支所の見通し3
「甘屯?」夏瑚は首を傾げた。夏瑚はちょっと地理に疎いようだ。「甘屯は洗礼派の本拠地です」と盛墨が解説してくれた。
洗礼派とは、聖別院の分派だ。
聖別院で内部紛争が起こったのが30年ほど前のことだと言われている。そこは公開されていない部分なので、何が発端だったのか、どういう争いがあったのかははっきりしない。かなり長い間ごたごたとして、一時は人が死ぬような争いもあったようだ。20年ほど前に、陶県の三つの教会が聖別院を離脱した。
宗派内で揉めることは、実は珍しくない。
夏瑚たちの友人である僧侶も謂わばその当事者だ。揉め事も一方の数が少ないと、追い出されることになる。僧侶は自分のお付きの者だけを連れて、住まいを移し、自分で寺院を創立した。
洗礼派はそこそこの勢力があった。聖別院の体制や布教の姿勢に大きな不満があった神官たちが、こぞって立ち、教会区を切り取ったのだ。
教会区というのは、一つの教会が担当している地域のことだ。その地域内の子供は、その教会に成人の儀を受けに行くことになる。誕生の祝福、葬儀まで、教会区の人間はその担当教会に依頼することになる。もちろん別の寺院に行くという者もいるだろうが、婚姻式を別の寺院で行っても、その子供の成人の儀は、担当教会に受けに行くことができるところもある。
そのあたりは個々の教会の裁量に任されている。他の寺院と共存していく方針の教会ならば、信者の定義はかなり緩いので、成人の儀以外は他の寺院で受けるという話も多い。
しかしもともと聖別院として成立していた教会が、教会区ごと別の宗派になるというのは前代未聞のことだったらしい。この一件がただの揉め事ではなく、聖別院という宗派を分裂させる事件だったということだ。
そのうえ、教会ごと分裂したおかげか、新しく成立した分派は、独自で成人の儀を行うことができた。この最大の利点を生かして、洗礼派と名乗る分派はみるみるうちに勢力を拡大した。
今は甘屯を本拠地として、教主を据え、陶県のみならずその近隣にも影響力を伸ばし、宇州の半分ほどを傘下に収めているという。それだけではなく、その影響で、聖別院から分離し、洗礼派に合流する教会がいくつか出現した。
教会ごと分派したところは、そのまま神官も移籍し、成人の儀も変わりなく行われている。
海州にも洗礼派の教会があった。夏財の家の近くにあったので、夏瑚も知っている。その街は海州の第二の都市と言われている町だったが、夏瑚の知る人たちは皆困惑はしていたものの、依然と変わらずその教会へ通っていた。成人の儀も、変わりなく受けていた。
教会ごと分派すると、成人の儀は続けられるということは、その教会で成人の儀を司っている役職者が残留するからだろう。聖別院で一番民に関わりがあるのは、この儀式だから、実行できるかどうかの違いはとても大きい。
夏瑚は女主族の教会では、どのような成人の儀を行っているのだろうか。それがわかれば、女性が多いわけがわかるのではないか。聞いたら教えてくれるとまでは思わないが、万が一にも手掛かりをつかむことができたらと思う。
実は以前から夏瑚は成人の儀にも、教会の内実にも関心を持っていた。
しかし一介の商人の娘が得られる情報など限られている。夏瑚は『聖母』なので、教会側から接触してきたこともあった。儀式に参加してほしい、などの要望が多かったが、中には『聖母』の能力について教会が持っている情報を教えるから、夏瑚の現状の情報を共有したい、というようなものもあった。
これは母が断固として拒否した。父の夏財は『聖母』について勉強しておいたほうがいいのではないかと説得しようとしたらしいのだが、「この子はただ女の子というだけ。普通の女の子よ。この偉華の人間のほうが違っているの。私は子供の頃から性別があるところから来たんだから、幼い女の子のことだってわかっているわ。あんたたちにとっては珍しいかもしれないけれど、幼い女の子を観察しようだなんて、キモチワルイ」と盛大にぶちぎれられたらしい。
夏瑚も教会には警戒している。
姫祥のこともあるし、お世話になった僧侶のこともあって、教会には好意を持てない。敵、とは言わないまでも、遠ざけておきたいし、そのために役立つかもしれないので、情報が欲しいのだ。
貴族の養女になることで、教会の圧力は躱せるようになったと思う。
姫祥は一生夏瑚の侍女をするつもりはないが、夏瑚や羅州侯爵家との繋がりがあれば、少しは教会も遠慮するのではないか。わざわざ揉めてまで手を出す価値があるとは思えない。
学園に入学することで、まさか教会の情報を得る機会があるとは思っていなかった。女主族のことは、もともと詳しかったわけではないので、教会と繋がるとも思いついていなかった。
扶奏はぶつぶつと言ったが、昇陽王子たちは特に気にした様子はなく、教会のほうに質問してみると決まった。
甘屯という洗礼派の本拠地で生まれ育ったという扶奏は教会の争いを見てきたのだろうか。
二人の王子の名で、女主族の支所と、禅林の代官所に書状を届けてもらう。禅林の代官所からは、すぐに禅林の教会への紹介状が届き、連絡も入れておいてくれるとの返答があった。
対して、女主族からは族長の名前で返信があった。それを拡げた昇陽王子は何とも言えない表情になり、「女主族の居住地内には、教会はないそうだ」と書状を読み上げた。




