侯子と義妹のあれこれ2
まず劉慎が思ったのは、容姿はまずまずだな、という感想だった。
美しいと言ってもいい。健康そうな顔色で、瞳が澄んでいる。髪は黒、艶のある肩よりも長い髪を下ろしている。小柄でどちらかと言うと痩せている。落ち着いた薄い黄色に、緑色の刺繍の小花が散った衣布をまとっている。金の首飾りと腕輪を数本はめ、足元を見つめてゆっくりと馬車の段から降り、胸の前で手を合わせて、膝を曲げた。
「ようこそ、私は羅州侯が長子、劉慎だ。我が妹、夏瑚だな。遠路はるばるご苦労だった」「わざわざのお出迎え、ありがとう存じます。わたくし、夏瑚と申します。以後良しなに、お願い申し上げます」
何もかも芝居じみている。「我が妹」だと、わざわざ尋ねること自体が奇妙だ。少し恥ずかしさを感じつつも、これからはこういう芝居もこなしていかなければならないのだろうな、と思う。
中に招き入れ、家来に命じて荷物を夏瑚の部屋へと運ばせる。母親である第一夫人と、側室の第二夫人へ先触れを出す。一応家族としての挨拶をさせる必要がある。
夏財とは、簡単に労いの言葉を述べて別れる。夏財は有能な商人らしい。ほとんど一代で財産を築き上げた。成金だが、あまり図々しそうではないし、息子たちもそれなりに見込みがあると父の侯爵は判断していた。夏瑚は養子になるので、表面上は侯爵家を立ててもらわねばならないが、ある程度の付き合いは認めるそうだ。家財たちとの縁も、役に立つとの判断なのだろう。
家財が去ると、夏瑚の周囲には侯爵家の人間ばかりになった。唯一残っているのが、夏瑚の後ろに控えている侍女見習いだ。夏瑚よりもさらに小柄で、護衛の腕はなさそうだ。
館は表玄関がある本館と、それに続く東翼と西翼で中庭を囲み、別棟として南館がある。東に第一夫人、西に第二夫人が暮らし、次子も成人前なので西翼にいる。北館は主に家事室などの作業用の施設と家来の部屋がある。本館に侯爵の執務室や応接室、寝室などの私室がある。
まず、東の第一夫人、劉慎の母親に挨拶をし、そこで部屋に案内される。
一応、第一夫人の養子と言う扱いなのだ。養子なのは明らかだし、夏瑚はもう既に女なので、後継者争いの心配はない。母の「娘ができて嬉しい」という定番の科白もあながち嘘でもなさそうで、良い雰囲気だった。
夏瑚の部屋に荷物を入れたことを確認した後、第二夫人にも挨拶に行く。それが無事に終わったら、執事、侍女長、夏瑚付きとなる侍女などを紹介していく。
その間、夏瑚はずっと笑顔だった。劉慎は時折その表情を盗み見たが、見事なまでにその表情には無理がなかった。これが作ったものだとしたら、この年齢で大したものだ。劉慎もそれほど偉そうなことは言えないが、生まれてこのかた貴族の中で過ごしてきたせいで、家来や御用商人の作り笑いは見慣れている。
その経験から言うと、本当の笑顔に見える。
実際、それほど的外れな判断ではなかったようだ。
入寮するまでの一か月ほどの間、夏瑚は侯爵家に滞在し、侯爵と顔を合わせ、同行する従者たちと打ち合わせをし、持参する荷物を整え、貴族の令嬢としての礼儀作法や社交に必要な知識を学ぶ。忙しない日々だ。
劉慎も腹を決め、側近として義兄として夏瑚に付き添う。自分自身の入学でないのは未だに悔しいが、侯爵家を支え継いでいく仲間だと思えば、何とか飲み込める。
夏瑚自身もにこにこしながら、次から次へと用事に取り掛かる。結構疲れるし、煩わしいのではないかと思うのに、笑みを絶やさない。ここまでくると逆に胡散臭いな、と思ったのは、たぶん劉慎自身も疲れていたのだろう。
特別に舞踏の師匠を招いて稽古をつけてもらったあと、手早く汗を流し衣を変えて、次は乗馬という予定はちょっと無理がある、と劉慎は迷った。
だが、これまで舞踏の素養がない夏瑚が、高名な師匠に手ほどきを受ける貴重な機会だ。侯爵家と言えども引く手あまたのその師匠を招くのは容易ではなかった。
この国では、舞踊はあまり一般的ではなく、神に捧げるもの、鑑賞するものと捉えていることが多い。けれど、王族の間では、舞姫は歓迎される。宴に花を添えるのはもちろんだが、王族が主体となって一部の神事を行うことが可能となるのだ。全ての宗派は王に従うという制約はあっても、時には王権に抵抗し、競り合ってきた宗派もある。舞姫は巫女の役割を担うため、王家にとっては一種の武器になる。
この短い期間で、それほどの技量を身に着けることは不可能だろうが、素質があるのかどうかを見極める意味もあった。運動神経は悪くなく、身のこなしには見どころがあるように見えた。
乗馬も上流階級では当たり前の技術だ。
女性は必須とまでは言えないが、ある程度乗れたほうがいい。夏瑚は乗馬は経験がなかったらしく、まだまだ練習が必要だ。もう少し上達していれば、今日は中止にしようと言えるのだが。
舞踏の稽古を終え、廊下へ出てきた夏瑚は息を切らしてはいたが、相変わらずの笑顔だった。例え作り笑顔でも笑うだけの力が残っているなら、乗馬もできるだろう。