前触れ6
慌てて劉慎に駆け寄り、跪くのを止める。
劉慎は夏瑚の代わりに謝罪しようとしているのだ。夏瑚の態度は、王族への不敬と取られる恐れがある。だから夏瑚を庇おうとして、義兄の劉慎が跪こうとしていた。
両王子も、碧旋もこれまで王族に対する扱いを求めてこなかった。学友として接するように言われてきた。ある程度は夏瑚たちもそれに応えてきた。一緒に野営などすれば、宮廷での礼など鬱陶しいだけだし、王族としても親しく付き合う方が気楽な時もある。
ただし、それも一定の礼は保っていたと思う。
事前に許されていても、過剰に馴れ馴れしくすれば不快感を招く。それでは本末転倒だ。
だから気を付けていたはずだった。
碧旋に対しては、崩れていたところはあると思う。何せ、相手が無礼なのだ。それに碧旋が王族であることを知っている者は限られている。表向きは侯爵家の養子であり、夏瑚とは身分の隔たりがない。同等に接しても問題はないはずだった。
それもこれも理解していたはずなのに。なぜか、感情の抑えが効かないような。
これは自分の過ちだ。義兄に自分の代わりをさせるのは忍びない。跪くのならば、自分だ。
夏瑚は劉慎の隣に蹲ってしまった。跪くと言うより、尻を床に下ろしてしまっている。これはみっともないから、令嬢としてはまずい姿勢だ。背筋も伸ばせず、両手も床についてしまう。
高級な宿なので、床は掃除されてはいるものの、やはり綺麗とは言い難い。
腰を上げて、背筋を伸ばして手は交差させて胸に当てる。「言葉が過ぎました。お許しください」と口にしたところで、視界が揺れた。
腕を掴まれて我に帰る。
気がつけば、碧旋が片手に夏瑚、もう片手で劉慎を掴み、引っ張り上げる。
「碧旋がそこまでせずともよい」乗月王子が呟いて、額に手を当てた。
昇陽王子が乗月王子をじっと見て片眉を上げる。
劉慎から手を離した碧旋が、まじまじと夏瑚の顔を覗き込む。「こいつ、変だ」碧旋が夏瑚を指さし、頬に手を添える。「少し体温が高い」
「旅の疲れが出たのでしょうか」劉慎は姫祥に夏瑚を任せようと振り返る。
姫祥は壁際の棚に手をついてうなだれている。「姫祥もか」
「伝染病か?」盛容が立ち上がって、「昇陽王子、乗月王子はどうだ?」と聞く。「私は何ともない」昇陽王子は素早く答えるが、乗月王子は額に手を当てた姿勢のまま固まっている。扶奏が素早く駆け寄り、体を支え、「お休みください」と言って、寝台の方へ連れていく。
「盛墨?」盛容が声を掛ける。
「はい?」盛墨の返事を聞いて、一同一瞬気を緩めるが、碧旋が「盛容、盛墨を見な」と言う。
盛容が近づいてみると、肘をついて顔を支え、焦点のあっていない目で盛容を見上げる。「あ、こりゃ駄目だ」と盛容が唸った。
碧旋が劉慎に夏瑚を任せ、「寝台に」と促す。碧旋自身は姫祥に話しかけ、肩を貸す。劉慎と碧旋、盛容も盛墨に手を貸して、夏瑚たちに割り当てられた部屋へ連れて行った。
昇陽王子は、宿の者を呼び、医師を呼ぶよう頼んだ。碧旋達が患者を寝かせて戻ってくると、「何の病気だと思う?」と王子が質問した。
「わからない」碧旋は肩を竦めて答え、昇陽王子は他の一人一人の顔を順番に見た。みな首を振る。
一同は症状を突き合わせる。「顔が火照っていた」という碧旋。「そうだな、熱がある時の顔だった」と盛容も言う。「姫祥は怠いと言っておりました」「乗月はどうだ」「眩暈がすると」
「熱がありそうな症状だな。風邪だろうか」と昇陽王子が考え込む。
しかし、他には咳もなかったし、鼻炎も患ってはいないようだ。湿疹なども見る限りはなかった。
「同じ時点で発病したみたいだ。感染したのも同じか」碧旋が呟く。「心当たりはないか」「潜伏期間がわからないからな」
「ここへ来るのに、ずっと一緒に行動していましたね。だから同じ時点で感染したとすれば辻褄が合います」劉慎の言葉に「だが、それは我々も同じだ」昇陽王子が指摘した。
「他にも症状のある者がいないか、探そう」碧旋が部屋から出て、宿の外で周囲を警戒している護衛たちのところへ向かった。盛容もついてきて、護衛たちに症状がないか尋ねた。
護衛たちは誰も体調を崩してはいなかった。
碧旋は代官所、官警詰所、女主族の支所にそれぞれ護衛を派遣して、病気の報告がないかを調べるように命じた。この町の医師や薬屋にも行って、病気が流行していないかを探るように伝える。
二人が部屋へ戻ると、宿の者が医師を一人連れてきた。
かなり年配の男だが、動きはきびきびしていて、受け答えも素早い。「疲れが出たのでしょう」と言いつつ、「4人同時に、と言うのが気になりますな」と言った。
「何か、この4人で同じ行動をしていましたか?例えば、同じところへ行ったとか、同じものを食べたとか」
「同じように行動しているが、我々も同じ行動をしているのだ」昇陽王子が答える。「ここ数日、基本的に全員同じところへ行き、同じように行動している。我々も発熱するだろうか」
「可能性はございますな」医師は、王子たちの喉や目を見て、耳の下あたりを触った。「ここにおられる皆様は発熱はしていないようですな。体力のない方が発熱したのかもしれません」




