だったり将軍だったりするわけだが、それも個人的にその時々で任命される場合と、家がその職務を代々保持している場合とある。大まかに軍務につく伯爵家などのような場合もあるが、固有の特殊な職に就く貴族家もある。
雷家もその一つだ。
先祖代々侍従を務める子爵家などと違い、初代の雷風が銅鑼島を賜ったから担うことになった職責なのだが。
男爵なのに、雷家が有名なのはそのためだ。男爵家には筆頭などの明確な順位付けはない。それでもその職責と知名度において、恐らく男爵家の中では特異な地位を占める。下手すれば、子爵家や伯爵家よりも重要視される可能性すらある。
「国境管理のお家ですね」盛墨が呟く。さすがに知っていたらしい。兄の盛容がきょとんとしているのはご愛敬だ。盛容の知識は軍部に偏っているようだ。
「国境管理?」夏瑚は耳慣れない言葉に首を傾げる。
「銅鑼島は、わが国で唯一の出入国口が設けられたところです。基本的には、そこからしかわが国へ入国はできません」
偉華は、北に霊山山脈が東西に走り、天然の城壁として外敵を遮断している。空気さえ薄く、真夏の一時期以外は雪と氷に閉ざされた山脈を越えることは容易ではなく、稀にごく少人数の登山者が降りてくることがあるくらいだ。
東は山脈と大洋の間に、巌河によって作られた低地帯があり、そのさらに東は大樹海が広がり、少人数の部族がそれぞれ散らばって暮らしている。部族民はたまに偉華へやってくることもあるが、これもまたごく少人数でしか訪れない。
南はすべて海洋である。沿岸に散らばる島も多くはなく、すべて偉華の土地だ。
西には真土河が流れ、その向こうは砂漠が広がる。
その昔、幾度も砂漠を越えた敵が偉華の土地に襲い掛かったと言う。
偉華の王家の始祖は、そこに結界を張り、敵の侵攻を撥ね退けた。
以来、偉華には四方に結界が張り巡らされ、外敵を遮断している。
お伽噺のようにも思えるが、実際に結界は張られている。辺境や東方の樹海はもともと敵が越えてきた歴史はないが、西方からは何度も外敵に侵攻された記録が残っている。戦場の跡地もあり、また、外敵ではなくても、外交使節団や、隊商がやってくることもあるのだ。
大洋に面する南方でも、船団が訪れたことは数知れない。
だが、彼らがそのままで結界を抜けたことはない。
一刻に一人しか、結界は通さないと言われている。
四方に張り巡らされた結界は出て行く分には規制はない。しかし偉華の土地に踏み入ろうとすると、一刻に一人しか侵入できない。一日に12人だけ、入国できる。四方すべてで12人である。
入れなくても、弾かれるだけで死んだり怪我をするわけではない。待てばいいのだが、人数が多ければ多いほど時間がかかる。大規模な隊商でも十日近くかけて入国するとなると、その分費用が掛かることになるので、採算が取れる場合にしか実行しない。
軍隊ならなおさらだ。人数が揃うまで時間がかかり過ぎ、その前に偉華の軍隊が駆けつけてくるだろう。
南方では、沿岸から一里ほどが結界内で、一度その外へ出るとそのまま戻れない。
唯一戻れるのは、銅鑼島に接岸する経路だ。一人で操る葦船ならともかく、数人乗り込む帆走船なら結界を突破することはできない。結界が途切れている地点は、銅鑼島だけだ。
その島を領有するとなれば、当然諸外国との折衝は必須だ。民間人である隊商、民間人を装った間諜、犯罪目的の入国や、時には敵軍との戦闘行為も、その範疇に入ってくる。
そのために銅鑼島の面積は男爵家の範囲なのに、その領主の責務は多岐にわたることになり、他の貴族とは一線を画すものになる。