1:1980年代体育会系教師もニッコリ
前髪が邪魔
3……2……1……
【Hallo.New guest――――――】
「きたきたきたーーー!」
目を開くと視界に飛び込んできたのは古くさびれた円形の書庫だった。
ユーザーの生体情報をリンクさせ、PuromisennsuSystemProject社恒例のあり得ないほど長い利用規約書を読み飛ばし電子サインにチェック。
冗談ではなく視覚的暴力表現が強めなのでバンジージャンプ前に書かされる誓約書レベルでガチガチに規定が定められているのは仕方がない面もあるだろう。
それが終われば視界が暗転し、これまたプロミス社恒例の渋すぎる声のナビゲーションAIに出迎えられる。
VR系統のゲームは往々にしてチュートリアルが長く、それとセットでチュートリアルを案内するサポーターがいる。
体の動きや反応、視界や聴覚、触覚、嗅覚などのテスト。早くゲームをしたい者からすればあまりにうざったい要素だが、国の規定として定められている以上スキップもできない。
そんなイライラタイムを緩和するためのAIのアバターと言えば、大抵美声の美しい女性アバターだったり、妖精がモチーフの可愛らしい女の子アバターだったりする。
では、『Lunatic Visions ~Pray for your Sanity~』のナビゲーションAIは。
ずっしりと重たく野太いのに聞きやすい渋い声。声のする方向に目を向けると、そこには波のように揺らぐ黒い鏡からこちらを見つめる血走った巨大な眼球が鎮座していた。
ホラー系が苦手な人からすればもうこの時点でSAN値がゴリゴリ削れていくこと請け合いの見た目である。
しかしこれこそプロミス。最初からプレイヤーに絵踏を仕掛けてくるのがプロミスクオリティだ。この程度で騒いでいるようではこの先戦えない。
そんな気味の悪いナビゲーションに従い逸る気持ちを抑えながら動作テストを次々とクリア。15分もかけてようやくテストを終了する。
それと同時に『Welcome to 【Lunatic Visions ~Pray for your Sanity~】』という文字がデカデカと浮かび上がる。
『名前を決めてください』
青鹿がゲームでいつも使う名前は決まっている。“青”鹿”月”都から取って【Aotuki】だ。
『Accept』
「よし!」
ゲームに於いての第一関門を無事に突破し青鹿はガッツポーズ。オンライン要素のあるVR系のゲームはユーザーネームの重複を認めない場合がほとんどである。
故に人気の名前を勝ち取りたければ早めに登録するしかない。
今は夏休み期間。暇な大学生をメインに熾烈なキャラネの奪い合いになる可能性があったが、無事に青鹿は希望の名前を選択できた。
名前が決まればひとまずは安泰。続けてアバターを決めていく。
ヴォンという唸るような電子音と共に自分のリアルに近い姿のアバターが青鹿の目の前に現れる。
中肉中背の平均的な体系。その目つきは悪く、青鹿自身でも比較的悪人よりの顔なんじゃないかとおもってしまう。そう、例えばギャングの下っ端Bくらいな感じである。
高校の時の卒業写真、何度撮影しても意識すればするほど険しい顔つきになって、『青鹿の写真だけ指名手配犯みたいじゃね?』などと揶揄されたのは記憶に新しい。なんなら青鹿も否定できなかったし親には笑われた。
昔の完全没入型VRはモーションの制約上アバターを自分のリアルの物と大きく変えることはできなかったが、今は技術が進歩し体形の容姿も自由に変えられるし、素人が変にいじってもAIに頼めば最適な形に修正をかけてくれる。
しかし、青鹿は敢えて変えない。リアルの顔が割れたところで困ることも無し。自分の一番慣れ親しんだ体で遊んだほうが一番楽しいと青鹿は考えている。
ただ、今回の『Lunatic Visions』は祓魔師がメインという事で黒と白ベースの修道服と軍服をうまく組み合わせたような服を初期装備で装着しており、The醤油顔(悪仕込み)といった感じの青鹿の見た目からするとちょっとミスマッチだが気にしない。
ただ、物は試しと予約特典の初期追加アクセサリであるフードの様な帽子と、口元だけ覆う黒包帯をつけてみる。
