聖母ともう一人の養子4
「そうだろうな」顧敬は一人頷いている。「養子に迎える侯爵家としてはそう考えるのだな」碧旋は自分の顎を軽く摘まみ、考え込んだようだ。
「何の利益ももたらさない者を家に受け入れたりするはずがない。養子とは言え、家の名を名乗らせるのだから、当然貴族としての地位とそれに伴う特権を享受することになるし、何か問題を起こせば家の名に傷がつく。養子を迎えるには危険も伴うのだ」
「私の場合、父がその方がよいと判断したのです。侯爵家に私を守ってもらう方が」
それは夏瑚の判断でもあった。
貧しい環境に生まれた聖母は、大抵の場合、よそに売られるような形になることが多い。家族では守り切れず、誘拐されて聖母を欲している人間に売られる。もちろん法に反しているから、見つかれば売買した人間は処罰される。それで、そういう聖母は幽閉されることになる。ある意味殺される方がましかもしれない。殺されることはないし、死なないように食事やそれなりの環境は与えられるにしても、子供を産ませるためだけに男と接して、それ以外の人間との接触は断たれて生きるしかない。
そういう境遇の聖母は時折発見されると聞いた。隠し通すのは難しいようだ。一つには、聖母は生まれたときにすぐそう判別できることと、そのために誘拐されたことが周知されること、そしてこれが一番大きな理由だが、聖別院が聖母を集めているからだろう。
聖別院は、その名の通り成人の儀式を司り、男と女に分化することを「神の恩寵」と説いている。それによって新たな命を授かるのだから、神の起こし給う奇跡だと。
そして聖母の存在も、神の御業の一つ、人に神が与えた恩寵である。出産のために命を失うことのないように、神の力を分け与えられて生まれてくるのだと。
それで聖別院では、聖母は保護され、寺院に集められ養育される。孤児だろうが貧しかろうが、清潔な環境で、食事も教育も与えられ、一定の役割も与えられる。
その役割は結局、子供を産むことなのだが。
夏瑚は、その点に関しては寺院だろうがあまり変わらないと内心思っている。相手は信者から選ばれるし、体調にも気を配り、出産の周期も一年以上は空けると聞いているが、聖母自身が相手を選ぶわけではなく、また十人くらいは産むことになるらしい。そのあたりのことに聖母の意思がどの程度反映されているのか怪しいものだ。
夏瑚のように実家にそれなりの力や金がある場合は、他の子供と同じように親が育てることになる。他の子供よりも誘拐の確率は上がるが、力や金がある家の子供ならある程度の危険はあるのが普通だ。親も護衛などを雇ったりして、それに対応できるのだから。
そういう家の他の子供も、結婚は必ずしも自由ではない。むしろ聖母の場合、性別自体は決まってしまっているために、面倒が少ないようにも思う。
結構あるのだ、本人は男になりたいと思っていたのに、有力者との縁談が持ち上がり、断れずに女になることを半ば強制されることが。
出産適齢期に達した聖母には、まともな縁談も殺到する。危険もさらに増す。結婚したのちでも、誘拐の危険性はついて回る。聖母が出産できるということもあるが、女性の数が少ないのが一番大きな原因だろう。しかも普通の女性は女性になった途端結婚し、若くて体力のあるうちに一人か二人の子供を産んで、それ以上子供はもうけない。それ以上は死亡率が上がるからだ。子供も出産時に命を落とすことが多いので、そういう女性を子供を産ませたくて誘拐しても悲惨な結果になるだけだ。
そういう事情で、平民の家庭では、結婚して初めの二~三年は妻の身辺に気を付けるものの、それ以上経つと警戒しなくなる。例えば店に立って接客などし出した妻は、もう子供を産むことはないということだ。
聖母は狙われ続ける。その長い出産可能期間中警戒を続けるのは、平民では難しいだろう。寺院に頼るか、貴族に頼るか、ということになる。
「寺院では、家庭を持つことはできません。貴族なら、副妻であっても、自分の子供を育て、家庭を営んでいくことはできます。正妻になることも可能です。それには実家の後ろ盾と、更に正妻としての勤めを果たすだけの能力が必要になりますので、父は私に教育を施し、貴族との縁を求めたのです」
「妥当な判断だ」顧敬が呟く。
「私も夏瑚殿と同じ立場だと思われているのだな」碧旋が言い、顧敬に視線を向けた。「だが、私はただの未成年だ。特に誘拐される立場ではないと思うが」
「学園に入学するには、王族の血縁であることが条件だ。つまり侯爵以上だと規定されている。そのために縁を求めたのではないのか?」
「確かに学園に来ることが目的だった」「ならば、その代償が必要だろう」
「そのために自分の一生を棒に振る気はない。侯爵家の意向に沿って、自分を変える気はない。私が学園に来たのは、実父の遺言だと聞いたからだ。入試に合格したならば、学園に行くように養父に勧められたこともあったし。入学の際に侯爵に助力を願ったのは、実父の伝手があると聞いたからだ。まさかそんな思惑があるとは思っていなかったからな」
「こちらが助力したことに違いはない。お前の認識が甘かったというだけだろう」顧敬は苦い口調で切り捨てた。
「侯爵はそんな話はしなかった。お前の考えは本当に侯爵家の総意なのか?少なくとも侯爵とは違うはずだ」碧旋はきっぱりと言った。「侯爵が私にそのように求めるのであれば、こちらも身の処し方を考える。確認しろ」