第四十四章 お見合いは面倒
空気が乾き、日差しも随分と強くなった頃のこと。ピングォはこの日、自分の部屋から出たくない気分だった。もうすぐ紅毛人達の船が広州に着くから、その時のための手配を指示しなくてはいけないと言って部屋に籠もっている。
机の上に積んだ書類に向かっていると、誰かが部屋の扉を叩いた。
「入りなさい」
いつものように返事をすると、入ってきたのは紫がかった茶色の急須と茶杯を乗せたお盆を持ったジーイーだ。ジーイーがピングォの机の上にお盆を置き、急須から茶杯へとお茶を注ぐ。今年の新茶だろうか、青さの中に微かに甘みを感じた。
お茶の香りで確かに清々しさを感じたのに、ジーイーがピングォにこう言った。
「お疲れですか? 浮かない顔をなさっていますけれど」
ピングォはお茶をひとくち飲んで、大きな溜息をつく。ジーイーには隠し事は出来なさそうだ。そもそも、そんなに隠したいことでもないのだけれど。と思ったピングォは、苦い顔をしてこう答える。
「数年ぶりに、お父さんからお見合いの話を持ってこられたんだよ。
もうどうしたものか……」
「あー……どちらの気持ちもわかります」
この歳になってもピングォが結婚していないのは、ジーイーも心配しているところなのだろう。そう返ってきた。けれども、どちらも。と言うことはお見合いの話を持ってこられて困るというのもわかるのだろう。そういえば、ジーイーからは嫁をもらいたいという話を聞いた話がない。
「そろそろ、跡継ぎのことを考えなくてはなりませんしね」
困ったような顔をして言うジーイーに、ピングォも、それはわかっているといった顔をする。そう、頭ではわかっているのだ。この家の跡継ぎのことをいい加減考えなくてはいけないと言うことを。ピングォの両親としては、とりあえずピングォの子供であれば良いと思っているだろう。できれば男児で、と言うのはあるかも知れないが、女児でも現にピングォがしっかり家督を継いでしまっている前例を作ったので、その辺りはもうこだわらないというより、こだわっていられないだろう。
「跡継ぎのことはわかるんだけど、どうしたら良いのさ……」
「結婚なさっては?」
「そういうことスルッと言うね?」
ジーイーの言うこともわかる。結婚して子供を産んでしまえば、両親の憂いも自分の不安も、ある程度は落ち着くと言うことが。けれども、ピングォはまだこの仕事を続けたい。子供を産んだ後はもちろん、その前の段階でも、結婚した時点で夫がこの仕事を奪っていくのではないかと思うと、素直に結婚するという決心を固められないのだ。
ピングォのその悩みを察したのか、ジーイーがこんな提案をした。
「ピングォ様は、今の仕事を続けられなくなるのが心配なのですよね?
でしたらいっそのこと、仕事のことをわかってくれる使用人と結婚した方が、面倒は少ないと思います」
「使用人ねぇ」
その提案に、ピングォはぽつりと呟いてジーイーの方を見る。いつも通りのまったくもって澄ました顔でそこに立っている様子からは、あわよくば自分がピングォと結婚して玉の輿に乗ろう。と言う気持ちは見えない。完全に他人事だ。
「誰かお勧めはいるの?」
これにはそう簡単に答えられないだろうと思ってピングォが訊くと、ジーイーはまた澄ました顔で即答する。
「チュンファンなどいかがですか? 良く懐いているようですし、ピングォ様の事を立ててくれますし」
「何言ってんだい。それは無いよ」
つい反射的にそう返してしまう。けれども、はたと思い直してよく考えると、ジーイーの勧めは悪いものでもないかも知れない。確かにチュンファンはピングォに良く懐いているし、頼りがいもある。たまに自分が頼られることもあるけれども、それは逆に愛嬌と言っても良いような気はする。
妙に納得して頷いてから、ピングォはジーイーのことをじっと見て、にやりと笑ってこう言った。
「でも、自分が婿になるって言う発想は無いんだね」
するとジーイーは、困ったような顔をして肩の辺りで手を振る。
「なんと言いますか、もう家族という気持ちが強すぎて、ピングォ様のことをそう言う目で見られないんですよね」
「あー、わかる……」
ジーイーの言い分に思わず同意する。実際のところ、いざジーイーやウーズィを婿にしろと言われてその気になれるかというと、それは無い。チュンファン以上にありえない。ピングォにとっても、この兄弟はもう、近しい家族なのだ。
言葉が途切れて、ピングォは茶杯に口を付ける。お茶の渋味とほのかな甘みが、なんとなく今の気持ちを象徴しているようだった。
お見合いの話を持ってこられる度に、ピングォはもしもの事を考える。それは自分が男に生まれていたらとかそういうことではない。今は都から出てどこかの山間で暮らしている弟のジュイズ。彼が家を出ずにいてくれたら、自分はお見合いとかで結婚を急かされたりはしなかったのだろうかと。そして考える度に思い直す。ジュイズが家にいたならいたで、結局結婚を急かされるだろう。それも、よその家の嫁として家を出ることになるのだろうと結論づけてしまうのだ。
もしピングォがこの家で仕事を続けられることを保証されたとしても、ジュイズを今更家に呼び戻して、無理矢理跡継ぎのために結婚させると言うことはしたくないと思っている。それは文士を目指して、いまはその職で何とかやっていっている弟を応援したいという姉の、僅かながらの応援なのだ。
しかし、それはそれとしてお見合いは気が乗らない。どうしたものかと、ピングォはまた溜息をついたのだった。




