本性
彼のことは、彼があの辺境の村に来る前から知っていた。まぁこの世に存在する各国の重役で彼を知らない人間なんていないだろう。
でも私はそんな人々の誰よりも早く彼を知っていた。生まれたその時から彼の存在を心のどこかに感じていたのだ。
最初は不快感しかなかった。それがまず黒髪に恐ろしいほど絶望に満ちた黒い目をした不気味な少年であったことに加え、誰かもわからない人間が常に自分に纏わり付いているような感覚、見えもしないのにただそこに在るという矛盾が私の頭を支配していたのだ。
でもその不快感はいつのまにか、自分にとってなくてはならないものに変化していた。父は執務に追われ、母も外交で常に不在。王女が1人で城下におりることも許されず、使用人は腫れ物のように自分を扱う。
一時期私に魔法を教えるために雇われたと思われる老人は、私を見るなり教えることなどないと言って何処かに行ってしまった。
私の側にずっといたのは、亡霊もどきと機嫌取りで用意された人形だけ。
私のまわりには"偽物"しかなかった。
でもある時、父と国の重役達が血相を変えて会議しているのを聞いてしまった。当時世界は中心を境に北側の国々と南側の国々で戦争中だったのだが、どうやら、南側から単独で乗り込んできた人間がいたらしい。
普通に考えればたった1人程度潰すのは容易い、そう考えるはず。いや父自身そう考えていた。
しかしそうもいかない状況に立たされてしまったのだ。その人間はどういうわけか急にこの国からさほど遠くないところで陣営付近に現れ、そこに陣を敷いていた約二千名の兵士をたった1人で壊滅させたらしい。
辛うじてその場を脱せた兵士から敵襲の報告を聞きつけ、付近の兵達が駆けつけた頃にはそこは既に鮮血の花が咲き乱れ、肉塊の山が積み上げられた地獄とかしていた。
その後の消息は一切掴めておらず、残ったのは南側にはいつ何処に現れるかもわからない災害のようなものを擁しているという事実だけ。
だが私を惹きつけたのはそんな話ではない。
報告によれば襲撃者の特徴は黒髪に黒目をしたまだ幼い少年らしい。人間では考えられないほどの膂力と少年の背丈を越える大刀を所持していると。
私はすぐに確信した。それは彼だと。私を長年苦しめていた謎の正体が晴れ、彼は偽物から本物になった。
彼だけはずっと私の側にいてくれた。孤独な私のそばを一時も離れずにいてくれたのは彼だけ。
その時から私の彼探しは始まった。
「そして戦争が終わってから8年が経った今日、私は君を見つけたの」
「……!」
やはり声は出ない。それどころか身体中何処に力を入れようともびくともしない。
「君が言った通り、私は昔から魔法が得意だったわ。本当に異常なくらい、ね。君を今こうやって縛りつけているのも私の、私だけの魔法の力」
ミューゼがレヴィの頬に触れる。その手はひどく冷たく、人の温もりといったものが一切感じられなかった。
「そうね、固有魔法とでも言えばいいのかしら。私の固有魔法は『干渉』。どんな形でも私の魔力を取り込んだ者の全てに干渉し、支配する。それが私の魔法。すごいでしょ?」
最悪だ。でもおかしい。それならどうして自分は今こうして思考だけははっきりしているんだ?
