論科の課題2
「一応、羅州の小規模集落の資料は取り寄せたが、どうだろうな」劉慎は従者から書類の束を受け取り、夏瑚に手渡す。「羅州は漁村だからな。広く考えるなら参考にはなると思う。ただ、昇陽王子殿下の意図次第だから」
「他の方々はどうお考えでしょうか?」「両殿下とも接触できず仕舞いだ。盛墨公子は同じように自領の資料を取り寄せると仰せだったが、情報量が少ないだけに、昇陽王子殿下の意図はつかみきれないというのは同じだった。ただ、治水ではないだろうと、予測されておられたよ」
夏瑚が小首を傾げると、劉慎が苦笑交じりに答える。「他の人間がやらないことをやろうとするお方だそうだ、昇陽王子殿下は」
四の五の言っても、時間は経つ。夏瑚と劉慎は自室を出て、論科の授業のために談話室へと向かった。
向かったのだが、部屋から出てすぐ、盛墨公子と碧旋侯子に出くわした。盛墨公子の傍らには盛容公子もいる。
盛容は拱手をし、盛墨は合掌して膝を少し落とす。知り合って一週間ほどなので、まだ砕けた態度ではない。盛容は話口調はかなりざっくばらんなのに、こういうところが礼儀正しい。
碧旋はさっと拱手をしてすぐに解いた。辛うじて拱手とわかるが、寝癖と相まって残念な感じだ。なのにというか、だから容姿が整っているのが目立つように気もしてきた。
「もしかして、お待ちになって?」「ちょっと、お誘いに。授業の後、お付き合いいただけませんか」盛墨が遠慮がちに言う。「別にいいのに」と碧旋が口を挟む。「より多くの方に検証して頂いたほうがいいですよ」盛墨が言い返すと、「だったら、寮人と呼んだほうがいいんじゃない?」碧旋がのんびりと返す。「いや、それでは面白くない」という盛墨の言葉に、碧天が笑った。「確かに」
「まあ、大丈夫だとは思うけど」盛墨と碧旋がなにやら小声でごしょごしょ囁きあっているのを見ながら、盛容が夏瑚たちに説明する。「弟たちで何か見つけたらしくてな。この校舎のからくりのようなものを、な。で、それを見に行きたいらしい」
夏瑚はどうも飲み込めなかったが、劉慎が「七不思議のようなものか?」と食いついたのは意外だった。
盛墨たちには七不思議という言葉が通用せず、しばらく要領を得ないやり取りが続いたが、ようは校舎の中に隠し部屋があるはずだと言う。「そう言えば、建物の長さが合わないとおっしゃっていたわ」
「盛墨はそういうことに敏感なんだ」盛容がゆっくりと歩きながら話を続ける。「小さなころからな。数字や計算が大好きで、書き取りよりも算術ばかりしたがったな」「だって、文字は多すぎるよ。ひたすら覚えるだけだし。ある程度規則性はあるけど、例外が多すぎるから、いらいらするんだ」
建物の歪みにもとても敏感で、設計の誤りを指摘したこともあるらしい。それと同じで、正しい設計上では部屋のような空間があるはずの部分に気づいたということだった。
碧旋はどうなのか、尋ねようと視線をそちらに投げると、碧旋はいかにも作り物めいた笑顔を返し、唇に指を当てた。「そろそろ論科の時刻だ。授業が終わったら、種明かしと行こう」
お預けを食らってしまったが、実際授業時刻が迫っている。
談話室に入ると、既に昇陽王子が席に着いていて、一同は焦った。いや、遠縁の盛兄弟はそれほど焦ってはいないようだが、基本的には上位の者を待たせるのは失礼にあたる。普通は上位者もそれがわかったいるので、少し遅れるように足を運ぶものだ。
謝罪する一同に向かって、昇陽王子は手を振った。「構わぬ。私が勝手に早く来ただけだ。論科の課題を決めてしまったからな」
昇陽王子が一番上級生で決定権があると考えていた。実はそう決まっているわけではないと説明されて少し意外だった。だが、夏瑚、盛墨、碧旋の三名は新入生なので課題をすぐに決めるの難しいだろう。乗月王子が構わなければ、昇陽が決めた課題で問題はない。
盛墨も碧旋も同じ意見だった。
乗月王子が側近と護衛を引き連れて現れた。乗月王子はゆったりとした足取りで席に着き、一人一人に挨拶を返した。王子は側近の盛容と劉慎にも席を勧め、乗月王子の側近の扶奏も席に着いた。しかし昇陽王子の側近の関路は王子の背後に立ったままだ。
「関路は側近と言うより護衛だから、立ったままでいい。私の手伝いはするが、論議には加わらないから」と昇陽王子は言う。どうやら側近を授業に参加させるかどうかは、正学生が決めることのようだ。盛容は正学生の盛墨の兄なので、盛墨は自分と同じ待遇にするのだろう。扶奏は文官らしいので、授業に加わることが役に立つはずだ。
劉慎はもともと正学生を目指していた身だ。参加を希望しているし、夏瑚もそれを拒否するつもりはない。夏瑚一人で参加するのも不安だし、助言してもらいたいので参加することになっている。
碧旋は一人だ。
「顧侯子はまだ戻ってないのか」昇陽王子が問うと、「道中で何やら不審なことに遭遇したらしく。調査の段取りを組んだら戻ると連絡がございました。今日か明日のうちには学園に着くかと」劉慎が横から答えた。手紙を受けたのは劉慎なのだから、仕方がないが、昇陽王子が碧旋に向けていた視線をぐるりと回す。