公子の兄2
実を言うと、授業が正式に始まる前に、あちこちで訓練する護衛たちを見かけては、手合わせを頼んでみたのだ。
だが、名を名乗ると誰もが尻込みした。公子であることを知って、厄介事になるのを避けたのだろう。模擬戦といえども、万が一怪我でもされれば罰せられるかもしれず、勝っても不興を買うかもしれない。負けるのも、戦闘を生業とする護衛なら恥となる。
公平で、偉ぶらず、おおらかな盛容公子の評判はそれなりに知られていたが、直接会ったことのない人間にまで浸透はしていないし、評判を信じていない者もいる。危険の可能性に近寄りたくないのは当然だろう。
だが、授業は違う。
たとえ公子であっても、王立学園の授業の一環での模擬戦ならば、公子の横車は通らない。通せば授業が成立しないし、王立の権威は損なわれる。公子の我儘は通らないし、護衛たちも模擬戦に参加して、腕を磨かなければならない。
だから、盛容は授業を楽しみにしていた。
特に、目当ての人間が一人いた。
模擬戦に応じてくれる相手を探してふらふらしていて、見かけたのは、裏庭の一つで繰り返し型の修練を行っている後ろ姿だった。
早朝、基本の型ばかりをこなしている。剣術の流派は、その型を見れば、近衛でも採用している東夷流だ。もともとは東方から伝わった刀剣術だが、ひたすら技を重視して修行を繰り返す実力主義の流派だ。国軍の下級兵士たちから人気を集め、実力者が次々に現れたことですっかり主流派となった。
学園の護衛たちも多くがその訓練をしていたが、これほど気迫に満ちた型を見たのは初めてだった。
動きは遅く、その点も不思議だった。大抵の者は素早く剣を振り、次々と型の動きをなぞり、展開していく。
けれどその後ろ姿は、ゆったりと動く。ごく通常の歩いたり振り返ったりする動作よりも遅い。
関節の動き、筋肉の作用はまるで教本のようだ。素早い動きだとともすれば誤魔化されてしまう。いかに正確に型を学ぶか、細心の注意を払っているのだろう。
その後ろ姿を見かけたのは一度きりで、盛容は声を掛けなかったことを悔やんだ。てっきり毎朝同じ時間、同じ場所で鍛錬をするだろうと思っていたのだ。自分もそうだし、そうしている武芸者は多い。鍛錬の習慣をつけることで、体調や上達がわかり、鍛錬を続けるのが容易になるからだ。
論科の顔合わせの際、碧旋の背を見送ったときに、探していた早朝の武芸者だと気付いた。
碧旋は華奢だ。まだ未成年で、女性になる者だと目される程度に細い。
筋肉や付きやすい体質の者は、どうしても筋肉を鍛えがちだ。もちろん技も磨こうとは思っているのだろうが、鍛錬をこなせば筋肉も自然につくし、鍛えれば鍛えただけつきやすい。愚直にやれば結果が出る。
筋肉がつきにくい者は技を磨くしかない。技を習得するには、試行錯誤や天性が必要になる。やればやっただけ力がつくというものではない。逆に才能があれば一足飛びに成長したり、いつまでも何もつかめずに終わることもある。
碧旋は力は弱そうだが、その分技を磨いている可能性が高い。盛容とは違う型の武芸者だけに、学ぶところがあるはずだ。
案の定、剣術の授業に、碧旋はいた。
他に昇陽王子の側近の関路がいた。顔見知りの護衛たちもいる。
見学と称して、乗月王子と側近の扶奏、昇陽王子、弟の盛墨が道場の隅に集まっていた。盛墨と盛容の兄弟は王族に属しているので、新年の祝いなどの行事では、乗月王子や昇陽王子と度々顔を合わせる。特別親しいという意識はない。それでも身内だという感覚があり、見知らぬ人たちの中では自然と寄り集まってしまうのだろう。
乗月王子は真直ぐに碧旋を見ている。
碧旋のほうは自分に向けられる視線には気づかないのか、寝間着のような生成りの上着の裾をまくり上げている。その華奢さや年齢は盛墨に近い印象があるのに、盛墨のように引け目に感じるのではなく、泰然としている。学園で盛墨には親しい友人ができるよう祈っていた盛容は、そう言う意味でも碧旋を値踏みしていた。
王族だろうが公爵家だろうが、碧旋のほうはあまり頓着しないようだ。逆に言えば、碧旋のほうから積極的に近づくこともなさそうだ。論科で接しているうちに自然とつながりができることを期待しよう。
乗月王子の態度は、正直意外だ。
盛容の知る乗月王子は、いつも笑顔を絶やさず、誰に対しても同じ態度で接していた。王にふさわしい振る舞いだと褒める人が多い。臣下に対してはそれでよいのだろう。けれど乗月王子は文字通り、誰に対しても同じなのだ。それが父親でも母親でも。
王家には後宮が存在するため、普通の家庭とは違うのだと言う。盛容も王族に数えられるが、平民とそう変わらない家庭で育っていると思っている。父の公爵は、正室である母があっさりと盛容を産んだことで、側室を娶らずに済ませた。おかげで両親の仲は良く、穏やかな環境で育つことができた。
一応、王の正室は昇陽王子の生母と言うことになっている。だが、実質妃の位にある者はほぼ同格として扱われる。現在第一子の生母は亡くなっており、第二子の昇陽王子の生母が淑妃、第三子の乗月王子の生母が貴妃を賜っている。八年前に生まれた第四子は母子ともに出産時に亡くなり、五年前に生まれた第五子は二歳で逝去した。一応その生母も徳妃を名乗っているが、格式では同じ扱いでも、人や金の集まりが違うので、半ば隠居しているようなものだ。
妃は王宮の中でも内宮の奥に、それぞれの宮を構えて暮らす。妃の子供は主にそこで養育される。父親である王は、それぞれの宮に時折訪れる。そういう環境で育つということが、何を意味するのか、盛容にはわからない。それが乗月王子の態度に影響しているのかも、定かではない。