「うーん、どう見ても不審者」
目つきの悪さがより引き立ち、ギャングの下っ端Bからギャング御用達ヒットマンCくらいには格上げされてしまったが、顔と衣装のミスマッチ感は減った。
次に【継承之紋章】を決める。
これは『Overelics tale』シリーズ恒例で、アバターに力を吹き込む重要な要素だ。
オヴェリシリーズだと実際は『継承之刺青』なのだが、『Lunatic Visions』では刺青から紋章に変更になっているようだ。
『執行の紋章』――――汝、其の罪を浄化せよ
『戦士の紋章』――――汝、闘争を至上とせよ
『騎士の紋章』――――汝、誇り高き者に力は与えられん
『狩人の紋章』――――汝、自然に寄り添う者為れば
『逃亡の紋章』――――汝は逃げた、全てから。唯一大事な物を抱えて
『猛獣の紋章』――――汝は人間を捨て去った。故に強く、愚かだった
『武士の紋章』――――汝、武芸の探求者たれ
『道化の紋章』――――汝、器用なれば全てに通ず
『賢者の紋章』――――汝、其の知性を何よりの宝とせよ
『牧童の紋章』――――汝、生きる者と寄り添う者為れば
『大罪の紋章』――――汝、唾棄すべき者。されど天は見捨てず
『高貴の紋章』――――汝、生まれた時よりあらゆる財を有する
『欺瞞の紋章』――――汝、狡猾な愚者。全てを欺き生き延びん
『落伍の紋章』――――汝、落ちこぼれ、故に生き延びた
『異端の紋章』――――汝、唯一つの異物為れば
『虚無の紋章』――――汝、誇りも希望も護る物も全て無く、故に自由であった
初っ端からこの情報量。計16の紋章より自分にあった紋章を選ぶ。
初見は候補が多すぎてめんどくさく不親切に感じるが、実は割と親切で上から順番に使いやすい物を並べている。初心者はとにかく一番上の紋章を選択すれば問題はない。
問題は下の方にある紋章だ。下に行くほど性質がとがってくるので失敗するとかなりきつくなる。
公式のアナウンスでは選びなおしも可能とのことだが、だいたいその選びなおしが可能となる段階にたどり着くまでが苦行なのもプロミス社あるあるである。
「(それを知っていればあんなことには…………)」
そんな親切で心折な設計のゲームなのに、青鹿は中学生の時に初めてオヴェリシリーズに挑戦した時に『虚無』という響きのカッコよさ(中二病的マインドのアレ)から脳死で『虚無の刺青』を選択。事前情報の収集を怠り地獄を見た男の一人である。
ただ、そのせいか彼の精神とゲームセンスは粉砕されたうえに一から叩き鍛えられた。
それからはなんだかんだ言って『虚無の刺青』を愛用するようになり、最終的には『虚無の刺青』を選んだ時にこそオヴェリシリーズの真の楽しみ方が分かる、とまで豪語するようになったちょっぴり厄介ファンでもあった。
それ故、色々なトラウマを想起させられるにも関わらず、序盤は皆から後れを取ることも承知の上で、青鹿は『虚無の紋章』を迷いなく選んだ。
虚無系統の特徴はシンプル。特筆すべき能力が一切ない代わりに、ビルドの自由性が高まる。
前半はパラメータの低さから死にまくる可能性が高いが、ビルドを自由に考えられるような段階になってくるとこの自由度の高さが真価を発揮する。
―――――――――と、言えば聞こえはいいが、自由度が高くなりすぎてSKシリーズあるあるの『やるべきこととできることが多すぎる!』という悲鳴をあげることになるのが毎回恒例。方向性が定まらないとあれこれ手を伸ばして器用貧乏になる可能性が高いのも落とし穴である。
閑話休題。
紋章を決定後、次に『魂の在処』を決める。
これもオヴェリシリーズ恒例。魂の在処、オヴェリ愛好家たちの間では出生地と解釈されている要素だが、この出生地の場所によってプレイヤーは様々なボーナスを得ることができる。
例えば『岩山』。足場の悪いこの地を選ぶと足場の悪い場所の移動補正や体力補正などが得られる。
『海岸』は強力な移動補正とフィジカル強化。
『街中』は対NPC(中立以上)に対する補正。
変わり種で言えば『洞窟』。これは生命力を強化したうえで『暗視』の能力を得が、対NPCにマイナス補正がかかりSAN値の減少率が微上昇する。
