9.木漏れ日とお気に入り
孤児院にいた頃。僕はある時を境に街に出なくなった。
それまでもあまり率先して出掛けたりすることはなかったけれど、その時をきっかけに完全に引きこもりになったのは、自分でも記憶に新しい。
朝起きて、朝食の準備を手伝って、みんなで食べて、片付けて。それが終われば部屋で本を読んだり、マリア先生の家事を手伝ったり。そしてまた昼食の準備、手伝い、夕食の準備という毎日を過ごしていた。
他の子達は、マリア先生の魔法に守られながら買い物に行ったり、教会の魔法使いと一緒に出掛けたりしたりしていたけど、僕は外に出ることはなく。──シエラには心配をかけていた。
僕が外の空気を吸いたくなった時は、教会の敷地内にある小さな森へよく行った。
シエラと二人で、木陰でひとときを過ごす。
それが至福だった。
麻を編んだ敷物を敷いて並んで座ると、風に揺れる木の葉を見たり、小鳥の囀りを聴いたり。それが昼時だった時には、よく僕の作ったサンドイッチを一緒に食べたっけ。
シエラは卵としっかり焼いたベーコンを挟んだものが好きだったから、よく作ったな。
シエラには殆どの事で敵わなかった僕だけど、料理だけは勝っていたから、それを振る舞えるのが嬉しかった。
僕の作ったサンドイッチを、小さな口で幸せそうに食べるシエラが可愛くて。それだけでお腹いっぱいになったのが懐かしい。
シエラと過ごした数ある思い出の中でも、それは一段と鮮やかに覚えていて。僕は似たような木陰を見つけると、立ち寄るようになった。
──そんな場所は、この学校の中庭にもある。
そこはベンチ等もない為かあまり他の生徒も来ないし、静かに過ごすにも調度良い。
僕は時間を見つけては、そこへ通うようになっていた。
秋の柔らかい日差しが、木漏れ日となって僅かに降り注ぐ。
微かな風に、光がキラキラ揺れる様が綺麗だ。
太い枝の上では小さな三毛猫が昼寝をしていて、くあっと欠伸したのが見えた。
僕はくすりと笑みを溢すと、そこで闇魔法の練習をしながら、シエラにも見せたいなあと想いを馳せた。
「木の精霊よ」
不意に、低くよく通る声が聞こえて、つい顔を向けた。
なんとなく聞き覚えがあるなと思ったら、やっぱり。同じ天空クラスの男子生徒が、ここからは少し離れた木に語りかけていた。
モスグリーンの短髪に、深緑色の瞳。
背は元の僕の身体くらいに高くて、マント越しでも筋肉がよく付いているのがわかった。
あれは、確か父親が王宮騎士で、本人も騎士志望の奴だ。
そういえば入学初日に剣の手入れをしていたのを思い出した。名前はケヴィン・オールボンだったか。
別に覗く気はなかったけど、ついぼんやりと見ていたら。
──バチリ。目があった。
さすが騎士志望。気配でわかったのかな?なんて、呑気なことを考えつつ、疚しいことはなにもないし取り敢えず軽く会釈する。こんにちはー、と。
しかし向こうは酷く驚いた様子を見せると、そそくさと立ち去ってしまった。
「?」
途端に人気のなくなる中庭。
小鳥の囀りと、眠る猫の気配だけが残る。
······なんだ?
一瞬、気まずそうな表情が見えたけど、見ちゃいけないようなことはなかった、よな?
僕は首を傾げつつ、彼の消えた方へ視線を向ける。
普通に精霊を探していただけに見えたのに、あの反応は興味を引いた。
まるで悪戯が見つかった時の弟たちみたいな、しまった!みたいな顔。
なんだったのだろう。······気になる。
すると、集中力が大きくそれて、 手元の闇魔法がふわりと霞となって空気にとけた。
「あ!しまった!」
影で作った毛虫のような塊を指先で操っていたのに、消えてしまっていた。
僕はがっくり項垂れて、そのま幹に背中を付けた。
「──······」
あれから、時間さえあればずっとこうして練習しているけど、できたのは靄を集めて動かすことくらいだった。
始めは小指の先程の大きさだったのが、今は親指くらい。一応進化はしていると思うけど、それはあまりにもゆっくりで、実感が全くなくて。
「······はあ」
無意識に溜め息がこぼれ落ちた。
僕は草の上に手を落とすと、幹にだらしなくもたれ掛かる。
あまりに成長の見られない闇魔法に、幾度となく溜め息が溢れていった。
──それに。ここまで落ち込んでいる理由は、それだけじゃない。
闇の精霊と契約してから後、他の精霊とも全く会えていなかった。
厨房の竈で火の精霊を探してみてもダメ。正門前の噴水広場で水の精霊を探してみてもダメ。
ならば実際に火を起こしてみてはと思って焚き火をたいても、水に浸かってみてはと思って滝に打たれてみても、結果はダメだった。
何度も何度もそれっぽいところに足げく通って、思い付く限りのことをやって、全て空振り。
比較的応えてくれ易いと言われるこの二種類を中心に探しているのに、一向に出会えなかった。
まあ、それは自分だけではなくて、クラスメートの皆も同じではあったけれど。
それでも気力が損なわれていくのを止めるのは、難しかった。
「······焦っても意味ないのは、分かってるけど」
闇魔法もこの通り殆ど変化無しだし。
あまりに進歩がなくて、ちょっと心が折れそうになってくる。
「早く、たくさんの力を付けなきゃいけないのに······」
こんなんで、シエラを取り戻すことなど出来るのだろうか?
