第三十九章 水仙の香り
吹く風は冷たく、それども早咲きの花の香りが漂う頃。この日ピングォは仕事を休んでゆったりとしていた。
長椅子に横たわり、温かいお茶をもろこしと一緒に少しずつ味わう。こんな優雅な一日があってもいいだろうとたまには思うのだ。
急須の中のお茶がなくなり、おかわりを持ってこさせるためにジーイーなりウーズィなりを呼ぼうとしたその時、扉を叩く音が聞こえた。
「入りなさい」
反射的に返事をすると、入ってきたのは紫がかった茶色い急須と茶杯をふたつ乗せたお盆を持ったウーズィと、ジュイズだった。
お茶が来たのは丁度良いと思いながらも、ジュイズの方に目がいってしまう。ジュイズは何故だか、水仙の花束を持っているのだ。
そうしている間にもウーズィは茶器の準備をし、ジュイズが座るように部屋の隅にある椅子を持って来て、先程までピングォが使っていた空の茶器を持って部屋を出て行った。
花束を持ってなにやら悩ましげな弟と部屋にふたりきり。とりあえず椅子に座るよう椅子を勧めて、ピングォはジュイズに訊ねた。
「急にうちにきて珍しいね。何があったんだい? しかもそんな花束まで持って」
するとジュイズは、頬を赤らめてこう言った。
「実は、数日前に街に降りた時に、すごくすてきなお嬢さんを見つけたんだ。それで、そのお嬢さんにお近づきになりたくて」
「うんうん、それで?」
それなら直接そのお嬢さんの所へ行けばいいとは思ったけれども、どこのお嬢さんかはわからないだろうし、きっとピングォに心当たりが無いかどうか訊きたいのだろう。と、思ったのだけれども。
「それで、そのお嬢さんとお近づきになるのに、姉さんに仲立ちをして欲しいんだ」
「はぁ?」
急に仲立ちと言われても困ってしまう。なにせ、相手がどこの誰だかわからないのだ。
「自分の恋路くらい、自分で何とかなさい」
ピングォがそう突き放すと、ジュイズは情けない声を出して、頼む、頼む。というので、軽く頭をはたいてきつめの口調で言葉を続ける。
「別に、その花束を持ってお嬢さんの家に行けば良いじゃないか。仲立ちして欲しいってことは、相手の家はわかってるんだろう?
下手に私に仲立ちされて、姉がいないと何も出来ないひよっこだと思われても困るだろう」
「でも、姉さん、ううう……」
どうしても思い切れないといった様子のジュイズ。彼が言うには、お嬢さんは金持ちそうな家の子で、花束だけで押し通せる気がしないのだという。それに対してピングォは、一応と言った感じでこう助言した。
「それなら、あなたお得意の詩歌を贈ればいいじゃないか。最近街で話題なんだろう?」
「そうだけど、そうだけど、それとこれとはなんか話が違う気がして」
ジュイズがうだうだと泣き言を言っていると、扉を叩く音が聞こえた。
「何の用ですか」
そう扉の向こうに問いかけると、向こう側からジーイーの声が聞こえた。
「トオゥさんが納品にいらしています。通してよろしいですか?」
「納品……」
ピングォは少しの間だけ考えて、ジュイズに大人しくしているようにと言い聞かせてからジーイーに返事をする。
「通しなさい。あと、お茶の準備も三人分」
「三人分? ああ、かしこまりました。少々お待ち下さい」
中にジュイズがいることをウーズィから聞いているのだろう、ジーイーはなぜ三人分なのかを訊ねずに、部屋の前から去って行った。
少しの間待っていると、また扉を叩く音が聞こえた。入るように指示すると、入ってきたのは紫がかった急須とみっつの茶杯を乗せたお盆を持ったジーイーと、その後ろから付いてきた籠を持ったトオゥだった。
茶器とトオゥ用の椅子を用意ジーイーが用意し、その椅子に座るようピングォが声を掛ける。トオゥはジュイズの隣に座る形になった。刺繍物の入った籠を食台の上に乗せたトオゥが、訝しげな目でジュイズを見てからピングォに訊ねる。
「ピングォ様、この方はどなたですか?」
「ああ、私の弟だよ」
ピングォが苦笑いしてそう答えると、トオゥははっとしてから、ジュイズに笑顔を向けて挨拶をする。
「そうなのですね。これは失礼しました。
初めまして、トオゥと申します。ピングォ様にはいつもお世話になっております」
すると、ジュイズは顔を真っ赤にして挨拶を返す。
「いえいえ、こちらこそ姉さんがお世話になっています。俺はジュイズって言います。今後ともよろしく」
ジュイズの様子を見て、ピングォは察する。先程ジュイズが話に出していたお嬢さんというのはトオゥのことだろう。そして案の定、ジュイズはトオゥに持っていた花束を向けてこう言った。
「姉さんと知った仲の方で良かったです。
あの、もしよければ俺のお嫁さんになってくれませんか?」
突然の申し出に、トオゥは驚いた顔をする。そしてすぐに笑顔を浮かべてこう答えた。
「それはないです」
これにはさすがにピングォも笑いを堪えるのが大変だ。側に立っているジーイーも、心なしか肩を振るわせている。
その空気を感じてか、ジュイズがジーイーの方を向いて訊ねる。
「ねぇ、ジーイーは誰か良いひといないの?」
その問いに、ジーイーはすっと澄ました顔になって返す。
「僕は特に。それよりジュイズ様。ピングォ様の取引の邪魔をしてはいけませんよ」
ピングォも同意するように頷く。顔を真っ赤にしたままのジュイズが食台に突っ伏しているけれども、それを気にせずに、ピングォとトオゥは刺繍物を広げて、どれくらいの価格でやりとりするかの話をする。
ピングォとしては、もしジュイズがこの仕事を突然継がなくてはならなくなったときのために仕事を覚えて欲しいのだけれど、今は少々間が悪いだろう。つつがなく刺繍物の取引を終えて、トオゥの帰り際にピングォが言う。
「今日は弟が急に変なこと言っちゃって悪かったね」
するとトオゥは苦笑いを浮かべる。
「そうですね、びっくりはしましたけど、あまりしつこい方でなくてよかったです」
それから、刺繍物を入れていた籠を持ってトオゥは部屋を出る。部屋の中には、未練がましく水仙の香りを嗅いでいるジュイズと、それを同情の視線で見ているピングォとジーイーが残された。




