──と魔獣
どうして空は青いのか。
雲一つない空の下、草原に転がりながらそんなことを考える。こんな平凡で当たり前のことを思い耽るようになったのはいつからだろう。空が青い理由なんてすでに証明されており書物を読めばすぐ答えがでるもので、そんな思い耽るような問題ではないのだ。
だが自分が知りたいのはそんな話ではない。
誰が、一体、どういう目的で、どうして空が青く見える摂理を世界に施したのか。それが知りたい。別に空が青である理由はないではないか。夕方になれば空は部分的に赤く染まり、夜には星の輝きを除いて真っ黒だ。確かに夕方や夜は太陽の関係でああいった状況になるのはわかる。
だが昼間の空は?。どうして青?。なんで青く見えるように世界は、人間は作られた?。
「そんなことを考えたって意味はない、か」
誰に聞こえるわけでもなく、ボソッと呟いたその声はどこか虚で、心ここにあらずという感じがした。
『グルルル……』
頭の上で獣の唸り声がした。ふと視線を上に向けるとそこには、自分の顔を不思議そうに見つめる白い狼の顔があった。
ツヤツヤと光沢のある白銀の体毛。額には幾何学的な模様のある碧眼の大狼。その姿は悠然としていて、まるで芸術作品のように美しい。
「おわっ! なんだよアルバ……いるならいるって言ってくれよ……」
狼に対して人間のように話しかけるは全く意味がないことではあるが"アルバ"、目の前にいる大狼だけは違う。
『私はずっと前からここにいました。そんな私の姿には目もくれず、考え事に耽っていたのは貴方ではありませんか』
ふと脳裏に響く声。自分の周りには人はいなく、いるのはこの一匹の狼だけ。そう、"彼女"は人の言葉を話せるのだ。いや"話せる"というのは語弊がある。人の言葉を解し、自分の意思を人の言葉に変えて相手の頭に送る。いわゆるテレパシーというやつだ。
しかし、狼がテレパシーを使うなんて話は聞いたこともない。ましてや人間以外の生物が言語を用いるなんて、ありえない話だ。だがこの狼はそれを成す。理由は簡単、アルバは単なる獣ではなく、"魔獣"と呼ばれる生き物なのだ。
魔獣について説明する前に簡単にこの世界について説明しておこう。今自分が立っているこの世界には六つの属性の微精霊が存在し、それぞれ光、闇、地、水、火、風というふうに分類されている。
ただ微精霊に意志はなく、本来眼で捉えることはできず大気中に漂っており、気配すら感じることはできない。簡単に言えば大気中の魔力の塊と言った方がいいだろう。なんなら酸素のような気体元素とあまり変わらない。
そして大気中に漂っている魔力を母体が呼吸をする際に体内の胎児に蓄積され、こうして体内に微精霊を蓄積された胎児は本来生物が持たざる力を持って産まれることがある。
魔法。人の力の及ばない不可能を可能にする力。それは未だその謎は解明されていない、人知及ばぬ力。その力を持って生まれてくるのだ。これはこの世界の全ての生命に同じことが言える。目の前にいるアルバはその一例である。
「んなこと言って、今の今まで物音一切立てていなかっただろ。驚かす気満々じゃないか」
『貴方の反応はいつも面白い。それでいて魔獣にとって新鮮なのです。
あなたは私が魔獣でありながら一切怯える様子を見せない。それどころかこうやって対話をすることができる。そんな人間の驚く反応をみたいというのはごく普通ではありませんか?』
「あのなぁ……、俺は驚く時は驚くし、怖いものは怖いんだ。ぼーっと空を眺めていたら頭の上に真っ白で大きな狼がいたら誰だって驚くだろう。まぁ確かにこうやって会話ができるのは珍しいのかもしれないけれど、ほどほどにしてくれよ?」
本来魔獣が用いるテレパシーは同種族の仲間とのコンタクトの際に用いられ、人間相手に使われることはまずありえない。ましてや普通人間と魔獣が出くわした際に起きるのは生死をかけた殺し合いだ。
弱肉強食、本来そんな生物の摂理が働く場面であるにも関わらずこうやって自分の目の前の魔獣は会話をしている。
『その反応を私は楽しみにしているのですよ。
……貴方は本当に不思議な人間だ。人間でありながらあなたといると自然と心が安らぐ。
本当に懐かしい感覚です。私達魔獣にとって故郷と呼べる場所は特にありません。それゆえ自由なのです。
ですが貴方と過ごすこの時間はあまりにも居心地がいい』
「ふーん。まぁ自由っていうのはいいんじゃないか。何かに縛られず思うがままに生きる。放任されていると言われれば聞こえは悪いかもしれないけど、俺からすれば、なんというか……」
言葉が詰まる。別になんと言えばいいかわからないわけではない。ただ自分がその言葉を口にすることを拒んでいる。