と、わかっていたかのようにミューゼが答える。
「どうして君の意識がはっきりしているのか。それはね」
ミューゼがレヴィの顔を覗き込む、そして徐に顔を近づけると、目を閉じ、唇を重ねる。
「……!」
突然の出来事に身をよじろうとするも全く動かないため抵抗ができない。そんなこんなしている内に、元々あった柔らかい感触の間からさらに柔らかく、生暖かいものが口内に侵入してかき回す。
身動きの利かない自分の舌は逃げ場がなく、彼女の舌にあっけなく絡めとられてしまった。
ほのかに香る彼女の甘い匂い。形容し難い感覚が全身に響くように伝わる。
彼女と交わりはしばらくの間続き、されるがままにレヴィの体は未知の感覚に侵食されていく。
そして気が済んだのかゆっくりと離れると薄く糸を引いた口元を味わうように舌なめずりし、頬を紅潮させ唇に指を当てる仕草が醸し出す妖艶さは、自分と歳が近い少女の常軌を逸していた。
「心は私が自力で堕とさなきゃ意味がないでしょ? 私が欲しいのは本物だけ。形だけの偽物なんてもう充分なの」
彼女が何を言っているのかレヴィには理解ができなかった。先程までの出来事で頭が混乱してしまい、頭の中で様々な考えが錯綜してしまっている。
「ふふっ。その反応を見るともしかしてファーストキスだったのかしら? 嬉しい。あなたの初めてをようやく私が手に入れることができた。
そしてあなたもよ。私も今のが初めてだったの」
初めてなのにあんな強烈な接吻ができるものか。レヴィは深呼吸をして心を落ち着かせる。
「そろそろあなたの声も聞きたいわ」
ミューゼがレヴィの額に触れる。すると触れたところからまるで記号のような文字が浮かび上がる。
そしてレヴィは自分のが発声できるようになっていることに気づく。
「お前! いきなり何すんだ!」
「? 何って接吻しただけど? そんなに怒らなくてもいいじゃない。私上手だったでしょ?」
「そういう意味じゃねぇ……。さっきから聞いてれば訳の分からない話を。俺はあんたのことなんてさっきまで知りもしなかった。
あんたは変な幻想にあてられてたのかもしれないけど、それは俺じゃない。あんたの思い違……」
レヴィの言葉を遮るようにミューゼが再びレヴィに顔を近づける。
「いいえ。あれは間違いなく君なの。さっきので私の想いが伝わらないのならもう一度してあげようか?」
「ふざけんな。もう一度舌を入れてみろ。問答無用で噛み切ってやる」
「へぇ。それはそれで面白そうね」
ミューゼの唇が再びレヴィの唇に迫る。しかしすんでのところでネルがミューゼに声をかけた。
「殿下。お楽しみのところ申し訳ございません。ですが日の出が近い。続きはお部屋でされては?」
「っ! まったくタイミングの悪いこと。でもまぁそうね。続きは私の部屋でするとしましょう」
ミューゼがすっとレヴィから離れる。ようやく解放されるのかと思った矢先、首周りに激痛が走り始める。
「か……はっ……」
まるで薔薇のつるのような模様が淡い光を発しながらじわじわとレヴィの首を侵食する。そして首を一周すると今度はミューゼの手の甲に向けてそのつるは伸び始めた。
「本当はこんなことしたくないんだけど、こうでもしないと君逃げるでしょ? だから君が完全に私に堕ちるまでは、奴隷契約を結ばせてもらうわね」
奴隷契約。それは主となる者の魔力を僕となる者に取り込ませたことで結ばれる契約。主となる者の魔力が僕よりも高ければ強制的に結ぶことが可能で、僕になったものは主人の命令には一切逆らえなくなるというもので、現代では人道から外れているとして禁じられた儀式魔法だ。
「はぁ……はぁ……。な、んで。わざわざこんなことを……」
こんな契約、彼女の固有魔法を考えれば結ぶ必要がないではないか。
「それは秘密。いつか教えてあげるけど今はまだ教えられないの。
あぁ、それから思い出したわ。ねぇレヴィ。あの村であなたにとって1番大切な人って誰かしら?」
「は? そんなの聞いて……ぐっ!」
首周りの模様が怪しく光だし、紫の電撃が全身に走る。まるで針で抉られるような痛みが全身を駆け巡り、しばらくその場から動けない。
「へぇ。これ相当痛いと思うんだけど、君なんだか全然余裕そうだね」
「こ……れの。どこ……が余裕だ。意識が飛びそうだっつうの」
「そうやってまだ私に生意気な口をきけるのが証拠だよ。普通の人なら泣き喚いて話にもならなくなるのに」
「はは……。それも……そうかも……な」
視界が揺らぎ、強烈な吐き気に襲われる。
「因みにどうしてこんなこと聞くのかっていうとね」
ミューゼがレヴィを見下ろし、にこりと微笑む。
「君の心を完全に壊して、新しく作り直すためだよ」