支所の見通し4
「それでは、成人の儀はどうしているのですか?」夏瑚の疑問に、昇陽王子は再び書状に目を落とした。
「禅林の教会で受けているそうだ」
「では、その教会に視察の要望を出しましょう」劉慎が早速席を立って、遣いを頼んだ。いつまでも禅林に滞在するわけにはいかないので、なるべく早く約束を取り付けたい。
いつでもお越しくださいという、本気なのか軽く考えているのかよくわからない返答があったので、これ幸いと一同で出かけることになった。
道すがら、禅林の街並みを眺めながら、盛墨の解説を聞く。みなそれぞれ事前に下調べをしてきたようで、自分の知っていることを教え合う。
知りたいことも質問し合い、知っているものが答える。流石にここを推薦した馬州侯兄弟が詳しい。
通りを歩いていると、何人もの女とすれ違う。若い女が多い。成人したてのような幼い人から、もう少し年上の小さな子供を持つ若い母親くらいの年恰好の女がほとんどだ。彼女たちは歓楽街の住人のようだ。
禅林に来たからには歓楽街は避けて通れないと思うのだが、夏瑚を連れて行くのは難色を示された。しかし、女だからこそ見えてくるものもあると思うので、王子たちを説得した。
「別に女を買いに行くわけじゃないんだから、いいんじゃないか?」と碧旋が言い、雰囲気が変わった。劉慎は渋い表情だったが。
訪れた教会は、予想外に立派な建物だった。華美ではないが、要所要所に大理石などを使い、窓に玻璃を填め込んで、日差しが神秘的な雰囲気を作り上げている。柱や床石はよく磨かれていて、掃除が行き届いていることが窺える。
ちらほらと行き交う参拝者を眺めながら、一行は門を潜った。
門を通り過ぎると石畳の道が聖堂へ続いている。
扉は大きく開け放たれて、奥に設えられた祭壇が玻璃を通した光に照らされて、浮き上がって見えた。祭壇の中央には神像が据えられている。
聖別院が主に辛抱するのは両性を司るとされている亜瑠という神だ。
偉華は多くの神を祀っている。
人々はそれに特に疑問を持たず、それぞれ、自分で選んだ神に祈ったり、祀ったりしている。あまり関心のない者もいるが、神に対しては失礼のないように気を付けているのが普通だ。深く信仰はしていなくても、その紙が存在していないとは思っておらず、下手なことをすると天罰が下るかもしれないと警戒する程度にはどの神のことも信じている。
神の出自も性格も様々だ。
偉華の王家では、始祖の伝説に従い、霊山に御座す山の女神風琉とその使いとされる鵬を一番大切にしている。それで多くの民がそれに倣っているが、地方や職業、家系などにちなんで祀る神を決めている。
夏瑚は、商家の出身なので、商売の神我念に馴染みが深い。しかし信仰しているというほどではない。それには母親の影響が大きい。母は、神というものを一切信じていなかったからだ。
しかしそれを他人に見せることは余計な揉め事を招くからと、他人の信仰には敬意を払うように夏瑚に教えてきた。
夏瑚はその亜瑠という神の像を観察する。素材は薄く桃色がかった大理石のようだ。向かって左半分が女、右が男である。その歴史的価値はわからない。美術的な価値も夏瑚には判断できない。
どちらかと言うと、その神像の下に敷かれている布のほうが気になった。鮮やかな紅で、これは最高級の紅花を使って何回も染め出した色だろう。縁には金糸で飾り刺繍が施されている。
像の両脇に設置された燭台も、かなり手の込んだ物だ。
夏瑚が金目のものを探している間に、一行は祭壇の前に辿り着き、昇陽王子が跪いて祈りをささげると、他の者もそれに倣う。
全員が立ち上がったところに見計らったように、僧が一人近づいてきた。
年齢は中年と言ったところか。聖別院の僧の階級は、大まかに一般僧、役付き、教会長、地区長などが知られている。夏瑚たちは一応馬州の役人という身分でここにいるので、役付きあたりが出てきてもおかしくはない。
一行は僧と挨拶を交わす。式長と名乗った僧は、どうやら協会が主催する儀式全般を監督する役職に就いているようだ。外部の人間と接することが多そうな役職なので、出てきたのかもしれない。
当然、成人の儀についても詳しいはずだ。
「確かに、女主族の成人の儀も、ここで行っております」と式長は一行の質問に答える。
一般に成人の儀はお祝い事であり、地域社会にとっても成員が増える大事なものなので、集落ごとに季節ごとや集落ごとなど、ある程度集団で行い、お祭りとして賑やかに行うことが多い。
と言っても、お祭り騒ぎをするのは、一番初めの儀式だけで、二回目からは、個人的に教会から呼び出しに応じて、面談が行われるらしい。
聖水も様子を見ながら、数回授与される。数週間から数か月、そのような期間を経て、性別が落ち着いてきたら、晴れて成人の儀は終わる。終わった時は家族でお祝いをする者も居るようだが、終わる時期がまちまちであるためにお祭りにはならない。
教会側にとっても、時間も手間もかかる儀式なのである。




