顧家の事情1
逆上した顧敬は、一目散に故郷を目指した。
碧旋は父親に聞けと言った。自分としても、碧旋と膝を突き合わせて話を聞く心境ではなかった。
本来、顧敬は正学生である碧旋の側近として入学した身の上だ。身分としては侯爵家嫡子である顧敬の方が高いはずだが、碧旋の学生生活を補佐するのが務めなので、それを放棄して帰宅しているのだ。碧旋の了解があると強弁はできるし、実際碧旋は顧敬がいなくとも平気だろうと思えた。
何よりこのまま学園にいたら、自分が何をしでかすか怖かった。
顧敬は自分が冷静でないことは自覚していた。自覚はあったが、うまく抑制することができない。
碧旋の顔を見ると、頭が熱くなって口から勝手に言葉が出て行く。でも、それらの言葉は自分が考えていたことには違いない。
父顧侯爵は、そもそもほとんど話をしない人だった。
子供の頃はそれを不満に思うこともあったけれど、そういう人なんだと思えば、それほど悪い親ではなかった。顧敬の誕生日には必ず手書きの手紙をくれた。
だから、碧旋の件を知らされたとき、それまで感じたことのない混乱を味わった。
碧旋は顧家の領民ではないとのことだった。寄り子の縁戚あたりが合格したので、後ろ盾になるという話でもない。
旧知の恩人からの依頼で、名前を貸すことにしたと言う。その恩人の名を聞いたが父は頭を振った。一度口を噤むと決めたら、父は口を割らない。
貴族ならではの人脈のせいだろうと、顧敬は諦めた。
諦めて顧敬なりに尽力しようと考えていたのだ。
相手はまだ未成年だという話だったので、これは婚姻政略の話なのだとも思った。
学園に入るには、地位と学力が必要になる。地位は養子という手段で誤魔化すことができるが、学力は無理だ。学力だけを問う学院もあり、研究者を目指す者はそちらへ行くけれど、学園も王族や有力者とのつながりを得られるというので、競争はし烈だ。特に近年は昇陽王子、乗月王子が在籍しているので、入学希望者はかなり増加している。
顧敬も一時受験を考えた。しかし、自分にはそれほど学力がないことを悟って諦めた。それほど勉強が好きと言う訳でもないし、どちらかというと体を動かしたり、人と接しているほうが向いているように思う。
だから合格したからには優秀な人なのだろうし、そういう人と縁を繋げることができるのは悪いことではない。側近としてでも入学することで学ぶこともできるだろう。
ただ、それだけ勉強ができるなら、勉強ばかりしている人だろうか?それともとても要領の良い人だろうか?
期待と不安を抱えて出迎えた碧旋は、顧敬の想像とまるで違っていた。というか、それまで顧敬の周囲にいない人種だと思った。
女性の服装ではなかったが、質の良い長着をまとった碧旋は華奢さを感じさせた。整った顔立ちで、立ち居振る舞いも優雅で、顧敬の気持ちは終始落ち着かなかった。
それが碧旋の本性でないことはすぐに判明したのだが。
男爵家の係累だという説明があったので、侯爵家の養子に必要な教養と礼儀作法を学ぶため、侯爵の従妹である前伯爵夫人を招いて引き合わせた。一応その授業は受け、お墨付きをもらったのに、顧敬たち随行予定者の前では、すぐにざっくばらんな態度になってしまった。
顧敬以外は顧家の家人である。貴族の遠縁の者もいるが、みな碧旋に物申すような立場ではない。伯爵夫人や令嬢付きの侍女や、家人の統括をする家政婦ならばと思うが、そもそも養子とは言っても養女ではなく、侯爵からの指示がないために、強く指導することもできないでいる。
そんな碧旋のことも、顧敬は結構気に入っていた。むしろ完璧で冷静沈着、頭の良さが態度に出るような令嬢だったら、顧敬は気おくれしてしまっていただろう。
碧旋は子供っぽくてやんちゃと言ってもよかった。そこが取っ付き易くもあり、弟か妹のようで好感が持てた。頭がいいのはわかる。けれどその子供っぽさで、顧敬は劣等感を感じずに済んだのだ。
当初はそれなりに関係性は悪くはなかったと思う。それが崩れたのは、顧敬の耳に入った噂のせいだった。
顧敬は父が碧旋の素性について、あまり詳しく説明しなかったことにあまり頓着していなかった。まだまだ腹芸のできない顧敬にとって、厳守されるべき秘密はあまり知りたくなかった。それは父も知っている。いずれそれにも慣れる必要はあるが、今回は顧敬に余計なことを教えないことにしたのだろうと思っていた。
顧敬は時折、一人でふらりと酒を飲みに行く悪癖があった。
顧敬は成人したばかりなので、飲酒自体は禁止されていない。それでも成人したてで泥酔したり悪い酒癖を披露するのはみっともないと、両親に釘は刺されていた。
しかし実のところ、顧敬は未成年の時から酒を嗜んでいた。
顧敬は幼い頃元気が有り余っている子供で、領主館で一人大人しく遊ぶには向いていなかった。
かと言って近隣には同格の家格の子供などいるはずもなく、かと言って家臣の子供などと遊べば、調子に乗ってしまうのは目に見えている、ということで、領都の幼い子供向けの私塾にいれることになった。
そこでは身分は秘匿され、平民の子供たちと分け隔てなく接して、顧敬には気の置けない幼馴染ができた。彼らは悪友でもあり、好奇心に駆られて成人前からちびちびと酒を酌み交わしていた。
 




