第二十八章 善堂の景教徒
梅や桃の花が咲き、冷たかった風も温むようになった頃。紅毛人の船が出航する前に、そろそろ朝貢品や個人的な輸入品の発注書をまとめながら、ピングォは時々難しい顔をして髪を纏めている簪を手で弄っていた。
この発注書を紅毛人達の言葉で書ければ明確に意図が伝わるのだろうけれども、それは難しい。コンに頼んで紅毛人の言葉に訳してもらおうと思ったことはあるけれども、それは出来ないと断られてしまったことがある。なんでも、向こうの言葉を読むのはできるけれども書くことは出来ない、技術的な問題だと言っていたけれど。
今までもこの国の言葉で発注書を書いて何とかなっていたのだから、今回も何とかなるだろうという気はする。するけれども、一抹の不安は拭えなかった。
溜息をついて簪を弄って。そうしていると、扉を叩く音が聞こえた。
「入りなさい」
簪から手を放して返事をすると、入ってきたのはウーズィだった。特に茶器は持っていないので、お茶の時間というわけではなさそうだ。
「何の用だい?」
そう訊ねると、ウーズィは軽く一礼をしてからこう言った。
「景教徒の方がピングォ様にお願いがあると言って来ています。通してもよろしいですか?」
「景教徒?」
なぜ突然景教徒が自分の元に来たのだろう。それが疑問ではあったけれども、景教徒と言えばウーズィも親しくしている人達がいるはずだ。その関係だろうかと考え、とりあえず、通すようにとウーズィに伝える。ウーズィはまた一礼をして扉を閉めた。
景教徒について、ピングォはほとんど何も知らない。年末に彼らが蝋燭を持って歌っていたことだとか、異国の神を祀っているだとか、そう言うことを伝え聞くだけだ。
疑問に思っている間にも、もう一度扉を叩く音が聞こえた。入るように返事をする。入ってきたのはウーズィと、その後ろに付いてきた、白い髪を短くまとめた背が低くがっしりした男。おそらくこの男が景教徒だろう。
「お連れしました」
ウーズィがそう言って一礼すると、隣に出た男も一礼をする。そのふたりを見てから、ピングォは早速景教徒の男に訊ねた。
「私に用があるみたいだけど、一体どんな用だい」
すると景教徒はこう答えた。
「ピングォ様の元に参りましたのは他でもございません。我々が運営している善堂に、資金援助をして欲しいのです」
「善堂に?」
まったく縁もゆかりもないようなピングォの所に来て、いきなり無心するとは。なかなかの度胸だと思いながらも、すぐに金を出すわけにはいかない。ピングォは厳しい目を向けて景教徒にさらに訊ねた。
「もし善堂に私が援助をしたとして、私になにか見返りはあるの?」
その気迫に押されたのか、景教徒は目をぎゅっと瞑ってから開き、ピングォの方を見て答える。
「善堂が整えば、瘴疫や時疫が流行ったときに広がるのを押さえられますし、善堂では孤児の育成もしております。
これらのことに支援なさったと広く知られれば、ピングォ様の威信を広められると存じます」
「威信ねぇ」
結局のところ、回りから信頼を得られるのが見返りと言ったところのようだ。物質的な見返りではないけれども、信用は有ると無いとでは圧倒的にあった方が良い。なので、ピングォに余裕があるのであれば、この話に乗るのは悪くはない。
しかし気になることがある。
「あなたは、誰に聞いて私のところに来ようと思ったんだい?」
そう、誰からピングォの話を聞いて来たのか、それが気になったのだ。ピングォが信頼を置く人物であるならともかく、なんとなく目に付いたからだとか、街の噂で聞いたからだとか、そんなふわふわとした根拠で来られていたとしたら困る。こちらから向こうに対する信用が一切無いのだ。そして、一切信用がない状態で援助をすることを受けてしまうと、後から後から厄介なやつらがたかりに来るだろう。それは避けたかった。
ピングォの問いに、景教徒はこう答えた。
「チュンファンさんに聞いて参りました」
「ああ、あの子か……」
それを聞いて妙に納得する。はじめはウーズィから聞いたのかとも思ったのだけれど、チュンファンからとなれば、孤児を育成する善堂をなんとかしてやりたいという気持ちがあるのがよくわかった。チュンファンは、孤児というものを見捨てられないたちなのだ。
「わかった。そちらの善堂にいくらか支援しよう」
それを聞いて、緊張していた様子の景教徒の表情が少し緩む。
「本当ですか?」
「勿論だとも。二言はない」
「それは、ありがとうございます」
心なしか目を潤ませて、景教徒が深々と礼をする。その後に、どの程度支援するかという話を纏めて、景教徒を帰らせた。
景教徒を帰らせた後、ピングォはチュンファンを呼び出した。何があったのだろうという顔をして部屋に入ってきたチュンファンに、ピングォは開口一番こう言った。
「あなた、勝手なことをするんじゃないよ!」
その怒声を浴びて、チュンファンはびくっと身を震わせる。
「さっき善堂をやってる景教徒が来たんだけどね、あなたが私を頼れば良いって言ったんだって?」
とげとげしいその言葉に、チュンファンはしどろもどろになりながら返してくる。
「だって、姐さんなら助けてくれると思ったんです……」
大きな体を縮こまらせて、縋るような目でチュンファンが見てくる。それを見て、ピングォは溜息をつくしかない。このまま叱り飛ばしたいけれども、こうやって頼られるとどうしても弱いのだ。
それに、本来なら疫病や孤児に対する対応は国がやるべきだ。けれども国が動けないのならば、ピングォ達のように金を持った人間が善堂を支援するしかない。そのこともわかっていた。
ピングォは縮こまっているチュンファンに、優しい調子で声を掛ける。
「あのね、いきなりああいうのが来るとこっちもどうしたら良いかわからなくなるから。
次からは私に相談してから連れておいで」
「はい、わかりました姐さん……」
すっかり意気消沈してしまったチュンファンを見て、このまま気落ちさせたままでも良くないだろうと、チュンファンに酒を持ってくるように言う。
「ちょっとばかし暗くなっちゃったね。
一緒に飲んで気分転換しよう」
「……はい!」
ピングォの言葉に、チュンファンはぱっと表情を明るくして酒を取りに行く。
その様を見て、どうしても甘やかしてしまうなと、ピングォは思った。




