──と王女
「それからですね! それからですね!」
気づけばもう3時を回っていた。あれから30分程目の前の王女は自分にしがみついたまま離れようとしなく、いい加減足と腰に限界が来たのを察してくれたのかネルが何かを王女につぶやいたことで解放された。
今は庭園に備えられていた席に座り、王女が用意してくれた紅茶を飲んでいるわけだがこれが絶妙に美味しい。自分は今まで紅茶はアリスの家でしか飲んだことがなかったが流石は王族で、いいものを使っているのだろう。
そんなこんなで王女と話をしているとわかったことがある。まず王族とは言えども王女は自分と同じ人間であるということ。彼女は今に至るまで様々な事を話してくれた。王城での退屈な日々や、自分を相手にしてくれない両親の愚痴、好きな紅茶の種類に着てみたい洋服など人間味あふれるものばかりだった。
自分の中で勝手に王族というのは堅苦しいというイメージがあったので、彼女の話についつい聞き入ってしまった。
「もう! レヴィ様聞いてますの?」
「ん、あぁ、申し訳ございません。少し考え事をしておりまして」
「考え事?」
「えぇ。王女殿下も可愛いらしいところがあるのだなっと」
「か、可愛らしい……? そ、それは本当ですか……?」
顔を真っ赤に染め上目遣いでレヴィを見つめる。
「嘘つく必要が?」
「そ、そうですか……。それは、ありがとうございます。あ! でも、その殿下って呼ぶのはやめてください!」
「え? いやそう言われましても……」
王女殿下でないなら、なんと呼べばいいのか。
「みゅ……ミューゼと呼んではくださりませんか」
「え?!」
それはつまり名前で呼べ、ということだろうか。
「い、いやいやいや! それはいくらなんでも無理ですよ。私は平民です。平民である私が殿下のことをお名前でお呼びするは……」
「いや……ですか……?」
王女は上目遣いのまま涙を浮かべこちらをじっと見つめてくる。
それはずるい。ずるすぎる。そんな顔をされては断ることもできないではないか……。
「うぅ……。では、ミューゼ、様?」
「様はいりません……」
「っ……! わかりました、ミューゼ。これでよろしいですね!」
「敬語も嫌です」
この王女……。自分の武器ってものをよくわかってる。ここぞとばかり我が儘を言いたい放題だ。やはり王女も自分と同じ人間なのだとつくづく思い知らされる。
「はぁ……わかったよ。ミューゼ。でもこれで不敬罪なんてことは勘弁してくれよ?」
するとミューゼは先ほども涙が嘘だったかのように急に元気にやり、
「もちろんです! そんなこと、私が絶対許しません。そんなことをしようものなら誰であろうと皆んな死刑です!」
とんでもなく物騒なことを言い始めた。
「あ、あははははは……。冗談だよな?」
「本気です!」
あー。ダメだ。この王女様、目をキラッキラさせている。
「……そういえば、ミューゼはうちの爺さんから魔法を教わっていたんだっけ?」
「えぇ、その通りです。私は8年前までレーガン先生にご教示いただいておりました。懐かしいですね。何度やっても魔法を失敗させてしまう私にレーガン先生は手を焼いておられました」
「……そうなのか?」
「えぇ。私は魔法を構築するのがとても苦手だったのです。だからレーガン先生は『ならまずは魔術で魔力操作に慣れろ』とおっしゃって、様々な魔術に触れたものです」
ミューゼは身振り手振り過去懐かしむように語っている。
(……魔法が苦手、ねぇ)
魔法というのは起源を辿れば六大精霊というこの世界を作り出したと言われている存在に至ると言われている。六大精霊にちなんで光、闇、地、水、火、風の六つの属性の魔法が存在しており、これを行使する者を魔法使いと呼ぶ。
また魔法を使うには大前提として魔力を体に有している必要がある。しかしそれだけで魔法が使えるわけではない。魔法を使う上で最大要素となるのが高レベルの魔力操作だ。
魔法は詠唱することによって魔法のイメージを脳内で構築し行使する。しかしイメージしただけでは魔法は形にならない。イメージした通りに魔力に形を与える必要があるのだ。そこで必要となるのが高レベルの魔力操作である
「……でも今はそうではなんだろ?」
「それはもちろんです。今となっては、ほら」
ミューゼが手をかざす。するとどこからともなく無数の水滴が出現し、それを取り巻くように風が巻き起こる。
まるで小さな竜巻のようなそれはしばらくすると、レヴィをモチーフにした氷像へと変化した。
「これは属性の応用。風の性質と水の性質を組み合わせ氷属性へと変質させたものです」
「これはすごい……」
異なる属性を組み合わせるという行為は手練れの魔法使いでもできる者はそういない。何せ一度に2つの事を同時にやるというのは万物共通で失敗する可能性が高いからだ。
加えて魔法に関していえば、頭の中で水のイメージと風のイメージを同時に思考し、そこからさらに完成形である氷のイメージをせねばならない。頭の中に無理矢理思考領域を3つも共存させるなど、魔法使い3人分の役割を1人で担うという事だ。
それがどれだけ難しいことか。でも目の前の王女はそれをいともたやすくやってみせた。
しかも、無詠唱で。
「こんな人間離れな技術を身につけられたのもレーガン先生のおかげなのです」
「人間離れっていう自覚はあるんだな」
「王族たるもの、正しき認識のもとで動かねばなりません。私達に求められるのは謙遜ではありません。民の象徴たる絶対の存在であるということなのですから」
「そりゃ大変なことで」
まぁ自分にとっては縁もゆかりもないような話だ。しかしミューゼは生まれたその時からその重責を担っている。まだ自分と同じぐらいの少女が背負うには重すぎる責任が彼女には常にのしかかっているのだ。
「レヴィ様はどうなのです? レーガン先生のお孫さんということもあれば、私なんかよりも遥かに卓越した力をお持ちなのでは?」
「? 俺のことは手紙に書いてあったんじゃないのか?」
「えぇ。辺境の村に孫がいる、ただそれだけ記載されておりました」
「……そうか」
なんとも効率主義者の祖父らしい。伝えるべき必要な情報だけを選んで伝えている。
「期待を裏切るようで悪いんだが、俺は今も昔も一切魔法は使えないよ」
「そう、なのですか」
(……あれ?)
