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本音4

 程元は自分で選択しなかった。ただ、状況に流され、受け入れた。

 呂伸に愛着を憶えながらも、不満を持ち、彼と一緒になる覚悟を持てなかった。

 侯爵に圧倒され、その地位に怖じ気づきながらも、拒否しなかった。拒んでも無体なことをする人ではないとわかっていたけれど、呂伸に抱いた不満が解消されることを感じて、手放せなかった。


 先に一線を越えたのは先代侯爵とだった。程元は先代の希望で、翼棟の女中になった。当代夫妻が暮らす本棟では主に選択をする下女だったが、右翼棟の居室を掃除する女中に配置換えになったのだ。これは出世といえた。拭き掃除もあるが、水を触る回数がぐっと減り、手荒れは治った。

 下女には当主家族に会う機会はあまりないが、女中は違う。

 別棟には先代侯爵が一人で住んでおり、彼の従者と護衛が数人と、棟の筆頭管理者である家政婦、掃除や雑用をこなす女中が4人いる。下女はいない。洗濯などは本棟と両翼棟まとめて回収されて、洗濯下女に渡される。


 食事も厨房から本棟の食堂に運ばれる。基本的に家族はそこで食事をする。使用人は使用人用の食堂で食べるので、右翼棟には料理人たちはいない。

 先代侯爵の身の回りはひっそりしていて、護衛も四六時中先代についている必要はない。出入り口に立ち、定期的に巡回するのが仕事になっている。

 そのような環境だから、掃除をして回る女中を先代が気まぐれに呼びつけても何も問題はない。雑用も女中の仕事のうちなので、本の整理を手伝わせたとでも言えばいい。いや、誰に言い訳する必要もないのだ。


 お手付きになって、程元の扱いが変わった。

 表向き侍女見習いとして遇されることになった。侍女は女性の使用人の中では上位の地位で、正式に侍女になれば家政婦とも対等になれる。家政婦は女性の使用人の中では最高位なので、別格の扱いとなる。ただ、侍女には部下はいない。ひとりひとり独立して存在しているようなものだ。そのため、侍女は割合に身分のある家の出身者が多かったりする。


 そもそも侍女がいるのも貴族の家ならではだ。平民ではいくら金があっても侍女は雇えない。

 侍女は教養が必要なのだが、程元にはそれがない。だから見習いだし、本当の侍女と言う訳ではなく、先代侯爵の妾として他の使用人と区別されたということだ。

 給金も増え、直接の上司がいなくなった。つまり基本的には先代侯爵の命令だけを聞いていればよい、ということだ。


 それは有り難くはあったが、下女の頃の同僚たちからは距離を置かれた。

 その頃の程元は孤独だった。同僚がいない立場になり、家政婦や従者など挨拶を交わす程度の人間はいても、自分の心の内を打ち明けられるような相手はいない。

 先代侯爵はお仕えする相手であって、自分の悩みを打ち明けられるはずがない。増してや、先代侯爵との関係と、それまで付き合ってきた呂伸との関係を相談するわけにはいかない。下手すれば放逐されるかもしれないのだ。


 呂伸にも会えない。程元は半ば呂伸とは別れることになると思っていた。先代侯爵との関係が一時的なものであっても、二股の状態は危険だ。監視されているわけではないので、ばれないかもしれないが、ばれたときのことを考えるとそこまで呂伸との関係を続けるつもりはなかった。

 ただ、別れを告げる決心がなかなかつかなかった。呂伸自身が見習い兵士から兵士になり、周辺の集落へ出張を頻繁に熟していた時期でもあり、会う機会も少なかった。


 会えない間に程元は何とか覚悟を決めた。日に日に先代侯爵は程元を 恋人として扱うようになっていった。先代侯爵に優しくされる度に、呂伸と別れなければと危機感が募った。

 ようやく呂伸に会う手筈が整った。程元は緊張して呂伸に会い、何とか別れを切り出した。

 呂伸の態度は予想外だった。無口なので、黙って去っていくことを想像していたのだが、それは程元にとって都合の良いように考えていただけだったらしい。


 呂伸は泣き、縋りついてきた。言葉はない。ただ悲し気に、ぽろぽろと涙を流す。

 程元は別れを告げて何度か謝罪し、慰めの言葉をかけた後、何を言えばいいかわからなくなった。先代侯爵のことは隠したいので説明はできない。謝罪も慰めも、程元が言うと偽善的過ぎて流石にこれ以上は口にできなくなった。

 茶店の席を立ち、会計を済ませた。これまでは呂伸が払ってくれていたが、別れるからには奢られるわけにはいかない。

 程元が店を出て行くと呂伸が我に返って、店を飛び出してきて、程元に走り寄り、抱き着いてきた。


 程元が流されたのは、呂伸に対する罪滅ぼしのような気持ちだった。初めて自分に興味を持ってくれた人に対して、そして裏切ってしまった相手に対して、せめてもの償いのような行為だった。

 結婚せずに先代侯爵と関係を持ったことで、誰かと性的な関係を結ぶことに抵抗感が薄れていたのかもしれない。

 程元は先代侯爵との関係を選んだのだが、その関係も所謂日陰の関係なのだ。この先、親に報告できるような出来事もあるかもしれないが、凡そ胸を張って故郷に帰ることができるか、わからないのだ。

 もし、この先先代侯爵に捨てられることになれば、程元は世間に顔向けできない女として生きていくことになるだろう。女として一番の値打ちを失ってしまったからだ。

 だから、程元自身もどこか投げやりになっていたのかもしれない。自分ではもう価値を感じられないものを欲しがる相手に、それほど欲しいならば特に惜しくもない、とでも言おうか。

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