前触れ3
「地図の情報が足りない」盛墨が言った。「火の出た位置だけでは何か法則があるようには思えません。もっと地形や街並みに意味があるかもしれない」
いま卓上に広げられているのは、女主族の居住地域と禅林の市街地の外周を線で囲み、大通りと代官所や支所などのいくつかの施設を書き込んだだけの簡素なものだ。
基本的に地図は各領主で保管されて外部には秘匿されているものだ。だから、女主族の居住地を詳細に描いたものは出回っていないし、禅林のものでも、全体を詳しく描いたものはないだろう。観光地ではあるので、歓楽街として有名な娼館や食事処、土産物屋などの位置関係を記した地図は結構簡単に手に入るが。
碧天たちも情報をさらに集めてくるだろうとのことなので、一度、散会して休憩することになった。
夏瑚は姫祥と盛墨と、割り当てられた部屋に引っ込んだ。
部屋は広さだけは十分あった。寝台が四つ、扉の近くに椅子が二つ、小さな卓はが一つあった。絨毯などはなく、窓に日除けなどもない。寝具だけはそこそこの品質のものが使われていた。
一番奥の寝台を盛墨に譲り、窓に紗をかける。天井にところどころに設置されている金具に天幕に使っている厚手の布を吊るす。それで寝台の間を仕切る。
本来なら公子は続き部屋の奥に寝室を設えるものだろう。しかし王子たちも続き部屋をそれぞれ一つずつ、それももう一台寝台を入れて、盛容と扶奏が傍に控えることになっている。もちろん普段なら有り得ない。しかしそれくらいは野営を思えば我慢できる範疇だ。
普段夏瑚は一人で寝室を使っていて、侍女の姫祥も個室を持っているが、野営して、同じ天幕で眠ったこともあるので、二人の間には仕切りは作らないことにした。
残るもう一つの寝台は碧旋のものだ。夏瑚は戸口に一番近い寝台を碧旋と勝手に決めて、そこはひとりになれるようにぐるりを囲った。
盛墨は疲れてしまったようで、弱々しく断りを入れると寝台に潜り込んでしまった。
それに気を使って、夏瑚も大人しくしていることにした。自分の寝台に腰を掛けると、姫祥が近づいてきて、声を潜めて囁いてきた。「ちょっと気になることが」
姫祥がまず気になったのは、碧梓の家の厨房でよろけた程元を支えたときに、その腕が濡れていたことだった。
手ならば、ちょっと洗っただけと考えられて不自然ではない。しかし、姫祥が触れたのは上腕で肩のすぐ近くであり、しかも衣の上からだったのだ。つまり服も濡れていたということだ。直前まだ水浴びをしていた?そして碌に拭かずに服を着た、ただそれだけだろうか?
碧梓が客人を連れて帰って来たと気付いて慌てて水浴びを止めたと考えれば辻褄は合う。
「そうですね、そう考えれば不自然じゃないんだけど。何か違和感があったんだよね」姫祥は眉根に皺を寄せて、その時のことを思い返しているらしく、しばらく黙った。
「何か他にも?」夏瑚が促すと、姫祥はぱっと表情を変えて「そうそう」と言った。姫祥は一段と声を潜めて話し出した。
姫祥の『六感』は、接触した相手の性的な度合いを判定できるというものだ。夏瑚と姫祥を結び付けた院長によると、その六感は一般の人にはあまり知られていないが、聖別院では重宝されている能力だ。
聖別院で行われる成人の儀は、一般的に思われているように聖水を飲んだら性的に成熟が進み、男性か女性化が完了するというものではない。
実際はまず当人の判定をする。そして男性、女性のどちらの割合が高いのかを調べることから始めるのだ。それによってどちらになるのか、なりやすいのか、どれくらいの期間、聖水が必要なのか、が決まっていくのだ。どうしても女性向なので、男性にはなれない例なども事前に分かるのはそのためだ。
性別判定の『六感』にも様々な違いがあり、妊娠可能かどうかを判定することができる者もいると言う。関田爵のところにいた沈慧の場合も、そういう能力者に判定されたのだろう。
姫祥は妊娠可能かどうかまではわからないと言う。ただ、あくまで感覚で判定しているので、自分が感じている感覚が何を意味しているのかを理解できれば、判定できるようになるかもしれないと言う。
判定の仕方も人それぞれらしいが、姫祥の場合は相手の肌に触れれば、大体わかってしまうらしい。それも割と短時間でわかるので、偶然ぶつかったりしたときでもわかってしまうことがある。
両王子は常に護衛がおり、本人たちも他人からは自然と距離を取る振る舞いをするように躾けられているのだろう、侯爵家令嬢の侍女とは間違っても接触するような事態にはなったことがない。
扶奏も警戒心が強いのか、他人にぶつかるような過ちは犯さない。盛容は警戒してというより、女性には怪我をさせてはいけないと摺り込まれているらしく、極力距離を取っているようだ。
劉慎は警戒していないので、給仕の際などに手が触れることなどがある。予想通り、男性優位で安定している人なので、判定する必要もない。