弱気な考えは止まることなく、僕の気持ちを落としていった。
「──ですか?」
「ん?」
力なく寄り掛かる木の後ろの方から、また声が聞こえた。穴場かと思いきや、今日は案外人が来るな。
今度は誰だと思いつつ、腰を上げてそっと様子を伺うと、見えた人影は二人だった。
クラスメートの女子生徒とシド先生が少し離れたところに立って、深刻そうな顔で話していた。
え、何々?告白?
辛うじて聞こえるくらいの声の大きさだけど、一応去った方がいいかな?なんて。
気を遣うべきか悩んでいると。
「精霊探しはどうだ?」
今まさに自分も悩んでいた話題に、立ち去ろうかと考えていたのを思いとどまった。
「やっぱり思わしくないか」
「はい。全然会えません」
「そうか。ここに来て、精霊の少なさがかなり顕著になったな」
シド先生は女子生徒にというよりは、独り言のようにそう答えると、深い考えに浸っているようだ。
女子生徒も僕と同じように心が折れかけているのか、縋るような目でシド先生を見つめる。
そして、今にも泣き出しそうに潤んだ瞳で助けを求めた。
「どうしたらいいでしょうか?」
「······そうだな」
お!アドバイス!?
アドバイスするのか!?
僕は落ち込んでいたのも忘れ、木にびたっと貼り付いた。
だってそれは今の僕にとっても、一番必要な情報なのだ。一言たりとも聞き逃すまいと聞き耳を立てた。
──僕が精霊を探していることは隠してるから、誰にも聞けなかったんだよな。
立場的に、相談されることはあっても、こちらから出来ないのは辛い。
マリア先生にも、自分でシエラを救うと豪語した手前、訊ける筈もないし。
だから、僕もぜひ助言を賜りたくて、木陰から僅かに身を乗り出した。
──その瞬間に、またしてもバチッと合う視線。
うあ。シド先生に見つかった。
「──······そうだな」
しかしシド先生は僕から自然に視線をはずすと、少し考えてからそのまま続けた。
まあ告白とかじゃなかったようだし、先生としてのアドバイスなら聞かれたって何の問題もないもんな。
僕は開き直って、堂々と耳を澄ませた。
「精霊を呼ぶには、心の近さが大切だと教えたな」
「はい」
「確かに一番重要なのはそれだ。だが、他にも確率を上げる方法はある」
なんだと!?
授業で教わったのは各精霊の好む場所。特性。それから心の近さについてとか、相性とか。そんなところだったと思うけど。他にも方法が!?
「確か君は水の精霊を探しているんだよな?」
「はい」
「なら、水に近い色を持つものと組んで探してみたらどうだ?」
「水の色、ですか?」
「ああ。俗説だが、髪や瞳の色は精霊との相性にも関係があるといわれている。青い髪や瞳を持つものと一緒に探せば、少しは確率が上がるかもしれない」
「わかりました、やってみます!」
なるほど。色と相性か。
そういえば、火の精霊と契約しているマリア先生は見事な赤い髪と瞳だ。
しかも、木の精霊とも契約しているけれど、火の方が得意だと言っていたのを思い出した。
──なるほど、これは確かに一理あるかもしれない。
これはいいことを聞いた。
僕は改めて、自分の持つ色を確認することにした。
僕の元の色は、灰銀の髪と金色の瞳だった。
今のシエラの身体は麦藁色の髪と新緑の瞳。
ううーん、どれだ?
どの精霊を探すのがいいんだろう?
