授業の合間1
とはいっても、それほど大きく違う訳でもない。型自体が理想の技や身体のあり方を習得するためのものなので、どんな者でも全ての型を習得するべきなのだから。もし、完璧に剣術を習得している者がいるとすれば、全ての技を満遍なく身に着け、こなすだろう。途上にある者は、今どの部分を特に強化するか、どの部分を伸ばしたほうが実践的なのか、そう言う選択をして練習するということだった。
そういうことを乞われるまま、盛容は教えてやった。あまりうまく話せた気はしないが、護衛たちは納得してくれた様子だった。
碧天の型は、呆れるほど速度重視だ。盛容の弱点なので、それはよくわかる。それを補うために盛容も同じ型を重視しているが、長所も疎かにしないように均衡を取っている。
本格的に剣術を修めていることは明白だ。これは模擬戦に期待できるな、盛容は久しぶりに気持ちが浮き立つのを感じた。
講師が声を上げて、数分の休憩の後模擬戦を開始することを告げたところで、盛容はわくわくした気分のまま、弟のほうへ目をやった。休憩の間、弟に声を掛けようと思ったのだ。
すると、壁際で佇んでいる弟たちの傍へ、ゆっくりと移動していくいくつかの人影に気づく。
真っ先に目についたのは、鮮やかな緑色の長衣だ。これほど鮮やかな色は珍しい。その緑色の上に大ぶりの金細工の装飾品がいくつも揺れている。これは相当な金のかけようだな、と思ってその女性の顔を見てみると、「いっ」盛容の口から驚きと呆れの混ざった声が漏れた。
夏瑚の護衛も、剣術の授業はとっていたけれど、見学する気はさらさらなかった。当該の時間は夏瑚の授業はない。貴重な空き時間である。やりたいこともたくさんあった。やらなければならないことも目白押しである。
「とりあえず、これかなあ」夏瑚は、先週の論科の顔合わせの際に渡された、紙の束を引っ張り出した。
「何か、見当はついたか?」劉慎がその束の一番上の一枚を取り上げながら言う。
「帳簿には違いないですね。こちらは米について、こちらは麦、こちらは酒。ですが、商人の使う帳簿ではありません」
商人の娘だった夏瑚はもちろん父親がつけていた帳簿を知っている。一通りつけ方を教わったし、つけてみたこともある。他の商人がどのような帳簿のつけ方をしているかは知らないが、夏財と同じように様々な商材を扱っているなら、似たり寄ったりではないか。
「帳簿と言えば商人のほうが詳しいだろうと思っていたが、違うのか」劉慎自身は、側近としての差配と自身の授業で帳簿のほうまでなかなか興味が湧かず、夏瑚に預けたまま、目を通していなかった。
次の予定があると乗月王子が席を立つことで、論科の顔合わせはお開きになった。文字通り、皆が立ち上がったところで、それまで黙っていた昇陽王子の側近関路が、「次回にご持参ください」と包みを渡してきたのである。
ただ次回に持参するだけでもよいのだろうが、目を通しておくに越したことはない。そのあたり、どう対応するのか反応を測られている気もする。持参だけを命じておいて、吟味したうえで考えなり対応策なりを求められる場合もありうるし、逆に沈黙できるかどうかを試されている可能性もあった。
関路が渡してきたと言うことは、昇陽王子の差し金だ。
どちらにせよ、目は通しておかねばならない。
渡された日の夕食後に二人で見るつもりだったのが、夏瑚が眠気に勝てず、まだ日数があると思って延期、翌日は劉慎が所用が重なり時間が合わなかった。その次の日は二人とも他に気を取られており、それぞれ別件を優先してしまった。
夏瑚のほうが時間があったので、ちらりと中身を見ていた。その後、「帳簿らしい」ということは劉慎に伝えた。「それならそなたのほうが詳しそうだ。先に目を通しておいてもよい」と言うことで、夏瑚に渡されていた。
改めてみてみると、父親が教えてくれた帳簿とは違う。扱っている商材は違っても不思議はないが、まず日付と名前、それから面積が記されている。商人の帳簿ではありえない。「反や畝とあるので、その作物の作付面積のように思えますが、その後に続く重量の数値を見るとその面積に比して少ないです」
さらにわからないのが、それらの商材を金に換えるだけではないらしいところだ。
商人ならば、商材を手に入れるのに金を払うので、その値を記入し、売り上げた場合も金を手に入れるのでその値を記入する。偉華では、王政府が通貨を発行してそれが流通しているが、私製銭がまるでないわけではない。いくつかの商人や職人などの協同組合などが保証する手形を発行しているし、それが通貨と同じように取引されていたり、一部の地域ではいまだに貝銭という貝殻を通貨として使っているという。
しかし通貨の値打ちとしての単位は統一されている。だから商人は収支は絶対に通貨の値で記入するはずなのだ。取引の都合上物々交換だったり、労働が対価だったりした場合でも、なるべく通貨に換算して記入する。そのほうがどれだけの価値があったのか、どれだけの儲けが、損があったのかわかりやすく分析しやすいからだ。
劉慎は眉間に深い皺を寄せ、夏瑚の手から資料をひったくった。しばらく矢継ぎ早に紙をめくり続けていたが、劉慎は険しい顔のまま、夏瑚を見て言った。
「これは徴税簿だ。うちの領地のものとは違うが、恐らくかなり小さな集落のものではないか」