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第二十章 西の国への羨望

 日も長くなり乾燥した空気と日差しが肌を焼くようになった頃。この日ピングォは近隣から納められた蟠桃の実を持って宮廷へと参じてた。

 今年の蟠桃は非常に出来が良い。これなら後宮の貴妃たちだけでなく、皇帝も気に入るだろうと、丸を押しつぶしたような形をした、手の平に乗るほどの桃を籠一杯に入れて、使用人に運ばせていた。

 皇帝へ献上して、気に入った味かどうか様子を見ると、どうやらお気に召したようだった。皇帝が食べたい分だけ蟠桃を取り分けられた後、残りの桃は貴妃達に分けるようにと、皇帝が厨房の担当者に蟠桃を持っていかせる。それから、ピングォは後宮に行って話を聞きたがっているタオヅの元へ行くようにと、皇帝から命を受けたのだった。

 宦官に案内されて後宮の廊下を歩きながら、中庭を見る。さんさんと光が差し込んで、掘られた池の水面が輝いている。

「先程の蟠桃は、冷やしてから貴妃達にお配りしますね」

「はい、是非ともそうなさって下さい」

 道中少しだけ宦官と話をして、そうしている内にタオヅの部屋に着いた。扉を叩くと中から静かな声で、入るようにと返事が来る。ピングォはそっと扉を開けて、一礼をしてから中に入った。

「お久しぶりでございます、タオヅ様」

「久しぶりね、ピングォ。

今日もお話を聞かせてくれるの?」

 また天文の話を聞きたいのだなと察したピングォは、タオヅに訊ねる。

「先日お渡しした天文書は、お読みになりましたか?」

 それに対してタオヅは、少し頬を赤らめてこう答えた。

「ええ、もう何度も読み直しているの。

いままでにピングォが持って来てくれた分も、何度も……

新しい本は、まだ届いていないの? あの、『神に約束された』とある……」

 自分が持ってきているものをここまで気に入ってもらえるのは純粋に嬉しい。ピングォはにこりと笑ってタオヅに言う。

「そちらの本は、早ければ来月には新しいものが来ると思います。

ただ、紅毛人達の言葉からこの国の言葉に訳すのに、しばらくお時間を戴きますが」

「そうなのね。楽しみだわ」

 夢を見るようにうっとりと、今までの訳本を出して眺めるタオヅを見て、ピングォははたと思う。いつも天文書の訳をコンに頼んでいるけれども、なぜ彼は紅毛人達の言葉をこの国の言葉に訳すことができるのだろう。紅毛人の相手を直接やっている行の人間ならできるだろうというのは考えられるけれども、コンはなぜ……?

 そこまで考えて、ピングォは考えるのをやめる。コンは自分達とは違うものなのだ。だからきっと、なにかしらそういう不思議な部分があってもおかしくはない。そう思うことにした。

 ピングォが物思いに耽っている間、タオヅはまた少し、天文書の訳書を読んでいたようだ。胸に手を当てて、唇が震えている、少し興奮気味になっているようだ。

 ピングォの視線に気づいたタオヅがはっとして言う。

「そういえば、喉が渇いたわよね?

お茶を用意させましょうか」

「ありがとうございます、お言葉に甘えて」

 タオヅが召使いを呼んでお茶の準備を言いつけるところで、ピングォにこう訊ねてきた。

「どんなお茶が飲みたいかしら? お勧めは、凞春なのだけれど」

 その言葉に、ピングォは持っていた巾着から小さな籐の入れ物を出してこう返す。

「実は、玫瑰をお持ちしているんです。これを凞春に混ぜるのはいかがでしょうか」

 すると、タオヅは喜んで入れ物を召使いに持たせる。

「丁度良かった。香りの良いお茶を飲みたいなって思ったの」

「それはそれは。お持ちした甲斐がありました」

 お茶の準備をするために召使いが下がった後、タオヅがピングォのことを見て、にこりと笑ってこう言った。

「ピングォは本当にすごいわ。

私の欲しいものが全部わかっているみたい」

「そう仰っていただけて幸いです」

 本当はタオヅの好みが全部わかっているわけではなく、後宮の貴妃達が好むものはおおむね似たり寄ったりなので、大体こうだろうというのが当たっているだけなのだ。もっとも、タオヅが天文書を気に入るというのは本当に予想外だったけれども。

 召使いがお茶を持ってくるのを待つ間、タオヅが部屋の窓から外を眺めて、うっとりと呟く。

「私も、西の国に行ってみたい」

 それはときたまタオヅが零す言葉で、その度にピングォは言って聞かせる。

「滅多なことはおっしゃるものではありません。

西の国への旅路はとてつもなく過酷なのです。女の身で旅に出て、辿り着けるかどうか……

船に乗れば病に倒れるという話は本当に良くある話ですし、陸路で行くにしても、賊が出るだけでなく、毒虫や蛇に襲われます。

西に行くのは本当に本当に、大変な事なのです」

 それを聞いて、タオヅはそれでも窓の外を眺め続ける。

「私が男だったら、西に行けたのかしら。

西の国へ行って、あの本を書いている方にお会いして、お話を聞かせて貰う事ができたのかしら」

 タオヅは後宮に入って数年だという。後宮に入る前、この国から出ようと思えば出来たかも知れなかった頃のことがまだ心にあるのだろう。だが、今後宮にいるという事実は変わらない。後宮ので生活は楽なことばかりではないと聞くし、この様に夢を見ることくらいは許されて良いのではないかとピングォは思う。

 けれどもその夢はあまりにも切実で、タオヅをこの後宮に閉じ込めておくことが時々心苦しくなるのだ。

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