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第四十二章 香を焚けば

 木々の緑も青々とし、爽やかな風が吹く頃のこと。紅毛人達の貿易船も無事に出港したという知らせを聞いて、ピングォは一安心していた。出航前に紅毛人と行の方で、お茶のことに関して揉めていたそうだけれども、それももう慣れた。ピングォが慣れたからといって、直接相手をする行の苦労がなくなるわけではないのだけれど。貿易の方の仕事もしばらくは少なめだろう。ピングォはそう思って、長椅子に寝そべってうとうととしていた。

 すると、誰かが扉を叩く音がした。

「入りなさい」

 そう返事をすると、入ってきたのはウーズィだった。茶器を持っている様子はないので、誰か来客かもしれない。

「何の用だい?」

 ピングォが訊ねると、ウーズィは一礼をしてからこう答えた。

「善堂の景教徒の方がいらしています」

「善堂の?」

 善堂と言えば、だいぶ前に資金の援助を頼まれ、いくらか協力をした記憶がある。あのあとピングォ達の街での評判が良くなり、結果として金回りが良くなったのであの判断は正解だった。それはそれとして、善堂の景教徒が今度は何の用事だろう。また資金を援助して欲しいのか、それとも、他の何があるのか。本人を呼ばずに考えていても埒があかない。ピングォはウーズィに、景教徒を通すように指示を出した。

 少しの間待っていると、また扉を叩く音が聞こえた。ウーズィが景教徒を連れてきたのだろう。中に入るように返事をすると、入ってきたのはやはり、ウーズィといつか見た景教徒だった。ウーズィが持って来た茶器を食台の上に乗せ、部屋の隅にあった椅子を食台に着ける。ピングォはその椅子に座るよう、景教徒に勧めた。

「さて、善堂からのお願い、今回はどんな話か聞かせてもらおうか」

 鷹揚にピングォがそう訊ねると、景教徒はいたって真面目な顔で、じっとピングォの目を見てこう言った。

「近頃のピングォ様の評判はよく耳にしております。そのお力をお借りして、民衆に広めて欲しいことがあるのです」

「広めて欲しいこと?」

 景教徒にそう言われて、ピングォは若干訝しがる。景教徒が広めたいことと言えば、すぐに思い浮かぶのは景教の教えそのものだ。しかし、景教がこの国にあまり広がってしまうのは好ましくないとピングォだけでなく、宮廷や皇帝も思っている。布教をしないという条件下でのみ、景教徒の存在を許している状態なのだ。

 ピングォのその思いを感じ取ったのだろう、景教徒は手を軽く振ってこう続けた。

「広めて欲しいことと言うのは、病が広がるのを防ぐ方法です」

「病が広がるのを防ぐ方法?」

 それは一体どう言う方法なのか。本当に効果はあるのか。純粋に気になった。

「それはどんな方法なの?」

 少し身を乗り出してピングォが訊ねると、景教徒は身振りを付けながらこう説明した。

 病を防ぐためには香りの強い香や香油を焚くと良い。その香りは病を蔓延らせ、媒介する瘴気を払い、清浄にする。というのが景教徒の説明だった。

 香りを持ってして病を除けられるのか。病の治癒を願って加持祈祷をする際には確かに香を焚くけれども、それと同じなのか。少々疑わしい話だ。

 ピングォがまた訊ねる。

「本当にそれで病を防げるのかい?」

 景教徒は自信を持った様子でこう答える。

「鼠疫さえも防いだと、西の国の話では聞きます」

「鼠疫を?」

 鼠疫と言えば、罹ればまず助かることは無いと言う難病だ。首や脚の付け根が腫れ上がり、高熱が出て、発症してから僅か数日で死に到る。そんなおそろしい病を香りで防げると景教徒は言っているのだ。

「私どもの司祭の祖国では、鼠疫に罹った患者を医者が診るときに、大きな嘴の付いたかぶり物をするのですが、その嘴の部分に、香りの良い香草をたっぷりと詰め込むのだそうです」

 医者の作法の話を聞いて、医者がその様に予防をしているのなら、香りは何らかの形で鼠疫に効くのだろう。そう判断したピングォは、また長椅子に深く座り直してこう言った。

「わかった、広めるのを手伝いましょう。

ただ、わかっていると思うけど、香や香油は高価で貧民には難しい方法だよ」

 そのことも景教徒はわかっているのだろう、深々と頭を下げてこう返してきた。

「存じております。そこは善堂の方でなんとかします。

つきましては、善堂の活動のために、ピングォ様に支援をお願い致したく」

 やはり金が欲しいのか。そうは思ったけれども、予想通りと言えば予想通りだ。思わず溜息をついていると、いつの間にか藤蘿餅の入った籠を持ったジーイーが部屋の中にいて、籠を食台の上に置きながらこう言った。

「善堂を支援するのは、悪い話ではないでしょう。

前回の支援の後に、ピングォ様もご存じだとはもちろん思うのですが、ピングォ様の名声は確実に上がりました。

……まぁ、中には自分は施されなかったという文句を言う輩もいるにはいますが……

今後、臣民を通じて宮廷や皇帝陛下の覚えを良くするためにも、今回も支援するのは悪い手ではないと思います」

「まあ、それはそうなんだけどね……」

 それはわかっているけれども、ピングォのところに来れば無限に金が出ると思われても困るのだ。だから、ピングォは景教徒にきっぱりとこう言った。

「わかった。今回も支援をしよう。

ただし覚えておくんだよ。私はいつも、いつまでも善堂を支援し続けられるとは限らないし、自分の生活が最優先だ。

もし私の生活に支障が出るほど支援を求められたら、その時は応じられないからね」

 その言葉に、景教徒は深々と頭を垂れる。

「承知しております。ご協力ありがとうございます」

 話がまとまったところで、ピングォはジーイーに景教徒へ渡す支援金を持って来るように指示を出した。

 それにしても、面倒なところに目をつけられたものだと思いながら。

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