【魂の在処】は計16とこれもかなり多いが、『継承の紋章』に対してこれが絶対に強いという物はなく、本当にプレイヤーの好みに左右される。紋章の弱点を補う形で選ぶのがセオリーだが、紋章の強みを更に強化するのも一つの手だろう。
色々の物があるか、この点に於いては虚無の紋章はどれをとっても無駄にならない。故に青鹿は【魂の在処】に『名もなき場所』を選ぶ。
これに関しては完全にランダム。どんな効果を得られるかは不明だがワクワク感は段違いだ。
オヴェリシリーズ同様に『Lunatic Visions』は救済措置であるリセットシステムも実装されているので、万が一大爆死しても2回までは無料でリセットすることができる。
初心者はなにもわからずに適当に動いていると序盤で詰みかねないので、このシステムにお世話になったプレイヤーも多い。プロミス社唯一の恩情とも言われているシステムでもある。
この二つが決まれば終了だ。
心臓が高鳴る。脳をめぐる血が騒ぎ眼底が熱くなり痛みすら覚える。
これから始めるのはウキウキ楽しいファンタジーライフではない。血沸き肉躍るグロテスクな地獄だ。
だが、そんな世界に青鹿は誰よりも焦がれていた。
『Always question your sanity』
『Don't believe what you see, face the insanity that lies within you』
『All my good wishes are with you, Best of luck on your journey』
クソ渋い声に祝福され、そして青鹿の視界は歪んでいった。
◆
まるで深い水の底から夜空を見上げているような、不安定で霞んだ視界だった。
『貴方には何も無かった』
しかし、とても遠くから燻んだ悲鳴の合唱が聞こえた。
炎のような輝きが揺めき、様々な影が蠢いていた。
『誇る物、望む物、護る物。それら全てを持たず』
そんな炎の様な輝きの上を白い光の粒と黒い光の粒が乱舞し、時たま花火の様に弾けた。
『故に、唯々其れを眺めていた』
その粒が地面に落ち、また輝きが視界を照らしていく。
そこで再び視界が暗転した。
◆
「おや、目覚めたかな?初めまして、新入りくん、と言っておこうか」
視界が元に戻り身体を起こすと、そこは教会の様な場所だった。
しかし教会によくある長椅子はなく、中央がガランと空いている。その上窓もドアも見当たらない、完全な密室だ。
声のする方に目を向けると、そこには青鹿と同じ祓魔師の服に身を包み、羽根付き帽子と手袋で口元以外の地肌を全て隠した人物が台座に寄りかかって座っていた。
「立てるかい?」
男性にしては甲高く、女性にしては少し低め。身長はリアルそのままの青鹿より少々高いので約180cm程度だろうか。
サッと立ち上がると服の裾がバサッと舞い、まるで舞台俳優の様だ。そう思うと、全体的に塚っぽいなぁ、と感じる。
「ええ、立てますよ。それよりも、貴方こそ大丈夫ですか?」
ただ、そんな個性も霞む要素がその人物にあった。それは一眼見ればわかる。身体中が裂傷、刺し傷だらけで血塗れ全体的に黒ずんでいるのだ。
今も立ち上がる動きこそ軽やかだったがその拍子にやけに黒っぽい血がポタポタと垂れて何処となく鉄錆臭い臭いが香っていた。
「ふふふ、存外冷静だね。心配ありがとう。でも私の事は気にしなくて大丈夫さ。じきに君もこの程度は慣れる」
そう言うとその人物は黒光する細長い結晶片を取り出し、徐に自分の心臓に突き刺した。
「くぅ゛〜効くねぇ〜」
「まさかそれ回復薬ですか?」
「おや、勘がいいね。そう、此れこそ我らが祓魔師の生命線、黒髄昌だよ。まあ、あまり使い過ぎると大変な事になるから乱用は控え給えよ」
因みにオヴェリシリーズだと回復は普通にポーションタイプだった。
ただ戦闘中に焼ける様な刺激を与えてくる劇薬を飲み干すのは手間で改善して欲しいというプレイヤーも多かった。
その結果がこれだと言うなら、もう少し絵面も気にして欲しかったと青鹿は思ったが今は口を噤む。
