第二章 窓からの来訪者
年も明けたばかりの頃。気分は晴れやかだけれども、日差しは冷たく空気は凍り付くような日のこと。年が明けて五日間の間は米を炊いてはいけないというしきたりがあるので、ピングォはお昼時に暖かくつるつるした水餃子をお茶と共に楽しんでいた。
水餃子の中に入っているのは豚肉と干ししいたけを混ぜた物であったり、干し海老を刻んで片栗粉でまとめた物であったりした。
筍の取れる季節なら、水餃子の中に筍を混ぜ込んだりもできるのだろうし、ピングォはあの筍の食感が好きだ。けれども生憎、この寒い季節に筍は手に入らない。瑞々しく柔らかい筍が採れる春が待ち遠しい。
水餃子を食べ終えお茶も飲み終わり。しばらくすればジーイーが下げに来るだろうと食器を机の端に寄せて、積んであった書類を広げる。
書類を見て気を引き締める。今年もまた、貿易に関する手続きや取引、それに加えて取り締まりも行わなくてはならない。
貿易を行っている行だけでなく、そこに出入りする買弁や内地商人は、しっかりと見張っていないとすぐに法の目をかいくぐろうとする。行は取引額を誤魔化して脱税をしたりするし、買弁や内地商人は行を挟まずに紅毛人と取引をしたりしようとする。紅毛人が持ち込んだ品物は、しっかりと税の管理をするために行を挟まないと買弁や内地商人には渡してはいけないことになっているのに、やはり脱税のために接触を取ったりするのだ。
紅毛人としても、本音としては行だけでなく買弁や内地商人と直接取引をしたいところだろう。そちらの方が、税金がかからずに安く品物を買えるし、高く買ってもらえる可能性があるのだ。
気を引き締めたのもつかの間、そんな事を考えたら気が滅入ってきた。頭を振って、髪を結っている簪に手をやりながらピングォが呟く。
「せめて破五の間は考えるのやめとこ……」
去年から持ち越した仕事があるからと自室に籠もってここで食事をしたけれど、どうせ仕事をしないのなら、両親と一緒に食事をすれば良かったと少し後悔した。
書類をまた積み直してぼんやりしていると、誰かが扉を叩いた。
「入りなさい」
そう返事を返すと、ジーイーが新しい茶器を持って入ってきた。
「冷えるかと思って新しいお茶をご用意しました。
先程の器はお下げしますね」
ほのかに湯気の立つ急須が乗ったお盆を机の上に乗せ、手際よく空になった食器と茶器を下げていく。
「ありがとう。あいかわらず気が利くね」
「長い付き合いですから」
短いやりとりをして、ジーイーは一礼してから部屋を出て行った。するとどうしてだか、この部屋が妙に静かな気がした。
急須から茶杯にお茶を注いで、口を付ける。すると甘く華やかな香りがした。おそらく桂花が入っているのだろう。
甘い物が欲しい。桂花の甘い香りに誘われてか、そう思った。そしてその直後に、食事をしたばかりなのにと思わず苦笑いする。
少しずつお茶を楽しんでいると、今度は窓の方から音がした。鳥が突いているのとはまた違った調子だ。窓の方を見ると、そこには逆さまになってなにやら小さな蓋付きの籠を持った男がいた。つり目で整った顔立ちに、勿忘草色の髪の前髪だけを編み込んだ、怪しい人影。にっこりと笑っているけれども普通なら追い返すような相手に向かって、ピングォは窓を開けてこう声を掛けた。
「あなたはまた窓から来て。ちゃんと玄関から来なさいよね」
「玄関から来るとうるさいのがいるじゃん」
「あー、まぁ、それは認める」
怪しげだけれども既に慣れた顔見知りの彼を部屋に招き入れ、ピングォはまたお茶に手を着ける。
「ピングォ、甘い物欲しいんじゃないの?」
「さすがコン、よくわかってる」
コンと呼ばれた男から、ピングォは小さな籠を受け取る。蓋を開けてその中を見ると、中には小さく割られたもろこしが幾つか入っていた。コンにお礼を言って、もろこしを口に含む。これはコンが作った物だろう。この家の厨房で作った物や、街で買ってきた物とはまた違った味わいだ。
コンを側に立たせたままもろこしを食べる。そうして一息ついて、ピングォははっとしたように立ち上がり、部屋の中にある書類棚から紙の束がまとめられた物を取り出す。背の部分だけ糸綴じでまとめられたそれは、異国の文字が綴られていて、どうやら表紙の付いていない本のようだった。それをコンに渡し、こう言った。
「見ればわかると思うけど、いつも通りこれを訳して欲しいの。お願い出来る?」
本を受け取ったコンは、ぱらぱらとめくり目を通している。それから、にっと笑ってこう答えた。
「もちろん。ちゃんと報酬がもらえるならやるさ」
「報酬は食料とお金でいいんだよね?」
「おっ、さすがわかってる」
「そろそろね」
ピングォはコンに今回はどの様な食料を渡すか、渡せるかと、お金はどの位かを訊ね、それからこう言った。
「あなたのお兄さんは、まだ日出ずる国から帰ってこないの?」
それを聞いたコンは少しだけ寂しそうな顔をして、すぐにおどけた表情で返す。
「まー、兄ちゃんはのんびりしてるし、まだしばらくかかるんじゃないかな。
いつになっても最悪帰ってくれば良いし」
本当は、すぐにでも帰って来て欲しいのだろうとピングォは思う。コンの兄がこの国を出る前は、こんなに頻繁にピングォのところへは来ていなかったのに、国を出たと聞いた頃から、コンは今日のようにお菓子などを持ってここに来る頻度が増えた。それはきっと、寂しいからなのだろう。
すこし沈んでしまった空気を変えるように、ピングォがコンにまた訊ねる。
「ところで、その本は何の本? 天文書だと良いんだけど」
「ああ、これも天文書だね。紅毛人がよく唱えてる宇宙の図が載ってる。それに」
「それに?」
「いつも通り『神に約束された』って前置きがある」
それを聞いてピングォは安心する。天文書は、ピングォ自身が興味があるわけではないのだけれども、だいぶ前にたまたま訳した天文書にさる高貴な方がた興味を持ち、それ以来、買弁と行を通して個人的に天文書を買い付けているのだ。
けれども、この天文書はどこの国の物なのだろう。紅毛人も、色々な国から来ていると聞く。その、色々な国のうちどこからこの本は来るのだろう。そのことには、ピングォも興味があった。
けれども、それを知る術はきっと無いのだろう。




