第四十一章 涙を越えて
すっかり暖かくなり、うつくしい花々が咲き乱れるようになった頃。このところピングォは、あることが気にかかっていた。それは、年が明けて間もない頃に、弟が亡くなったと言ってしばらく休暇を取っていたチュンファンのことだ。チュンファンはピングォの言いつけ通り、もうこの屋敷には戻ってきている。けれどもどうにも、まだ弟の死を引きずっているようなのだ。
「まぁ、確かに弟が死んだとなったら、私もああなるかも知れないけど……」
そう、それはピングォにもわかっている。けれども、私兵の頭であるチュンファンがいつまでも落ち込んでいてはその部下達に示しが付かないし、そこにつけ込んでたちの悪い輩にこの屋敷が狙われるなんてことがあったらたまったものではない。
どうしたものかと思いながら、ピングォはふと窓の外を見る。窓の外に見える木の枝が、鮮やかな花を咲かせていた。それを見て、ピングォは思い立つ。
「チュンファン、チュンファンはいるかい!」
そう声を上げてチュンファンを呼ぶ。そうして少し待つと、扉を叩く音が聞こえた。ジーイーやウーズィの音にしては鈍いのでおそらくチュンファンだろう。けれども、いつものような勢いはなかった。
「入りなさい」
扉の向こうに声を掛けると、ゆっくりと扉を開けて、少し猫背になったチュンファンが入ってきた。
「姐さん、なんのご用でしょうか」
やはりどうにも覇気が足りない。チュンファンの様子を見て、ピングォはにっと笑ってこう言った。
「庭に行こう」
「え?」
「今日は良い天気だし、庭には綺麗な花もいっぱい咲いてる。花見酒でもしようじゃないか」
突然の話に、チュンファンは戸惑った様子を見せる。ピングォは座っていた椅子から立ち上がり、チュンファンの側に立って強く背中を叩いた。
「ずっと元気が無いみたいだからさ。
すぐに元気になれって言っても難しいだろうけど、まぁ、気分転換でもしよう」
「姐さん……はい、お供します」
まだ沈んだ顔をしているけれども、チュンファンの声が少しだけ明るくなった。ピングォはそんなチュンファンを連れて、部屋を出て厨房に向かい、厨房に丁度いたウーズィに声を掛け、酒の入った徳利と杯をふたつ持ってこさせる。
「もしかしてお花見ですか?」
にこにこと笑うウーズィに、ピングォは、今日はチュンファンとふたりで飲むのだと返す。それを聞いてか、ウーズィは一瞬はっとした顔になってから、また笑顔になって、チュンファンに楽しんで下さいね。と言っている。
チュンファンとウーズィを連れて庭に出たピングォは、花が咲き乱れる庭の中に設置された食台と椅子の方へ向かう。暖かな日差しを浴びながら椅子に座り、チュンファンに向かい側に座るように言った。
ウーズィが持っていた杯を食台の上に置き、徳利から酒をなみなみと注ぐ。それをピングォとチュンファンの前に差し出して、両方を見てすこしなにか悩んでいる様子だ。ウーズィの様子に気づいたピングォが言う。
「またなにか用事ができるかも知れないから、一応ここにいてくれない? そこの椅子にでも座ってさ」
「そうですか。それではその様にいたします」
ピングォの言葉を聞いて、ウーズィの表情がぱっと明るくなる。やはり、この場にいるべきか下がるべきか悩んだのだろう。
花を見ながら静かに杯を交わす。酒が入るとすぐに騒がしくなるはずのチュンファンも、今日はただただ静かに杯を煽っていた。
ふと、ピングォがチュンファンに訊ねた。
「もし。あくまでももしもの話だよ?
ジュイズが死んで、私がいつまでも落ち込んで、沈み込んでいたら、あなたはどうする?」
その問いに、チュンファンはぐっと口を結んでから、こう答えた。
「早く元気になって欲しいから。美味しい物をいっぱい持ってきたり、楽しい話をしたりします」
「なるほどね」
チュンファンの言葉に、これはチュンファンが今して欲しいことだろうとピングォは察する。すぐさまに、そこにいるウーズィにこう言った。
「厨房から玫瑰餅を持っておいで。私とチュンファンと、あとついでにウーズィの分もあって良いね。
頼んだよ」
「かしこまりました」
ウーズィは一礼して、足早にその場を去る。自分の分のお菓子もあるとなると普段はにこにこするところなのに、今回はそれがなかった。チュンファンの心情を、ウーズィも汲んだのだろう。
ウーズィが厨房に行っている間に、ピングォはまたチュンファンに話し掛ける。
「それにしても、美味しい物は厨房で用意出来るけど、楽しい話ってのはなかなか思いつかないね」
「そんな、気を遣っていただかなくても大丈夫ですよ」
いつもより優しげなピングォの言葉にチュンファンは恐縮している。こう言った態度も、普段は余り見られない。落ち込んでいるときと言うのはこういうものなのだろう。ピングォは少しだけ考えて、笑いながらまた言う。
「この歳になっても嫁のもらい手が無いのを笑い話にするくらいかね」
するとチュンファンは驚いたような顔をしてから、真面目な顔をしてこう返した。
「それなら、俺が姐さんをもらいます」
突然話が思いも寄らない方向にいったことにピングォが驚く。何が起こったか一瞬わからなかったけれども、深く息を吸って頭の中を整理して、笑みを浮かべた。
「そんな、私みたいな行き遅れじゃなくて、もっと良い子が他にいるだろう?」
ピングォのその言葉に、チュンファンは食い下がる。
「姐さんが俺の嫁になってくれたら、きっとすぐに元気になる」
「あなた、それは卑怯な言い方だよ」
そんなやりとりをして、チュンファンはようやく少しだけ、元気を取り戻したようだ。庭に戻ってきたウーズィに手を振って早く来いと声を掛けている。
チュンファンが元気を取り戻しつつあるのは良いけれど、ピングォはピングォで、チュンファンのあの言葉をどこまで本気にとっていいのかわからなかった。




