学園の謎18
「もっと計算されているの?すごいな」盛墨が夏瑚の書いた数列を覗き込んで目を輝かせた。
「私が知っているのと同じようだ」碧旋が呟いて、弓弦を構え直した。
夏瑚は一音一音これが3なのか、1なのかと耳を澄まして聴いていた。割合にゆったりした拍子の旋律が流れ、30音を数えた。
碧旋が手を止め、全員が静かに何かの反応を待った。
小さく何かが割れるような音がした。
ここには割れるようなものはないはずだ。夏瑚が音源を探して周囲を見回すと、碧旋が屈みこんだ。「どうした?」盛墨が声を掛けると、碧旋が立ち上がって左手に持ったものを掲げた。
白銀色の金属の環だった。ちょうど手首辺りに合いそうな寸法だ。「どうした、それ?」盛容が不思議そうに言う。部屋には確かに何もなかった。
「そこに」碧旋が目線で床を指す。いつの間にか小さな窪みができている。ちょうどその環が収納できるだけの窪みだ。
「いつの間に」盛墨が屈みこんでその穴を観察する。「さっきの演奏で現れたのでしょうか?」それまで比較的隠し部屋の仕組みには冷静だった劉慎が、盛墨と並んで穴を睨んでいる。
この部屋に来た時はそんなものはなかったから、少し前に現れたのだろう。演奏のせいと考えていい気がする。
「すごいね」夏瑚はちょっと愉快な気持ちになって、その環を見せてほしいと頼んだ。碧旋はその環を夏瑚の手に落とした。
本物の金属らしく、ずしりとした重みと冷ややかな感触がする。驚いたのはその滑らかな曲線と、表面の美しさだ。金属鏡のように、周囲の光景を映している。そこには一点の曇りも歪みもない。
特に驚いたのは、継ぎ目が見当たらないことだ。金属製の腕輪を作るときは、大抵金属で針金を作り、それを丸めて溶接して輪にすることが多い。その際にどうしても溶接の痕ができる。その上に色石を貼ったり、塗料で模様を描いたりして痕を隠すようにしているものが大半だ。
質の良い装飾品でもここまで痕のない綺麗な環は見たことがない。この白銀の色味は銀だろうか?銀よりも硬そうだ。掌に載せた環を回すように眺めると、夏瑚の瞳が弧を描いた表面から見返す。
この細工も不思議だ。針金を繋げて輪にすると、当然太い針金の腕輪になる。しかしこの環は逆の曲線を持っている。天と地が外側に張り出し、中央が奥まっている。このような造形は見たことがない。
他の面々も興味を示して、順番に環を検分していく。
「でも、これに何の意味があるのかな?」盛墨が首をひねった。
円周率の曲がこの環の収納を開いたのかもしれない。しかし、そうやって隠されていたことにどういう意味があるのだろう?この環にはどういう役割があるのだろうか。それとも、ただの宝物なのだろうか?
隠されていた宝物だとしても納得だ。この金属が何かはわからないが、この見た目で十分に希少価値がある。
下手な模様などがないのも、一見地味なようでいて、この造形の素晴らしさを強調しているようだった。
「どういう意味があるかは、すぐには判明しないかもな」碧旋は環を自分の掌に載せ、周囲をぐるりと見まわした。「他に変化はないようだし」
皆も部屋を確認したが、誰も変化を見つけられなかった。天井の光も変わらずに点滅している。唯一の変化は床の窪みで、やはりこの環には何か意味があるようだ。
夏瑚たちはぞろぞろと連れ立って隠し部屋を出た。
一行はそのまま中庭の東屋へ向かった。そこで腰を落ち着けると、それぞれの従者たちが戻ってきて、遠征の準備の進行具合の報告をしていく。
夏瑚たちはそれぞれの荷物の量や、連れて行く人員などの擦り合わせを行った。夏瑚たちは金銭には恵まれているから、本来なら持っていく物資や人員に不自由はないはずなのだが、学園の方針で、学生の間はいろいろと制限が設けられている。
学園内で従者の数に規制があるだけでなく、このような遠征でも可能な限り人員は少なくするように努力規定がある。罰則はないし、身の安全が脅かされるのは本末転倒だ。
遠征隊は可能な限り小規模にするべきだとされる。学生であれば、身の回りのことは自分で出来なければならないし、旅路でも品格を保ちつつ、非日常の環境に適応できるように努力しなければならないのだ。それも学生の学びであるとされている。
そのため、護衛同士も連携を取り、相互に協力してそれぞれの護衛対象だけでなく全員も守ることになる。道中の野営などの作業も皆で手を貸し合ってこなすことになる。
前回の遠征でもそれなりに連携していたのだが、今回は二度目なのでさらに効率よく運用できるはずだ。
「しかし、護衛の削減は反対だ」盛容が言い出したのは、夏瑚にとっては意外だった。
「そうだな。前回の遠征は田園地域だったし、特に懸念事項はなかったから」碧旋が考え込みながら賛成する。「今回の目的地は治安がよくない。繁華街もあるところだし。特に男女の揉め事の多い所だ。女性は男装したほうがいいかもしれない」
女性として同行が決まっているのは夏瑚と姫祥だけだ。盛墨には侍女もいるけれど、前回も同行はしていない。男装、それも子供の格好をする方がいいだろう。




