過去との出会い4
昔馴染みの院長はこれまたあっさりと移動していった。もっとも人前で移動を悲しんだりするわけもないだろう。呂伸と付き合いも、大勢いる孤児の一人にすぎない。院長に特別好かれていると思ったことはないし、例え好かれていたとしても、表に出す人ではないだろうから。
呂伸としては、ちょっとしんみりした思いはあった。ある意味親代わりだったのだ。孤児の最終的な保護者は院長だ。呂伸は大して悪さをしなかったけれど、ある孤児が盗みをして自警団に捕まったことがあって、院長が身柄を引き取りに行っていた。
案外そういう悪童のほうが、思い入れがありそうだと思ったりする。
赴任してきた新しい院長は悪い人ではなかった。
ありていに言えば、事なかれ主義で、揉め事にならない限り、見習いの呂伸にすべてを丸投げした。
「だって、あなたは孤児でしょう?私はそうではないので、わからないところがあるんですよ。あなたの方が、孤児には親身になってやれると思いますよ?」
体よく何を押し付けるところが、前の院長を瓜二つだ、と思う。院長とはそういう人間でなければ就けない役職なのかもしれない。
不満を腹の中で愚痴っているうちに、次々に押し寄せる仕事をやっつけていた。とにかく片づけられるものをすべて片づけていかないと、落ち着いて後悔する暇もない。見習いになったことをゆっくり考える間もないまま、見習いがとれ、正職員になり、それを深く考える間もないまま、少しずついろんな仕事と役職に就かされた。
僧侶には向いていないと思いつつ、上司である僧侶たちを見ていると、誰もが僧侶らしくないことに気づく。中には、「なんでお前の前で聖職者ぶらなけなんないんだよ」と毒づく先輩までいた。
そう、皆「僧侶」らしく信者の前では振舞っているだけだった。
年季が入っていればいるほど、その演技は完璧で、身内である呂伸の前でも敬虔な振る舞いを崩さない人もいる。その方は本当に尊いのだと信じたかったが、「あいつの若い頃は、わしより酷かったぞ」と暴露する上司がいて、その方が一瞬上司を睨みつけた眼力に、震えが来た。
隠れてこそこそ酒を嗜む者や、娼館に通う者、自室の床板の下に金を隠す者、枚挙にいとまがない。
いっそ自分の方が立派なのではと思う時すらある。
それでも上位に上がる僧侶たちは欠点はあっても、どこか感心させられる気質も持ち合わせていて、だから教会は組織として成立できているのだと思えた。
教会に属して孤児院の仕事をこなしていると、自分が孤児であるということが、いつの間にか引け目に感じることはなくなっていた。確かに新しい院長が言う通り、名家の子供には理解できないことが多い。呂伸には、孤児たちが何に悩むのか、よくわかっていた。良いと思うことを全部してやる資金はない。効率よく少しでも孤児たちの身になるように金を使うには、優先順位を付ける必要があり、呂伸の判断は的確だった。
孤児院の院長に就任が決まった時、改めて呂伸は自分の居場所が今自分が立っているところだと自覚した。
自分に家族がいないこと、家族を持てなかったことを振り返ってみても、懐かしい感情が湧くだけだった。そういうことを思っていたことがあったな、という感慨があるだけだ。もう、自分には家族はできないだろう。孤児たちは家族ではない。教会の僧侶たちは家族ではない。
しかし、何と名付ければよいかはわからないが、繋がりはある。呂伸はそれらの繋がりの中で生きている。
今、昔恋しいと慕っていた女が目の前にいる。
流石に記憶よりは痩せて、やはり年を取っていると思う。
てっきり先代侯爵のもとで幸せに暮らしていると思っていたから、なぜこんなところにいるのだろうと不思議に思う。
彼女がなぜ侯爵家を離れて、女主族として暮らしているのかは知らない。でもあのように恵まれた環境を捨てたのだから、何か余程のことがあったのだろう。
あの頃は、自分は彼女に捨てられたような気がしていた。今となればそれは間違った思い込みだということがわかる。
彼女と結婚したいと思ってはいたが、それは家族が欲しいと言う自分の希望を叶えられそうな相手だと思っていたからだった。彼女を好きだと思う気持ちはあったけれど、同時に田舎とは言え、名家と呼ばれる家で育って、孤児の呂伸の気持ちや境遇に対して無頓着な彼女には不満もあった。噛み合わない部分をお互いに感じていたのだろう。だから、すれ違って別の道を歩くことになったのだ。
院長は特に動揺することもなく、程元が今は女主族として暮らしていることを聞いていた。
この様子だと、程元の子供が自分の子供だと考えたこともないようだ。程元が出産したのは侯爵家の庇護下に入ってからだから、外部の人間では、彼女がいつ出産したのか、はっきりしたことはわからない。情報が外部に出るとしても、ある程度遅れて流れるだろうから、まさか自分の子供である可能性があるとは考えないのかもしれない。
 




