第三十四章 外の世界は
まだ暑い日が続くけれども、どことなく涼しい風が吹くようになった頃。この日ピングォは数人の使用人と共に皇帝に朝貢品を納めに来ていた。
今回持って来た朝貢品は、籠の中にいる青い鳥が歌うカラクリだ。籠の据えられた箱は金や宝石で彩られ、籠に絡みつく蔦の葉は鮮やかな七宝で彩られている。皇帝の前でそのカラクリの鳥が鳴くところを見せると、皇帝は感心したように何度も頷いた。これは今回も、この朝貢品を気に入ってくれたようだった。
朝貢品を紅毛人達に出させるときに、ピングォに中継ぎを頼むとほんとうに良い物を持ってくる。皇帝はそう言って、ピングォにも褒美を取らせた。
確かに朝貢品を扱うのは大変な事ではあるけれども、自分で海を渡って持ってくるわけではないし、直接紅毛人とやりとりをするわけではない。正直言って、広州で紅毛人を相手にしている行や買弁の方がよっぽど大変なのだけれども、それは敢えて口に出さずに褒美を受け取る。下手な謙遜は皇帝の機嫌を損ねるだけなのだ。
朝貢品を納めた後、皇帝から、またタオヅがピングォと話しをしたいと言っているから後宮に行ってくれと命じられた。これもまたいつもの事なので、ピングォは連れてきた使用人達を控え室において、宦官に案内され後宮へと向かった。
後宮はあいかわらず華やかだ。明るい日差しを浴びて輝く白塗りの壁に、それに映える赤い柱、それに黄金色に輝く瑠璃瓦など、どれも壮観だ。ここに来ると庶民の生活というものが遠く感じられる。
タオヅの部屋の前に来た。いつものように軽く扉を叩くと、中から声が聞こえてきた。
「どうぞ、お入りになって」
ピングォは扉をそっと開けて、一礼をして中に入る。そこには、本を開いて読んでいるタオヅがいた。
「久しぶりねピングォ。ねぇ、今日も」
膝の上で開いていた本を閉じて期待の眼差しを向けてくるタオヅに、ピングォは少し申し訳なさそうに笑って言う。
「本日は天文書の新しいものは持ってきていないのです。申し訳ありません」
それを聞いてタオヅは少しだけ残念そうな顔をしたけれども、膝の上に乗せている、おそらく以前ピングォが渡した天文書の訳書を手に取って、ぎゅっと抱きしめてから棚に戻してこう言った。
「それなら今日は、普通のおしゃべりをしましょう。
私、あなたのことをほとんど知らないなって思って」
それを聞いてピングォも、確かに。と思う。タオヅに自分の話をすることは今までほとんどなかったのだ。
「私のことが気になりますか?」
ピングォが微笑んでそう訊ねると、タオヅは恥ずかしそうに笑って答える。
「気になるわ。あなたがどんな生活をしているのか。
私たちみたいに、退屈な生活ではないんじゃないかと思って」
後宮は華やかだけれども、退屈な日々が続いていると、タオヅは言う。毎日歌や踊り、琴の練習はをしてはいるけれども、それだけだ。他の貴妃達は、自分がより皇帝の寵愛を受けるために他の貴妃の足をひっぱったり、陰口を言ったりとそう言う事をしているようだけれど、タオヅはそれが苦手なので、なるべく目立たないように過ごしているのだという。
「後宮の外は、つらいけれど楽しい事もあった気がするわ」
タオヅはそう言って溜息をつく。それからピングォにこう言った。
「ねぇ、あなたのお話も聞かせて」
期待に満ちたタオヅの視線を受けて、ピングォは口を開く。
「そうですね、私が過ごす毎日は、とても刺激的です。毎日のように貿易の書類が来て、それの対応をして……この辺りは退屈なこともありますけれど。
それ以外に、紅毛人がこの国に運び込んだ輸入品をこの国の人に売る買弁や内地商人と言った人々が私の屋敷に来て、色々と話をしたり、まぁ、ほとんどは私にお願い事があったりなのですが。そんな事がありますね」
「まぁ、そうなのね」
今話したことがタオヅにうまく伝わっただろうか。それはわからないけれども、ピングォはさらに言葉を付け足す。
「それに、部下や弟が色々やらかすので、毎日賑やかですね」
それを聞いて、タオヅはころころと笑う。部下や弟というのは想像しやすかったのだろう。
「ピングォのところは、弟さんだけでなく部下とも仲が良いのね」
羨ましそうにタオヅはそう言って、昔を懐かしむようにこう語った。
「私はね、昔から後宮に入りたいって思ってたの。そうなんだけれど、いざ後宮に入ってみると、確かに後宮はきれいなのよ。華やかなのよ。けれども、ここはあまりにも退屈な世界だわ。正直言って後悔することもあったわ。
でも、後宮に入って良かったと思うことが確実にひとつはあるのよ」
「それは、なんですか?」
後宮に入って後悔したことすらあるというタオヅにとって良かったこと、それは何なのかピングォは気になった。タオヅはにっこりと笑って答える。
「ここにいたから、私はあの『神に約束された』と書かれている天文書に会えたの。
私はあの人に、ここで出会ったのだと、そう思っているの」
そこまであの天文書に入れ込んでいるのかとピングォは思う。驚きはそこまでない。むしろ、やはり。といった確信の方が強かった。
タオヅが言葉を続ける。
「私、今ならはっきりとわかるわ。
私は皇帝陛下よりも、あの天文書を書いた人を愛しているのだと」
それは言ってはいけないことだ。それはタオヅもわかっているはずだ。
「でもこれは、だれにも内緒ね」
ピングォは了承の意を伝えるように頭を下げる。これはきっと女にしかわからない心の軋みなのだ。