僕はいくつか候補を上げてみる。
金色や麦藁色なら大地か光かな?新緑なら木だけど。灰銀は、なんとなく闇っぽいな。
その中でもう契約している闇と、闇とは相性の悪い光は除外。となると、大地か木かな。
もしくは、他の色の誰かを誘うか、······なんだけど。
僕が全属性と契約している聖女候補だと思っている者もいれば、闇の精霊のみ運良く契約できた只の平民と思っている者もいるんだよな。
誰かと協力するには、この状況は厄介だった。
だってよほどうまく立ち回らないと辻褄が合わなくなるから。
······うーん。
やっぱり、自力で土か木だな。
余計な詮索やリスクは避けたい僕は、すぐに二つに絞る。
さて、どちらにするか······。
今までは所縁のものを見つけては手当たり次第探し回っていただけに、ひとつを選ぶのは中々難しかった。
──でもやっぱり。
僕は目を閉じると、愛しいひとの姿を想い浮かべる。
今は自分の身体だけど、関係ない。
いつだって目で追ってたシエラの色。
僕の大好きな色。
──うん。
やっぱり僕は、せっかくならシエラの色に合わせたいと思った。
いつの間にかクラスメートとシド先生の姿は無くなっていた。
僕はそれにも気づかずに、考えに更ける。
失いかけていた気力が、少し戻っていた。
──諦めたりするもんか。
目を閉じれば、陽の光を受けて輝く麦藁色が揺れる。
記憶の中の、新緑のキラキラとした瞳に見つめられた。
──うん。決めた。
迷子の状態から方向を定めた僕は、決意も新たにぎゅっと手を握りしめた。
**********
それから数日後。
授業も終わった、穏やかな秋の午後。
僕はまたいつもの木陰で、図書室から借りた本を読んでいた。
入学してすぐの頃は外はまだ暑くて、図書室にばかりいたけど、最近は殆どここだ。また冬になったら中に戻るかも知れないけど、今はここが一番居心地が良い。
色付いてきた葉を時折眺めながら、魔法書を読み進めていた。
僕は先日のヒントから、捜索対象を木の精霊に絞ることにした。
シエラの目の色と、優しくて、鮮やかで、眩しい感じがその特性にも合ってるように思えて、そう決めた。
それに木なら、大樹についても何か分かるかもしれないし。
そんな考えもあって、今は木の精霊についての本を読み漁っていた。
──とは言っても、内容が難しすぎて。たまに先生方に聞いたり飛ばし読みしたりであまり身になっている気はしないけど。
そういえぱ最近、なぜかシド先生がよく絡んでくるんだよな。
ことある毎に、訊きたいことはあるか?とか、闇魔法は進化したか?とか聞かれる。
特にないと応えると、目に見えてがっかりする様子に僕も嫌気がさして。それもここにばかり来ている理由のひとつだったりする。
本当にここは良い。
ひとりで落ち着いて何かをするには最適だった。
あれからここで誰かを見かけたこともないし、疲れたら着に寄りかかってうたた寝だってできる。
魔法の練習だって人目を気にせずできるし、誰にも邪魔されず集中できると、ホクホク顔で読書を進めていた。
──すると。
かさ、と落ち葉を踏む音がして、僕は視線を上げた。
今度は、初めから視線が合った。
「シエラ、だったな」
深い緑色の瞳を揺らしながら、躊躇いがちに声を掛けられる。
「はい、そうです。オールボンさん」
「俺のことを知っていたか」
「ええ。まあ」
有名ですから。とは言わない。
だって王宮騎士のお偉いさんの息子だし。みんな知ってるということを、本人もわかっている筈だ。
「俺もお前のことは知っている」
「はあ」
まあ、それもそうだろう。シエラはゆくゆくは聖女と噂される程の魔法の天才だし。
特に王宮や教会の上層部には、それはそれは評価が高いのだから。
親が社交場で噂をすれば、それは子供たちにも伝わる。
公表していないといっても、聖女候補の存在を知らないのは、実際は身分の低い貴族や平民の学生くらいだろう。
シド先生がいうには、聖女候補=シエラと知っているのはおそらく三人ということだけど。
まあそのひとりと見て間違いないだろうな。
こうして王宮騎士の息子が訳ありそうな雰囲気で話しかけてくるということは、聖女候補であるシエラに何か用があるということだ。
だから、僕は敢えて自分から切り出した。
「何か僕に用ですか?」
「······ああ」
それが予想外だったのか、オールボンさんは驚いた表情を見せ、それから躊躇いがちに口を開いた。
「木の精霊を探している。協力してくれないか」
実は、先日のシド先生のアドバイスは、その日の内にクラス中に共有された。
というか、あの女子生徒が手当たり次第に訳を説明して青い眼の人を誘いまくったので、みんな知ることとなった。
