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第十六章 星空に憧れて

 可憐な梅の花が咲く頃、心なしか寒さが緩む日々が増えてきた気がする。

 そんななかのある日のこと、ピングォは先日納品されてきた、貴妃向けの刺繍物をもって後宮へと出向いていた。

 後宮へ出向くと行っても、当然皇帝の許可はいる。女だからといってそう簡単に入り込める場所ではないのだ。なので、あらかじめ後宮に勤める宦官に貴妃に献上する刺繍物を見せた上で皇帝に取り次いで貰い、許可を得るのだ。

 皇帝からの許可が下り、宦官に案内されて後宮へと入る。刺繍物を献上するためとは言え、貴妃たちに一ヶ所に集まってもらうなどということはできない。一番位の高い太后などの貴妃から順に部屋を回っていくのだ。

 位の高い貴妃はもちろん沢山の中から選べる。しかし、位が下がっていくほど余り物を選ぶという状態になるのだけれども、それでも後宮の貴妃たちは、トオゥの刺した刺繍物を求めてやまないのだ。それは部屋に飾ったりだとか、団扇にするだとか、場合によっては服に付けたりだとか、使い方は様々だけれど。

 ひとおおり貴妃たちの部屋を回り終わったピングォは、回っている途中で、一段落したら部屋に来て欲しいと言われていたタオヅの元へと向かう。

「タオヅ様、お待たせ致しました」

 部屋の前で扉を叩きそう声を掛けると、中から入るようにと声がかかる。静かに扉を開け一礼をして中に入ると、そこには期待に満ちた表情をしているタオヅがいた。

「とりあえずそこに掛けて。これからお茶を用意させるわね」

「はい、ありがとうございます」

 お茶の用意を任された召使いが用意をしに部屋を出ると、タオヅは待ちきれないといった様子でこう言った。

「ねぇ、また星の話を聞かせてくれるのでしょう?」

「もちろんです。また新しい本も入りましたし、そちらの訳書も出来上がってございます」

「うふふ、楽しみねぇ」

 ピングォは刺繍物を納めていた箱の底から、少しよれた本を一冊取り出す。その本を開くと、冒頭には『神に約束された』という一文がある。

 ピングォは一語一語を大切に読んでいく。タオヅがこの天文書の言葉をとても大切にしていて、宝物のように扱っているのを知っているからだ。

 何度もこうやって天文の本を読んでいるけれども、やはりピングォには天文のことはわからない。宇宙がどうだとか、惑星がどうだとか、普段あまり空を見上げないピングォには縁遠いものだった。けれども、タオヅはうっとりとしながら天文の話を聞く。タオヅは夜空を見上げることはあるのだろうか。この華やかでうつくしいけれども閉鎖的な、後宮というこの世界で。

 区切りの良い所まで読んだところで、いつの間にか用意されていたお茶に口を付ける。微かな渋味と華やかな甘い香りが喉を通っていく。おそらく桂花が入っているのだろう。

 お茶を飲みながら、ピングォはタオヅに訊ねる。

「タオヅ様は、天文のことがおわかりになるのでしょうか。随分と興味をお持ちのようですけれど」

 すると、タオヅは頭を振ってこう答えた。

「この宮廷の天文学者は、みんな難しいことばかり言ってなにがなんだか私にはよくわからないの。

でも、西の国から来る、この『神に約束された』と書かれているこの本だけは、聞いていて楽しいわ」

「そうなのですね」

 楽しみがあるのは良いことだとピングォが思っていると、タオヅがふっと瞼を伏せてぽつりと零した。

「この本を書いた人なら、宮廷の天文学者みたいに、よくわかっていない私を馬鹿にすることなんかないように思えて」

 その一言に、ピングォは胸を刺された気がした。ピングォは今の仕事を親から継いでから、何度も『女だから』という理由で相手にして貰えなかったり下に見られたりすることがあった。あったというよりは、いまだにある。そんな理不尽なそしりを高貴な身分である貴妃でさえ受けているなんて、信じられなかった。いや、貴妃であれば男からのそしりなど受けないと思っていたかったのだ。

 無力感と怒りとが交互に湧いてきたけれども、今それを表に出すわけにはいかない。タオヅはタオヅなりに、なんとかやり過ごそうとしているのだから。

 ピングォがお茶をひとくち飲んで言う。

「それでも、タオヅ様は暦を読む仕事を任されているわけではないのですから、楽しい話だけで良いのですよ」

「そうかしら……?」

「そうですとも。貴妃は毎日を楽しく過ごして、皇帝陛下を和ませるのがお仕事なのです。

それに、天文学者は暦を読み間違えると首が飛びますからね。必死なんですよ」

「まぁ、それはそれで哀れかも知れないわね」

 少しの間、タオヅの天文学者に対する愚痴を聞いて、ピングォも少し仕事での愚痴を話して、少しだけ笑って。そんな時間を過ごしてから、ピングォが話を変えるようにこう言った。

「そういえば、そろそろ紅毛人の船が西に帰る頃なのですが、向こうの方へご注文の品などございますか?」

 すると、タオヅはピングォが持って来た天文学の訳書を手に取って抱きしめてこう答える。

「また、天文学の本が欲しいわ。できればこの、『神に約束された』と冒頭にあるやつが」

「かしこまりました」

 ピングォは時々思う。タオヅがここまでこの天文書に執着するのは、知的好奇心だけではないのだろうと。きっと思慕の念もあるのだろうし、他にも色々と複雑な気持ちを抱えているのかも知れない。けれどもそれはタオヅだけが知っていればいいことで、他の者が深く詮索する必要は無いし、してはいけないと思った。

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