訪問者
フェルトとアリスが帰った後、後はもう寝るだけだというのに妙な胸騒ぎがしてなかなか寝付けなかった。
こんな感覚は久しぶりだ。目に見えない恐怖感に晒されるような感覚。少しでも気を抜けばすぐに命を刈り取られるのではという不安に押しつぶされそうだ。
「こんな田舎でそんな物騒なことが起きるわけがないのにな」
この村は非常に小さい。村の中で互いを認識していない人間などいないだろう。だからこそこの村にはそんな危険な存在がいないというのがよくわかる。
皆んないい人達だ。互いに助け合い、協力して生きている。こんなに居心地のいい場所は他にないだろう。
そんなことはわかっている。わかっているのに、何故?
コン、コン、コン。
家の戸を叩く音が響く。
「おいおい。一体何時だと思ってるんだ」
時計を見ると既に日を跨ぐ寸前だ。こんな時間に訪問とは少し常識知らずではないか。
だが、緊急の用事なのかもしれない。そう思いレヴィは戸を引いた。
「夜分遅くに失礼する。貴殿がレヴィ殿で間違いないだろうか?」
「……」
不安の正体はこれか? 目の前には黒いローブに体を包み、目の部分だけくり抜いた仮面をした人間が立っている。
「……失礼。まずはこちらから名乗るべきだった。私の名はネル。アルケディ王国、王家直属諜報部隊隊長である」
アルケディ王国。それはこの村が属している王国の名前だ。
「ご丁寧にどうも。それで? そんなお国の諜報部隊の隊長さんが俺なんかに一体何の用で?」
心当たりがないと言えば嘘だ。でももしそれが当たりだとすれば、彼らが来るべきは8年前だ。いくらなんでも時間が経ち過ぎている。
「王女殿下がどうしても貴殿と面会をしたいとおっしゃっている。どうか、御同行願えないだろうか?」
「……ん? 王女殿下が? 国王ではなく?」
どうやら自分の予想とは違うらしい。だが尚更意味がわからない。国の代表である国王ならまだしも、あくまで王位継承権があるに過ぎない王女が自分に面会を求めるなんてあるわけがない。
「その通り。国王陛下は貴殿のことをご存知ではないだろう」
「なら尚更意味がわからないんだが? なんで王女殿下が俺なんかのことを知っているんだ?」
「レーガン・ゾルフ。貴殿の祖父にあたる人物から伺ったのだ」
「……は?」
予想外の名前が出てきた。いや予想外も予想外だ。
何故、ここで自分の祖父の名前が出てくるというのだ。
「レーガン殿は以前、王女殿下の魔法における師を務めていた。8年前から消息不明であったが、数ヶ月ほど前王女殿下の部屋である手紙が見つかった。そこに書かれていたのは王女殿下への遺言と貴殿の存在だ。
それ以来、王女殿下は貴殿を探していた。レーガン殿は、王女殿下にとってまるで父親代わりのような存在であった。国王陛下に執務で多忙、女王陛下は国の使者として国外を転々とする日々。
幼い頃から王女殿下は非常に達観したお方だ。しかしそれでも心のどこかで寂しさもあったのだろう。その空白を埋めたのがレーガン殿なのだ。
しかしそんなレーガン殿も王女殿下から離れていってしまった。王女殿下は再び孤独となった。
そんな時、貴殿の存在が判明した。王女殿下は大層喜ばれていた。あの方からしてみれば歳の近い兄弟ができたような感覚なのだろう」
嘘はついていない。ネルの言ったことは一言一句嘘偽りがない。自分にはそれがわかる。
ただ、自分の頭の中を混乱させているのは祖父の存在だ。
自分は祖父にそんな過去があったなんて話は聞いたことがなかった。加えて祖父がこの国の王族と関係がある人間なんて考えたこともなかった。
だって自分の"祖父になる"というのは、世界を敵に回すということなのだから。
「……なんで俺なんだ? あんたらが探すべきはあの人じゃないのか?」
「先に述べた通り、手紙の内容は遺言。これ以上は貴殿の辛い過去を深掘りするだけだと思うが?」
「……そうか」
まったく、よくできた使いだ。祖父は5年ほど前に亡くなった。老衰により眠るように息を引き取った。……その時の感情など思い出したくもない。
「……あんたらの言い分はわかった。嘘はついていないし、敵意もない。その上で聞きたいんだが、もしも俺がその話を断ったとしたらどうなる?」
「我々は貴殿の意思を尊重する。貴殿がこの話を断ろうとも危害は加えないと約束しよう」
「へぇ」
王族のからを平民が断るなど不敬なことこの上ない。平民である自分に求められるのイエスという返事のみ。それを理解した上での問いだった。
正直面会だけなら行ってもいいと思っていた。ただ少し試してみたくなったのだ。
自分の祖父が育てた者が権力を振りかざすような人間になっているのかどうかと。
「わかった。その話に乗ろう」
「協力感謝する。ではこちらに来て欲しい」
「……ん? こちらにって?」
「王女殿下は城でお待ちしておられる。ここから普通に城に戻っては夜が明けてしまう。だから転移魔法を使って城に転移する」
「いや、ちょっと待ってくれ。今から行くのか?」
「? そうだが?」
「いや今何時だと思ってるんだ? こんな時間に行ったって……」
「安心して欲しい。王女殿下はこの時間に起きられる。逆に昼間は部屋から絶対に出てこないのだ」
「えぇ……」
昼夜逆転ってレベルじゃないぞ……それ……。
「王女殿下は貴殿に会うことを非常に楽しみにしておられる。さぁ、こちらに」
ネルが手を差し伸べる。
「……まぁ俺は別にいいけど」
明日だっていつもと変わらない日々を送るつもりだった。ずっと同じことが繰り返されているような日常を過ごすつもりだった。
たまには少し変わったことをしてみてもいいだろう。
レヴィがネルの手を取る。
「では、私の手を離さないで欲しい」
ネルとレヴィを中心に光の輪が形成され、それはたちまち2人を囲むように分裂していく。
2人を包む光は次第に強くなり、レヴィがあまりの眩しさ目を閉じた瞬間、それは弾け飛んだ。
「到着だ」
目を開けるとそこには目を疑うような光景が広がっていた。
色彩豊かな花々が至る所に咲き誇りながらも、しっかりガーデニングの施された庭園。中央には大きな噴水があり、水の純度が高く、月明かりを程よく反射している。
月明かりと水の音、そして美しい花々。楽園とはこういう場所を言うのではないだろうか。
「お待ちしておりました。レヴィ様」
声の方向に目を向ける。そこに立っていたのは庭園に引けを取らない程の美しい少女だった。アリスも美少女ではあるが、目の前少女とは系統が違う。
黒を基調とした修道士のような服に身を包み、紫の髪に宝石のような紫紺の左目と赤い眼をした少女。そしてアリスにはない王族特有の気品。別世界の人間のような存在だ。
「えっと。その……」
まずい。何を言えばいいのかわからない。相手は王族だ。下手な態度を取るわけには……
がばっ
甘い、それでいてどこか落ち着くような香りが鼻をかすめる。王女が勢いよく自分の胸に飛び込んできたのだ。そしてか細い腕でレヴィを抱きしめる。
「え……?」
視線を下に送ると息を飲み、絶句する。涙を浮かべ自分の顔を見上げるその双眼はこの世のものとは思えないもので、その美しさに鳥肌すらたってしまった。
そして王女はレヴィに向けて一言だけ告げた。
「もう絶対に離しません」
レヴィがその言葉の意味を理解するのは、何もかもが手遅れになった時だった。