論科の課題3
「君は顧侯子の動向を把握していないのか?」昇陽王子が不思議そうに問う。「主従として、それは問題がある」「主従ではないので問題はない」碧旋は簡潔に答える。「まあ、あなたの言いたいことはわかる。考えてみる。忠告、感謝する」碧旋は合掌して礼をする。今まで見た中で、一番きちんとした礼だった。
「揉め事なのか?よかったら相談に乗るよ」乗月王子が碧旋に向かって言った。「ありがとう。まずは顧敬と話をしないと」碧旋はこともなげに応じているが、相手は王族だぞ、と思う。
しかし夏瑚もちょっと王族に対して腰が引けすぎているかもしれない。夏瑚は平民育ちだから、貴族はまだしも、王族となるととにかく粗相のないようにと身構えてしまっているようだ。
もともと学園は王族と準王族とでも言うべき侯爵以上の血筋の者が通っている。王族からすれば、一番気軽に付き合えるはずの環境だ。建前の上でも、正学生は対等となっている。
前回の論科の授業の時にも、対等の態度でという話はあった。それでも劉慎などは砕けすぎることの危険性に用心している。何かの拍子に上位者の感情を傷つければ、過去の保証は噛み切れに変わりかねない。
碧旋は恐ろしく思わないらしい。馬鹿なのか、豪胆なのか。侯爵家の養子なので、平民ではなくても、それよりは下の身分には違いない。貴族ではあるのかもしれない。それとも逆に身分が低すぎて、身分制度の危険性を理解していないのか?学園に入学するだけの頭はあるはずだから、全く何も考えないということはないだろう。
乗月王子も一体どこまでの思惑を持っているのだろうか。下手したら、顧侯爵に代わって後援者になるとも受け取れる発言だ。
この短期間でずいぶん気に入ったものだ。短期間と言うより、ほとんど初対面の段階から、非常に好意的だった。
ただ、碧旋の態度は女性のそれではなく、どちらかと言うと男性のものだ。もちろん、乗月王子の好みを事前に把握してわざとそう振舞っている可能性もあるが、それで顧侯子ともめるのも不思議だ。今のところ、本人には女性化して王族と婚姻するつもりはないと考えるほうが妥当だ。
夏瑚としては、無理に王族に迫るつもりはない。それで相手を虜にするような魅力はない。王族のほうでも、恋愛感情を持てる相手を探す人ばかりではないだろう。聖母の六感は、後継者を欲している王族には歓迎される要素のはずだから。
夏瑚としては、自分と接してもらって王族が希望すれば、それに従うつもりだ。
好かれるための努力はしろと劉慎に言われたことがあるが、何をどうすればいいかわからない。気が進まなかった。
それよりもせっかく学園に入学したのだから、学びたいと思う。女性でこれほど様々なことを学ぶ機会に恵まれることはまれだ。
「顧侯子は不在だが、碧旋侯子の許可があったので、論科の課題を勧めようと思う。前回渡した資料は見たか?」昇陽王子が平坦な声で言った。
紙の束が昇陽王子の前の卓に投げ出された。投げたのは扶奏で、眉をしかめ、昇陽王子を睨んでいる。「目を通しました。一体何の権限で、これを?」低い声で、言葉にも鋭い語気が籠っている。
「権限ではないな。何人かの領主に学園で学ぶ資料にするからと、抜粋してもらった」「宇州侯に許可を得たと?」扶奏が噛みつく。「おや、宇州の集落のものなんか混ざっていたかな」昇陽王子が首を傾げる。「ふざけるな。これは確かに宇州の甜班の税収簿だ!」扶奏は拳を卓に打ち付ける。
宇州侯は乗月王子の生母貴妃の実家の当主になる。扶奏は宇州侯の分家筋の嫡男のははずだ。扶奏には、資料の出どころである集落の目星がついているらしい。宇州の、扶奏の家でかかわりの深い集落なのだろう。
「個々の集落の問題は取り上げぬ。内政に干渉するつもりはない」「落ち着け、扶奏。宇州の問題をつつく気なら、我らに宇州の資料は渡さないだろう」乗月王子が宥める。「公式には取り上げないということですか」
「ことは宇州だけの問題ではない。他の者に渡した資料はまた別の領地の集落のものだ。私はそこに共通の問題を見ている。でなければ論科の課題にはしない」
淡々と話す昇陽王子に、扶奏は黙る。表情から見て納得はしていないようだが、これ以上は抗議しない。学園内では許されるのかもしれないが、扶奏の態度は見ていてひやひやした。
関路が寮人を呼び、茶が淹れ直された。「他には」昇陽王子が茶を一口飲んで、仕切り直す。
視線を受けて、盛墨が口を開く。「見ました。税収簿ですね。5年前から昨年までの記録、平均三割ずつ収穫物が減少、それにつれて当然税収も減っている。大きく減少するのではなく、漸減しているところから、収穫の効率が落ちているのかと。土地が痩せてきている、手入れをする人手が減少しているなどの要因が考えられます。大まかにはそんなところですが、各種課税対象について、さらに詳しい分析を述べましょうか?」「あまり長くなければ」と昇陽王子が先を促すと、盛墨は米と椰子、芭蕉、甘蔗について説明し始めた。椰子については実と木材の両方についても触れた。5年間の気候と照らし合わせ、それぞれ減少の要因について考察を述べる。
夏瑚たちが見た資料とは、内容が少し違う。収穫物から考えると、盛墨の資料はもっと南の平地から低山地に掛けたあたりのようだ。集落としての規模は似通っている。かなり小さい。
昇陽王子が盛墨を褒めた後、他の面々を見回した。分析過程も結論も同じだが、盛墨ほど細かな数値や考察には欠けるので、後に続くのは気まずい。なぜか碧旋は頬杖ついてにこにこしている。