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第三十八章 弟を喪って

 年も明けしばらく経ち、おめでたい雰囲気も過ぎ去り落ち着いた頃。いつものように行や買弁から寄越された書類に目を通しているピングォの元に、誰かが扉を叩いてやって来た。

「入りなさい」

 机の上の書類も片さないままにそう言うと、入ってきたのは、たてがみのような髪の毛をいささかしぼませて落ち込んだ雰囲気のチュンファンだった。

 こんなに元気が無いチュンファンを見たのは、先日弟が重い病を患ったと言って休みを取ったとき以来なので、ピングォは思わず驚いた。

「どうしたんだい? 今度は一体何が?」

 思わず心配になってそう訊ねると、チュンファンは涙ながらにこう答えた。

「去年、弟が重い病を患ったと言ったじゃないですか」

「ああ、その時のことはよく覚えているよ」

「一度は良くなったのでまたここに戻ってきたんですけど、実は病気が治ったわけじゃ無くて、寒くなった近頃に、あの病気を拗らせて……」

「……うん」

「死んでしまったんです」

 話を途中まで聞いて、なんとなく察せられる内容だったけれども、今のチュンファンの心持ちはどの様なものなのだろう。弟を喪うというのはどういう気持ちなのだろう。ピングォはそれを想像する。もしジュイズが突然死んでしまったら、ジーイーやウーズィが突然死んでしまったら。きっとその時は何日も何日も嘆き悲しむのだろう。

 ピングォはチュンファンのために何ができるかを考え、蔵の中に青と緑で染められた羊毛の布があることを思い出す。

「紅毛人から買わされた、喪に必要そうな布があるから、それをあなたに持たせよう」

「はい、ありがとうございます。姐さん」

 ピングォは声を上げてジーイーを呼び出す。少し待つと扉を叩く音が聞こえたので、中に入るように言う。そしてすぐさま恭しく入ってきたジーイーにこう指示をした。

「蔵の中から青と緑で染められた布を持っておいで。あの、紅毛人から買わされたって買弁が持って来たやつ」

「あれをですか?」

 ジーイーは一瞬驚いたような顔をしたけれども、ピングォの前に立っているチュンファンの様子を見て、何かしら察したのだろう。一礼をしてすぐさまに部屋を出て行った。それから無言でしばらく待ち、ジーイーが戻ってきた。持ってきた布をチュンファンに渡すようジーイーに言う。布を受け取ったチュンファンは、大きな体を縮こめてぼろぼろと泣いていた。

 ピングォが言う。

「チュンファン、あなたにしばらく休みを出そう。ただし、この条件を飲むように」

「条件、ですか?」

 くしゃくしゃになった顔でピングォを見るチュンファンに、ピングォは優しく語りかける。

「あなたが落ち着くまで休んでて良い。特に期限は決めない。

けれども、必ずこの屋敷に帰って来るように。それが条件だよ」

 それを聞いて、チュンファンは渡された布をぎゅうと抱きしめる。

「姐さん、姐さん、ありがとうございます……俺は絶対に帰ってきます。

だから少しの間だけ……」

「うん、うん。わかっているよ。

ほら、もういって弟のところに行く準備をしな」

「はい、それでは失礼します」

 とぼとぼと歩いて部屋から出るチュンファンを見送った後、ピングォが溜息をついて呟いた。

「まったく、無理に買わされる布でも役立つことがあるから、こっちは複雑だよ」

 それに同調するように、ジーイーも呟いた。

「役立つ機会が少ない方がいいですからね。ああいうものは」

 ジーイーは扉の方を見たまま続けて呟いた。

「でも、チュンファンは本当に帰って来るでしょうか。ずっと弟のいた家に戻って、また街でごろつきにならないか、僕は心配です」

 若干の不信感が滲むその言葉に、ピングォは髪を纏めている簪を手でいじりながら返す。

「帰ってきてくれないと困るよ。あの子を頼りにしてる舎弟の私兵は沢山いるんだ。

そのことはチュンファンもわかってるだろうし」

「……そうですね」

 ふたりは少しの間黙り込んで、先に口を開いたのはジーイーだった。

「僕はチュンファンが羨ましい」

 一体何事かと、ピングォがジーイーを見る。すると、ジーイーは目を伏せてこう続けた。

「僕は本当の両親を亡くしてだいぶ経ちましたけれど、葬儀をしたときに、僕は僕達を捨てた両親に何の思いも抱けなかった。

ああ、死んだんだ。それだけです。

チュンファンみたいに家族のことを思って、悲しめるのが、僕には羨ましい」

「……なるほどね」

 もしかしたら、ジーイーは自分には人の心が無いと思い込んでいるのかも知れない。そんな事はないとピングォは思っているのだけれど、実際のところどうなのか、確証を持つことはできないので下手な慰めはできない。

 だから、ピングォはこう言った。

「私が死んだときには、泣いておくれよ」

 ジーイーがはっと顔を上げた。

「私も、あなたが先に死んだら泣くから」

「……はい」

 この言葉を、ジーイーはどう受け取ったのだろうか。それを知る術はピングォにはない。けれども、少し張り詰めていたジーイーの表情が、少しだけ和らいだように見えた。

 きっと、ジーイーは家族というものに関して、宙ぶらりんな気持ちをずっと抱えているのだろう。だれを家族といい受け入れれば良いのかわからないのだろう。

 でも、それを決めるのはジーイー本人でなくてはいけなくて周りから指示を出して決めさせるものでもないだろう。ジーイーはまだ若い。だからまだまだ、模索する時間はあるのだ。

 戸惑った様な表情のジーイーに、ピングォはお茶を持ってくるように言う。

「茶杯はふたつ持ってきなさい」

「……かしこまりました」

 今日はすこし、ふたりで話をしたい気分だった。

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