論科の課題1
王族への対応に消耗させられたものの、碧旋の模擬戦を見られたことは勉強になった。
碧旋は盛容以外の護衛とも二試合、手合わせをした。
「模擬戦でしょ?なんでお嬢様の勉強になるんです?」相変わらず姫祥の物言いは不躾だ。でも、王族や貴族の前で計算と自制心を目いっぱい働かせている夏瑚にとっては、なんだかほっとするやりとりなのだ。
「武は舞に通ず、っていうじゃない。それを体現したような感じだったからだよ」湯あみを終えて、主従二人きりの夜分である。劉慎もいないし、夏瑚も貴族の仮面は外して寛いでいる。
碧旋の動きの緩急は見事だった。型をひたすら訓練して身に着けていることもうかがえたが、それ以上に夏瑚が思ったのは、止まったり速度を緩めたりする碧旋の身体制御のすごさだ。
相手の攻撃を躱すときに、その刃を受けておいて相手の力を受け流したり、刃を受けない方向へ動いたりするのはよく見られる。今日の模擬戦でも何度も目にした。
それに加えて碧旋は、自分の速度を変えるのだ。それまでの攻撃の速度が一定だったり、徐々に速くなったり遅くなったりする場合は予測することができる。碧旋はそれを承知していて、相手の予測を外すのだ。意外なところで止まったり速度を急速に変える。思いつくこと自体は他の者でもありそうだが、実現するのは並大抵ではない。自分の体、動きを完全に制御しているからできることなのだと思う。
舞踏も同じだ。自分の体を隅々まで制御することができたら、素晴らしい踊りが踊れるはずだ。
碧旋の動きは無駄がなく、鋭さと速さが特徴的な舞踏のように見えた。幾つかの舞曲が思い浮かび、夏瑚はあんな風に自分も踊ってみたい、と思った。
「お嬢様は踊りがお好きですね。最近特に、熱心になったみたいです」姫祥が柔らかい声で言う。「そうね、実家ではそれほど熱心に練習していなかったし」夏瑚は苦笑した。実家で手配された講師は、基本的なことは教えてくれたが、あまり教え方のうまい人ではなかったように思う。平民にとっては舞踏とは、教会の儀式で披露されるものであり、貴族の嗜みであり、身近なものではない。祭りなどで皆で踊るのは、厳密には「踊り」であり、「舞踏」ではない。
大雑把にに考えると、同じものだが、「踊り」は基本的には拍子をとるもので、足の動きで「踊る」ものだ。基本的には大勢で踊り、人に見せるためのものではないことが多い。
「舞」は基本的には回転する動きを指す。そして貴人や神に捧げるためのものである。
神に捧げるものでも「踊り」の動きは取り入れられているし、祭りの「踊り」自体にも神への喜びや感謝の表れと言う側面もある。だから全く別物、というわけではない。
それなのに庶民が踊る「踊り」と神や貴族に捧げる「舞・舞踏」は違う目線で語られるものになっている。「踊り」はただの遊びであり、大した技術も必要としないもの、「舞」は高尚なもの、研鑽の必要なものなのだ。
夏瑚が好きなのは「踊り」だった。平民育ちだから当然だ。講師から教わる「舞踏」は習わなければならないものだった。夏瑚は父親の言いつけだったから練習を至極真面目に熟した。身体能力はそれなりだったから、下手ではなかったけれど、特別うまかったわけでも好きだったわけでもない。
侯爵家に入って、師事した講師は結構座学が多く、理論派だった。ちょっと大変だったが、「舞踏」の成り立ちや意味合いには関心が持てた。
「舞踏」は、一種の玄人の芸だ。そういう職業はないけれど、自分の楽しみではなく、見る人捧げられる人のための芸、技術なのだ。少なくとも研鑽を積んで舞う人にはその矜持がある。それに対しては素直に尊敬の念を覚えた。
それでも、夏瑚にとっての一番の「踊り」とは、母と一緒に踊った「お遊戯」だったことは変わらないけれども。
予定ではもう戻るはずだった顧侯子が戻らず、鳥が運んできた手紙が劉慎のもとに届けられた。
「解せぬ。碧旋殿を差し置いて、なぜ私宛なのか」顧侯子が、留守を夏瑚と劉慎に託したと考えているからだろう。特に何もしていないのだが。それともまだ碧旋にわだかまりがあるのかもしれない。
「昨夜も特に何事もなかったようです。碧旋様は剣術の授業の後、盛墨公子と言葉を交わされたとか。立ち話程度だったそうですが、その後は音楽室で楽器の練習をされ、夕食の後に中庭で鍛錬をされたのち、ご就寝に」夏瑚たちは何もしていないが、姫祥が情報を仕入れて報告してくれる。
「まあ、今日中には戻るようだしな」「それよりも今日は論科の授業です。資料の意図はつかめまして?」口の中でぶつぶつ言う劉慎に夏瑚は尋ねた。
「収税帳であることは明らかだな。かなり規模が小さな集落で、恐らく偉華の中東部あたりの村落ではないか。今から十年前から五年前の記録だ。収税の部分だけで、その後のことは書かれていないから、収支の抜粋なのだろうが」
「年々税収は落ちていましたよね」「そうだな。論科で論ずるに足る課題を示しているとなると、単なる収税の資料ではないはずだ」
年々減っていくことを考えると、一時的な災害ではなさそうだ。偉華で災害と言えば、水害だ。中東部と中西部にそれぞれ大河を擁しており、それが大きな恵みをもたらすと同時に災害ももたらす。特に中東部の巌河は、十数年に一度大洪水を引き起こしている。実際巌河の治水は、論科でも何度かも取り上げられた課題だ。
「単なる限界集落のように思える。だが、それなら領地の問題で、領主の統治のうちだ。個別の問題ではなく、汎用的に論じるつもりなのか」
個々の限界集落をどう治めていくのかは、領主が決めることで、論科で論ずるのは問題になる可能性がある。内政問題に口を出したと取られるかもしれないし、逆に特定の領地の問題に手を貸したというふうに思われるかもしれない。