──そういえばこの前、オールボンさんは木の精霊を呼んでいたっけ。
だから、この目の色を持つ僕に声をかけたのだろうと、すぐに理解した。
後は、色はもちろんだけど、クラスで唯一契約を果たしているというのも大きいのかもしれないし、聖女候補ということも知られている。
そう考えてみれば、この協力要請は当事者の僕にも理解できた。
······うーん。
でも、なあ。
「俺は騎士になるために精霊と契約しなければならないんだ」
「はあ」
「君はその、······精霊に愛されているんだろう?」
「······」
「だから、少しだけ付き合ってくれないか?」
やっぱりこれは、一緒に精霊探しをしようというお誘いか。
僕が悩んでいると。
「頼む」
誠実な声と共に、彼は頭を下げた。
僕は驚いて、──息を飲んだ。
だって、いとも容易く頭を下げたから。
高位貴族の男が、平民の女のシエラに。
この国は差別は殆どないけど、それでもやっぱり身分で立場が全く違う。僕が特殊魔法使いであったり、聖女に近い者だったとしても、それは変わらなかった。
大きな役割とそれに比例した敬意から、いい扱いを受けはしても、身分は身分。
僕やシエラは、あくまで平民として暮らしてきた。
例えば、街に貴族の馬車が通る時は即座に道をあけ優先して通すし、お店で買い物をする時も平民用の店だけを利用する。
通常会話することも早々ないのだが、そんな機会が訪れれば緊張も露に気を遣いまくって相手をするのが普通だった。
フランネルも貴族令嬢だけど、彼女の家は農地を管理する辺境伯でもあるし、性格も貴族とは思えないほど取っ付きやすい。
だから、普通に接してしまっているけれど。
彼は。
どう見ても高位貴族の御曹司の彼は、雰囲気からして自分とは住む世界が違う人間に見えた。
それなのに、頼みごとをする時にしっかり誠意を見せたんだ。
それは僕の知る貴族のものとは大きく異なっていて。
──格好いいじゃないか。
自然とそんな感想を抱いた。
最近フランネルと友達になって、友達もなかなか良いもんだと思い始めていたのもある。
他愛ない話をするのも、些細なことで笑い合うのも、新鮮で楽しいと思っていた。
フランネルは隙あらば側に来て話し掛けてくれるので、正直こっそり逃げ出すこともあるんだけど。それでもいなければいないでなんとなく寂しく感じるくらいには馴染んでいた。
──僕は少し欲張りになったのかな。
この実直なクラスメートとも、友達になりたくなっていた。
一緒に精霊探しか。
精霊に愛されていたのはシエラの心だから、本当は僕では力不足なんだけど。
でも。
こちらにとっても、これは悪い話ではなかった。
木の精霊を探していると言った彼の色は、正にその求めるものと近しい色で。同じく木の精霊を探そうと思っていた僕には、断る理由は見当たらない。
シド先生の話通りなら、出会える確率は間違いなく上がる筈だ。
それに、と僕はちらりと彼に視線を向ける。
頭を下げたまま返事を待つその姿に、好感度がぐんぐん上がっていく。
──もう少し話してみたいな。
それが最期のひと押しとなった。
「いいよ」
敢えて敬語をやめて、気安く答えてみた。
「僕も木の精霊と会いたいし」
気安くそう付け加えても、彼は特に気にならない様子で表情を柔らかくするから、僕も自然と笑みを浮かべていた。
不器用な笑い方も、なんだか信用できる。
木の精霊、本当は僕も契約したいけど。
まあ、最初は譲るさ。
「よろしく。ケヴィン」
「ああ。こちらこそよろしく」
調子に乗って名前で呼んでみても受け入れてくれるから、気分はもう親友だ。
男同士の友情って、実は憧れた時期もあったんだよな。
──今は女だけど。
あ、そうだ。
「僕の事、知ってるんだよね?」
「ああ。だが口止めされている。誰にも言わない」
口止めしようと思って切り出したけど、それは大丈夫だったようだ。
「でも悪いけど木魔法は使わないよ」
「なぜ?」
はっきり最初に断っておけば、案の定。見せて欲しいと思ってた、と言う。
やっぱりね。危ない危ない。
「僕、精霊と契約はしていても魔力操作がからっきしなんだ」
今思い付いた言い訳。全精霊と契約してても実は使えません!という一見無謀な嘘。
でもこれ、良くない?はっきりそう言いきってるし、実際学校に通って学んでるしで信憑性高いでしょ。
「そうなのか。契約後も大変なんだな」
「うん。だから、恥ずかしいから嫌だよ?」
「わかった」
こくりと真剣に頷く姿に、僕はにっこりと笑顔で頷き返す。
こうして僕は、お気に入りの場所でもうひとつ、お気に入りを見つけた。






