炎上4
夏瑚は幹に手を滑らせて、何か印を探した。
この木が女神の木で、女性たちの援助の証であることはまず間違いない。ただ、ここに何があるのかはわからない。今の状況を変える手立てになるかも、はっきりしない。それでも、確認はしておきたい。
幹のざらざらした表皮には、特に変化は見当たらない。色が違うとか、何かが刻んであるとか、夏瑚はじっと目を凝らしたが見つけることができなかった。
姫祥と程元も木の幹を精査している。
顧敬は少し離れたところで、ぼんやり突っ立っている。「ここから離れよう」と言っているが、3人に無視されるので声に力が無くなってきている。気の毒になってきて、「この木は目印みたいなの。少し待ってくださらない?」と声を掛けた。
「いや、しかし」「お願いします。もう少しだけ。火の様子を見張っていてくださいませんか」反論しようとする顧敬に被せるように指示をする。何かをしてもらっていたほうが気が紛れるだろうし、火勢が激しくなってきたら、諦める踏ん切りもつく。
幹には特に変わった点は見当たらない。
夏瑚は今度は根に注目した。周囲の土にも目を配る。しかし、違和感は感じない。
しばらく地面を見つめていたが、また幹に視線を戻す。
姫祥や程元も何も見つけられなかったようだ。二人が夏瑚を見て首を振る。
夏瑚がこれはいよいよ道を戻るほかない、と考えたときだった。
「碧旋!」
顧敬の声に、3人は道の奥を見た。狙い澄ましたように碧旋が現われ、顧敬が場所を譲った。
「支所の玄関の消火に手間取っているから、しばらくかかる。ただ、禅林の方から応援が来たから大丈夫だろう」
「この近くにも着火したの」夏瑚は報告するつもりで声を出すと、自分でも驚いたことに声が震えていた。
碧旋の目がさっと周囲を見回した。その視線が夏瑚も戻ってくると、碧旋の手が夏瑚の肩にそっと置かれた。
「あれは、女神の木?」と碧旋が呟くのに、夏瑚と程元が驚く。碧旋はその行動はあまり女性らしくないが、女性としてその知識を教えられたのだろうか?
「そうみたい。でも、目印は何もなくて」「あれは、あの形そのものが目印なんだよ」と碧旋がこともなげに言う。碧旋は肩越しに後ろに振り向いて、「顧敬、手を貸せ」と言った。
顧敬が近づいてくると、碧旋は女神の木に歩み寄っていく。そして幹に手をつき、顧敬にも同じようにさせた。「力いっぱい押せ」
碧旋が声を掛けると二人は揃って幹を押し始めた。生木なら少しくらい押したところでどうにもならないと思うが、これは枯れ木だ。もしかしたら中身は虫に食われてがらんどうになっている可能性もある。夏瑚が見たところ、そんな痕跡はなく、きれいすぎるくらいきれいだった。
二人揃って押し始めると、あっという間に幹は傾き始めた。根が張っているように見えたが、見た目だけだったらしい。顧敬が大きく息を吐くと、幹は横倒しになった。後ろには蕁麻の茂みがあったらしく、幹はそれを押し潰してしまった。
蕁麻の茂みが目隠しの役目も果たしていたようで、幹がそれを押し潰したことで、前方が開けた。
「道…」姫祥がぽつりと言う。幹の後ろには、ここまで続いていた細い道が続いているようだった。
別に舗装されているわけではないし、周囲に柵もない。しかしただ放っておけば、確実に草が生い茂るはずの空間に、平らにならされた地面が続いている。人の手で保持されているはずだ。
この道が、女神の加護か。
道の最終到達地点はわからないけれど、現状では、火元から遠ざかることができる。
碧旋が倒れた幹の上に乗り、向こう側へ移動していく。幹はぐらつくということもなく、安定しているようだ。姫祥と程元を渡らせ、夏瑚も促されてその橋を渡った。顧敬も間を置かずに幹を渡ってくる。
「このまま進もう」と碧旋が言うので、皆歩き出す。
夏瑚が足を踏み出す前に後ろを振り返ると、支所の屋根から、炎が立ち昇り始めたのが目に入った。
「女神のこと、知ってたんだ?」夏瑚は碧旋に聞いた。隠さなくてはと思っていたが、碧旋は知っていたようだ。顧敬の前でも特に躊躇う様子はなかった。それを見ると夏瑚も隠さなくてもいいか、という気持ちになった。
「まあ」と碧旋は返事をした。その目は油断なく、周囲を観察している。
「この先、どこに通じているか知っているか?」碧旋は夏瑚には目もくれず、程元に向かって聞く。「いえ、存じません」「この道のことは?」「こんな道があることすら知りませんでした。支所に来ることも滅多にないので」
「とりあえず火からは避難できそうだ」と碧旋は呟く。「女神の印なのだから、変な所には行かないでしょう」と夏瑚が言ったが、碧旋の表情は硬い。
とりあえず固まって進むことになる。先頭は碧線で殿は顧敬なのは変わらない。碧旋は小まめに立ち止まって、周囲を確認している。
夏瑚も一緒に周囲を観察していると、斜め前方の木々の上に尖塔の屋根らしきものが見えてきた。
夏瑚は記憶を手繰り寄せる。禅林で、あのような尖塔を見た覚えはないが、何かの陰に隠れていたのだろうか。木々の上に少しだけ先端を覗かせているところを見ると、それほど高い尖塔ではなさそうだった。