あんまり驚かないんだな。ミューゼのことだからこんな話を聞けば、もっと大袈裟な反応をするかと思ったんだが。
「……あぁ。ミューゼは魔法が使うのに必要な素質ってなんだと思う?」
「え? 体内に魔力を保有していること、ではないのですか?」
「そう。体内に魔力を保有する、これが第一条件。そしてここからが重要だ。頭に魔法領域を確保していること。これは目には見えないが魔法使いであれば、魔力を有する者なら誰にでも頭の中にあるはずの領域だ。
魔法使いは無自覚に、魔力操作によって体内の魔力を魔法領域に集中させ、そこで魔法のイメージを構築している。
生憎と俺の体にはどういうわけかその魔法領域が備わっていなかったんだ」
「備わっていなかった、というのは魔力自体はあるのですか?」
「……あった、というのが正しいか。なんにせよ今の俺は普通の一般人だよ」
「魔力というのはなくなるものなのですか? 私達魔法使いは魔力を消費したとしても、自然回復すると教わりましたが」
「時と場合によっては、ね。まぁミューゼは心配しなくてもいいと思うぞ。こんなこと普通は起きないから」
「そう、ですか……」
ミューゼは釈然としない様子で顎に手を当てている。まぁ無理もない。自分の異端さは自分が1番理解している。自分のような例は殆どの人には当てはまらないような例外なのだから。
「……その、レヴィ様は後悔されているのですか?」
「ん? 後悔? 何を?」
「……! い、いえ、何でもございません。私ったら何を言って……」
その瞬間、今日感じていた違和感。おそらくここにくる前から感じていた不安の正体を確信した。
「ちょっと聞いてもいいか? 何で昔から魔法が苦手だった、なんて嘘をついたんだ?」
「え?」
「ごめんさっきの話にはまだ続きがあるんだ。魔法使いに必要な素養は魔力の保有、魔法領域だって言ったけど、実はもう一つあるんだ。
それは才能。単純だろ? 才ある者は生まれ落ちたその時からそれが覚醒している。逆に才能がない者はあんたが言ったように最初から魔法に対する適正が極端に低い。
そしてあんただ。あんたがさっき見せたのは才能がないやつの該当じゃない。最初から、天賦の才能を持つ者だけの特権だ。
だからもう一度聞く。何でわざわざ魔法が苦手だったなんて嘘をついたんだ?」
「それは……」
「それに、あんた俺が魔法を使えないって言った時えらく落ち着いていたな。まるでその事を知っていたかのように。手紙に記載されていたのは俺の存在だけだったっていうのに」
「……」
ミューゼからの返事はない。下を俯き肩を震わせている。
「あんた、何を隠しているんだ?」
「……仕方ありませんね」
はぁ、とため息をつきミューゼが顔を上げる。そしてその表情の代わりように全身の身の毛が立つ。
宝石のように澄んでいた双眼は黒ずみ、深い闇を潜めている。表情は冷たく、自分を見ているようで見ていない。
「本当は最後まで幼気な少女を装うつもりでしたが、私としたことがあんなミスをするなんて、あなたに会えたことで随分有頂天になっていたようです。
でもまぁ、目的は達成できたのでよしとしましょう」
「目て……」
体が動かない。声も出なければ手足も動かない。
ミューゼスッと立ち上がり、にこりと微笑みレヴィを見下ろす。
「やっと。捕まえました。私の、私だけの、愛しい人」
くすくすと不気味な笑み。薄く開かれたその目は狂気に満ち溢れていた。