盛墨1
盛墨自身も妃候補だということはわかっている。
高位貴族の子供で、女性化する可能性がある子供は少ない。どこも、まず跡継ぎが優先されるからだ。高位貴族は側妻や妾を持つことは可能だが、何人も子供を産ませるのは難しい。何人か子供を得ても、子供が無事に成人するとは限らない。
そのうえ、高位貴族たちにはそれぞれ柵がある。どこの家も跡継ぎを得たら、その妻となる女性を探すことが次の大仕事になる。複数の子供と持つ高位貴族の家を探し、話を持ち掛ける。妾はともかく、正妻はやはりそれなりの家から娶ろうとするものだ。そのつながりが役立つことも多いからだ。
そういうやりとりは、様々な取引や約束事の上に成立する。それが柵となり、場合によっては次の婚姻に影響することがある。
他にも高位貴族の令嬢はいる。昇陽王子も乗月王子も、紹介や申し込み、行事や何かの会合などで引き合わされたりと縁を繋ぐための試みがされていることだろう。
学園も婚姻に限らず、縁を繋ぐための場だ。それは将来の側近や臣下を得るため、協力し合う仲間を得るため、興味や学びを共有し競い合うためであり、そういう意味でも夏瑚とは縁を繋いでおいた方がよい。
妃になる覚悟もなければ、自分が女性になるかどうかもはっきりとはわからない盛墨は、自分自身がとてもふわふわとして曖昧だと感じている。いくら盛容や周囲の人たちが自分のことを優秀だと褒めてくれたとしても、自分が感じている自分自身の頼りなさの方が圧倒的な実感だ。
盛墨は、学園に入学する決断すら、自分一人ではできなかった。親の勧めに従い、盛容の助けを受けて「じゃあ、まあ」という感じで流されてきたと言うのが本音だ。これは盛容の前では言えない。
盛容はあまり考えるのが得意でないと言い、なんとなくみなもそう認識している風もあるが、実際そうでもないと思う。くよくよ悩んだり、「自分ではわからないから、丸投げするわ」と得意な者に指示してしまうので、深く考えることがない人間という印象を与えるのだろう。
しかし領主としてはそれでいいのではないのだろうか。自分よりも得意な家臣にやらせるのは、領主としては当然の統治手段だろう。
それに、盛容は考えるのは苦手だと言っているが、考えられないわけでもなく、いざ考えて出した答えが的外れだったこともない。
だから領主に向いていないとは思わない。盛容自身はそう思っているのかもしれないが、盛墨はそう思っていない。
盛容が領主にならないというのは、自分が向いていないからと理由を説明している。盛墨のほうが向いていると思っているからか、その方が盛墨や領地のためだと思っているからとも考えられる。
でも、本当に盛墨のほうが向いているのか?盛墨のためになるのか?領地のためには盛墨が領主になったほうがよいのか?そう考えると、恐ろしくなる。自分に領主が務まるだろうか?間違った判断をすることはないだろうか?その責任に耐えられるだろうか?
なにより一番恐ろしいのは、兄を憎むかもしれない、ということだ。
盛墨が領主になったときに、こんな忙しい思いをするのは面倒を押し付けた兄のせいだと感じないだろうか?自らの失政に、見る目のなかった兄を恨まないだろうか?
それは両親にも言えることだ。
盛墨は周囲の人から大切にされて育ってきたけれど、やはり両親と兄は特別だ。その人たちを恨むような気持にならないかと不安になってしまう。
両親や兄を自分の物差しと捉えてきたけれど、学園に来て、初めて、他の物差しを見つけることができるかもしれない。
碧旋はちょっと突飛すぎて、自分と比較する気にはなれない。でも、夏瑚ならば、と思う。
同じ年頃の女性と言う点でも、とても参考になる。
盛墨の周囲には、あまり女性はいなかった。母親くらいだ。親戚はいるが、父親の兄弟も女性化して他家へ嫁いでいるし、母親の兄も中南部の子爵で、簡単に会える距離ではない。侍女や家政婦たちはいても目下なので自分との比較は難しかった。
夏瑚は聖母である。言わば女性の中の女性、究極の女性である。
これまで盛墨の女性の規範は、母親だけだった。
母親は優しい人だ。静かにしゃべるし、目が合うと微笑んでくれる。侍女が粗相をしても、声を荒げることはない。
でも、時々ものすごく怒られるときがあった。怒られるのは、盛容と盛墨に限られる。母曰く、「将来人の上に立つ者は、自分に厳しくあらねばならないから」ということらしい。
何度か叩かれもしたが、父親に注意されたらしい。「怪我をさせては困る」と。「そんな力はいれていない」と母は抗弁したが、盛墨が叩かれた拍子によろけ壁際に置かれていた壺にぶつかり、その破片で手を切ったために、叩かれることはなくなった。
最近はあまり怒られることがない。盛容は、身長が母を越したあたりから、あまり怒られなくなった、と言っていた。盛墨の身長は未だ母親を越すに至っていないから、身長が直接の原因ではないだろうと思う。
注意はされる。確かに成長した分、何をしてはいけないか理解でき、行動を抑制できるようになったと思う。でも、ある意味、今のほうが性格は悪くなったと思うのだ。腹黒いことを考えていても行動は抑制できると言うのは、悪気が全くなかった幼い頃より、質が悪いのではないか。
自分の左手に残る小さな傷跡を見ると、母親になるのは、思った以上に難しいことなのかもしれないと思う。
 




