碧梓の事情1
その建物は平屋で、かなり広めの空間に、小さな台所が併設されている。隣に小屋のような建物があって、「そっちは俺らの寝室」と碧梓が言う。
「おふくろー、お茶入れてー」碧梓が台所に通じる扉を開けて呼ぶ。「あれ?どこ行ったのかな?」碧梓の肩越しに、大きめの窓と竈が見える。鍋が掛かっているが火は付いていない。
「座って座って」碧梓は主に夏瑚に向かって手招きし、夏瑚、次いで姫祥と盛墨を同じ卓に座らせた。
茶屋らしく大きな卓が5つ、点在しており、それぞれ周りに椅子が並んでいる。椅子は大きさも形も異なっていて、背もたれもない古い物もある。壁には子供が描いたような絵、綺麗な織の絨毯が飾られている。
掃除が行き届いて気持ちがいいけれど、調度品は決して高価ではなく、古ぼけて縄でぐるぐる巻きにして修理しているものもある。
どこか庶民の居間に通されたような感じだ。夏瑚にはほっとするような雰囲気だが、生まれながらの貴族たちにはどうだろう。
碧旋は貴族と言っても贅沢に暮らしてきたわけではなさそうだと思って見て見ると、背もたれのない丸椅子に座って卓の端に肘をついてぼんやりしている。ちょっと眠そうだ。
盛容は背もたれに体を預け、周囲を見回している。まるで人気が無いので取り敢えず護衛も必要ないと思ったようだ。
とは言え、その横に昇陽王子を座らせ、さらに乗月王子、その向こうに碧旋と護衛役で両王子を挟んでいる。両王子と背中合わせに扶奏、劉慎が座る。こちらは別卓で、顧敬もここに座っている。
「しょうがない。俺が茶を淹れるから、勘弁な」碧梓が台所へ入って行く。扉は開け放したままなのは、不審を誘わないようにだろうか。毒物などを警戒すべき王族相手にそれは正しい行動で、王族でなくとも身分の高い者は結構気にする人が多いので、それがわかっての行動なのだろう。
「手伝います」姫祥が劉慎に目配せされて碧梓の後に続く。夏瑚も行こうかと思ったが、台所は狭いので、これ以上の手伝いはいらないと手を振られた。
爽やかな風を感じて、夏瑚は室内を見渡す。
この建物は開口部を大きくとっており、日中は全ての窓が開け放たれている。そのため高い位置から瓶淀山の麓までの眺めが一望できるのだ。麓にある禅林も眼下に見え、夜になれば歓楽街の灯りがさぞかし美しいだろうと思う。
がちゃがちゃと茶器が音を立てる。碧梓と姫祥が運んできたのだ。姫祥は慣れているため音をさせることはない。
夏瑚と碧旋が立ち上がり、茶器を配るのを手伝う。「乗月、そっちに」碧旋が言い、何も言わずに乗月王子が立ち上がって手を伸ばす。
「王子!」扶奏の声は聴きようによっては悲鳴だった。碧梓が目を丸くして扶奏を見た。「びっくりした。なんだあ?」他の者は固まっている。夏瑚も反応に困った。
乗月王子は碧旋の呼び捨てにも怒っている風はない。もともと碧旋には好意的だったし、碧旋は従兄弟だとわかったからだろう。それでも厳密に言えば、公的な身分の高低はあるはずだ。しかしそれも公式な場でならばの話で、この状況で目くじらを立てるものではない。
扶奏は乗月王子の地位に拘っている。それが自分の務めだと思っているのだろうか。
「おい、昇陽、これ」碧旋が、次の茶器を昇陽王子に手渡す。昇陽王子はちょっと笑い、「お前は人使いが荒そうだ。部下は大変だな」と言った。
扶奏の肩から、ふっと力が抜けたのがわかった。碧旋が乗月王子だけでなく、昇陽王子も同じように扱ったからだろう。扶奏は乗月王子が昇陽王子の下位に甘んじることを良しとしないわけだ。
遅ればせながら、盛墨や劉慎などもお茶の支度を手伝う。全員慣れないので、立ち上がったものの、動きが止まっている。「茶を淹れるから、手をどけろ」遠慮なく碧梓が言う。
姫祥は他の人に指示は出しづらそうなので、夏瑚と碧旋がなんだかんだと指示を出すことになる。指示と言っても大したことは言っていない。
無事お茶が入り、炒った木の実や一口大の蜜付けの餅が供される。
口を湿したところで、碧梓が少し態度を改めた。
「本当は顧敬だけに相談しようと思ったんだけど」碧梓がじろりと顧敬を睨む。顧敬は身を縮めた。
「とにかく話してみろ。他言はせぬ。必ず役に立つとは言い切れぬが」乗月王子が頷くのに、碧梓は話始めた。
事の始まりは、碧梓に婚姻の申し込みがあったのだと言う。
それ自体は珍しいことではない。
女主族のの支所では、子作りの相手を募るだけではない。婚姻の申し込みも受け付けている。
女主族の中には子供だけを生みたいという者と、婚姻して女主族を抜け、他の町で暮らしていきたいと希望する者がいる。それが真剣なものであれば、認められてその女性は女主族の居住地と籍を離れ、他の領地の民として生きることになる。
その多くは、子作りの過程で知り合って意気投合した恋人同士か、もともと他所から逃げてきた女性が以前の縁を辿って会いに来た男性と婚姻を決意した場合だ。