『えぇ ……………』と言いたくなる様な要素をいきなり突きつけてくるのもオヴェリシリーズらしいと感じたからだ。一々動揺していたら気が休まらない。
「その大変な事って?」
「それは勿論…………おっと、こんな話は後でいいんだよ。君は聞き上手だね?危うくのせられるところだった。ところで君の名前を聞いても良いかい?」
明らかにまともじゃない回復剤のまともじゃない素性を聞き出しそうとしたがサラッと躱されてしまう。まあ後で嫌でも知ることになるかと思い、青鹿は切り返す。
「知らん人に名前を教えるもんじゃないって教わってるのでそれはちょっと………貴方の名前もここが何処かもどうしてここに居るかもわからない状況では怖くて名前を教えるなんて…………」
オヴェリシリーズの非敵対型(推定)NPCは大体癖が異常に強い。言われるままに頷いていると気付けばとんでもない契約を結ばされてるケースも多く、『NPC全員に詐欺師が取り立て業者か怪しい個人宗教家の思考ルーチンでも組み込んでいるのではないか』とはゲーマーの仲ではかなり有名だった。
そんなNPCに対抗するコツは、相手の話に安直に応えないこと。寧ろグイグイ自分の気になる事を聞いてみると意外なヒントが得られたりするので、オヴェリシリーズのNPCはごね得聞き得だと青鹿は個人的に思ってる。
ただ、それを他のオヴェリ卒に言ったりすると『それはアンタがオヴェリNPCに負けず劣らずイカれてるからだ』と失礼な事を言われた経験が多々ある。
「君、イジワルだね?しかし聞かれたからには答えたいところだけど、私には特に名乗る名も無い。強いて言うなら案内人、教官、祓魔師としての先輩と言ったところだろうか。好きに呼んでくれたまえよ。よかったら私の事は教官と呼んでくれても「では教官パイセン」……パイ、セン?」
「先輩枠は俺の中でもう決まってるので、教官パイセンで」
「そ、そうかい。まあ好きに呼んでくれと言ったし、うん………良いけどさ……………」
顔を見ずとも教官パイセンはたじろぎ動揺している事が分かる態度。青鹿は胸中でひっそり謎の優越感に浸る。
「さ、さぁ!私は名乗ったよ!君も名乗ってくれたまえよ!」
「でも場所とか分からないし、なんなら祓魔師になった覚えもないんですけど」
「もう!君は本当にイジワルだ!此処は見ての通り打ち捨てられた教会!それと覚えてないかもしれないけど君は自分の意思で祓魔師になったんだよ!はい、答えた!答えたからね!」
キー!と叫んで地団駄こそ踏まないが、足も手も忙しくなく動き明らかにイライラしている事がわかる。
この人最初は掴みどころがない飄々とした感じだったけど案外可愛いぞ?と青鹿はオヴェリシリーズで今迄で感じたことになかった感情にちょっと動揺しつつも、此処が潮時と読んでようやく名乗ることにする。
「ア“カ”ツキです!宜しくお願いします教官パイセン!」
ビシッと華麗に敬礼。運動部ベンチホッカイロとして鍛えられた発声技術を駆使したよく通る声。どう見ても不審者な見た目にそぐわぬ、1980年代体育会系教師もニッコリの元気な挨拶である。
それに対する教官パイセンの反応は――――――
「キーーーーーーッ!!この流れでこの男いけしゃあしゃと嘘ついた!嘘ついたよ!?」
遂にキレて青鹿の襟首を掴んで揺さぶり発狂した。
因みに青鹿のキャラネはア“オ”ツキであってア“カ”ツキではない。
たまにゲームの知り合いがアカツキと呼び間違えるのでふざけて名乗ってみたが、教官パイセンはキッチリ反応してきた。
「てか俺の名前知ってるんじゃないですかヤダーこわーい」
「あ〜…………まあ知ってたとしても相手から聞いてから名前を呼ぶのが礼儀ではないかい?はぁ……君と話してると話が進まないよ!そこに黙って正座でもしてくれていたまえ!」
本当にこれ以上ふざけているとヤバいかもしれないと思い、教会のホームの中央に素直に正座するアオツキ。その前に教官パイセンが仁王立ちして漸く『よくわかるちょうしょしんしゃむけえくそしすとこうざ』が始まった。
༼;´༎ຶ ༎ຶ༽先に予告すると多分全小説の中で1番チュートリアルが長くなると思います