『貴方だって自由だ。確かに貴方達人間は義を重んじる種族です。だから気持ちはわからないわけではありません。
でも、もうそろそろいいのではないですか?』
「……気持ちは嬉しいけど、別に俺はいやいやあの村で過ごしているわけではない。それが俺にとって正しいことだからそうしてるんだ」
重い腰を上げるように立ち上がる。
「魔獣は違うのかもしれないけど、俺達人間の考え方って言うのは子供の頃の生活で殆ど決まる。
それがどれだけ間違っていることだと大人になってから気づいたとして、それを変えようとしても、表面的な部分でしか変えられない。
自分を変えるなんて言うのは簡単だけど、言ってしまえばこれまでの人生を全否定するようなものだ。俺にそんな覚悟はないよ」
『……そう、なのかもしれません。でも私は思うのです。貴方なら変えられるはずだと』
目の前の魔獣の表情に変わりはない。ただそれでもその声は、その願いは、こんな世界の中でも希望を信じ続けるとてもあたたかい声で、優しい願いだった。
「……買い被りすぎだよ。俺は他と変わらない人間だ。どんな過去があってもそれは変わらない。
まぁこの村に来て、お前と出会ってもう8年。それなりに人間らしい暮らしはできてるような気はするよ」
『もう8年も経つのですね。貴方がここにきてから。ふふっ』
「まだ8年……ってなにがおかしいんだよ」
『いえ、貴方がこの村に来たばかりの頃を思い出しましてね。この世の終わりのような目をした、人間嫌いの少年。自分以外は敵だというような雰囲気を出していた少年が、こんなにも変わるとは思っていませんでしたから』
「あぁ〜!その話は無し!頼むからやめてくれ。思い出したくもない。黒歴史すぎて今すぐ死にたくなる」
青年はここぞとばかりに頭を掻きむしり、耳を塞いで子供のように駄々をこねた。ぐるんぐるんと転がりまわる。そんな様子を見たアルバは
『ふふっ、そういうところは変わりませんね。でも……』
アルバは美しい銀毛に覆われた顔を青年の顔に擦り付け
『今も昔も、そしてこれからも貴方は貴方だ。貴方が貴方であることに変わりはありません。
でも私は貴方がどんな道を辿ろうと、どんな決断をしようと、貴方の意思を尊重します。だから貴方は貴方の人生を歩んでください』
まるで自分が何か大きな決断をするのかと勘違いしてしまうほど大袈裟な言葉を私に告げた。表情に変化は無けれども、その眼は、美しい碧眼は自分を真っ直ぐに見つめている。
「おいおい、勘弁してくれよ。勘違いするじゃないか。俺の人生はそんな大層なもんじゃないし、そんな人生を歩むつもりもない。俺はここで静かに暮らしていければそれでいい。……それが一番なんだよ」
どこか心当たりがあるような、そんな表情を浮かべながら青年は空を見上げた。自分の人生にそんな大きな分岐点があってたまるか。そういうのはもっと身分の高い人間がするべきで自分ではない。自分はただ"与えられた"この生活を過ごしていくだけ。それが自分、レヴィに与えられた人生なのだから。
『……レヴィ』
「まぁ、なんだ。今俺の周りには村の人達もいればお前もいるし、俺の周りにはいつも誰かがいる。村の人達だってずっと一緒に暮らしていこうって言ってくれている。こんなに素晴らしいことがあるものか。……それにあの人だってそう望んでいる」
「そこにあなたの意思はないのでは?」
「それが俺の意思だ」
互いの間に沈黙が流れる。その間互いに目を逸らすことはない。
「それに、あと少しさ」
レヴィが空を見上げる。目を閉じると風に靡く草木の音がよく聞こえる。
「こんな生活がおくれるのも本当にあと少しだ。なら、最後まで俺は俺らしく生きていくさ」
腕時計の時間を確認すると既に時刻は16時を回っていた。
「さてと、そろそろ村に戻るよ」
『もうそんな時間でしたか』
「あぁ。どこぞのお嬢様に蹴り飛ばされないように帰らないとな」
それじゃあなと、レヴィが村に向かって歩み始める。そんな彼の後ろ姿をアルバはどこか寂しげに見つめていた。
『俺らしく、ですか。他者の望がままに生きているあなたにらしさなどあるわけがない。そんなもの人間の営みではありません。
レヴィ、時間は有限なのです。時間が経つのは本当にあっという間で、一瞬で過ぎていく。楽しい時間も、悲しい時間も皆等しく。
私は貴方が心配だ。他人に支配された貴方の生き方の中で、貴方の時間は一体いつ訪れるというのか。このままでは貴方の時間は……』
そんな心配事を胸に秘めつつ、白銀の大狼は森へ帰っていく。両者のいなくなった草原にはゆったりと、何かに縛られることもない風が静かに吹いていた。