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鏡の中の私

作者: 木の葉りす

私ね、人を鏡に閉じ込めたの。


私ね、小さい時から1人なの。

いつも、ひとりぼっち。

お父さんもお母さんも働いていて、学校から帰ると家には誰もいなくて真っ暗で。

中学になると、お母さんは私を捨てて家を出て行ったの。

ある日ね、学校から帰るとお父さんとお母さんが話をしていてね、いつもケンカしているのに珍しいって思って自分の部屋から話を聞いていたの。

そしたら、お母さんが部屋に来てね

「お母さん出ていくね」って言うの。

私ね、何も答えられなかった。

だって、いきなりだったから。

お母さんは静かに出て行ったよ。

私は…ベッドで暗くなるまで泣いてたよ。

悲しいのか、辛いのか、わからなかった。

ただ、涙が出たの。

そう、勝手に出たの。

お父さんと2人になって、何でも自分でやらなきゃいけなくなって、学校のことも家のことも。

入学式や卒業式、三者面談も全部ひとり。

友達はお母さんと一緒に行くのに。

それが普通なのに、裏切られたような気がして。

でも、寂しくなかったよ。

暇な時は本を読んだの。

本を読んでいる時は、私は本の中の主人公。

フリルやリボンのついたドレスに、白くて綺麗な肌。少し桃色の頬。

裸足でお庭を歩くのお姫様のように。

誰もが愛するお姫様。

その手を取るナイトのような青年。

本を読んでいる間だけ現れる世界。

それが、私の全てだった。

彼が現れるまでは…




大人になって働いて、それでも誰も信じられなくて、家にいることが多かった。

休みの日は朝から晩まで本を読んで。

本棚には本がたくさん詰まっていって、ベッドに付いている棚にも本が詰まっていて。

でも、並んでいる本を見ると嬉しくて。

そんな毎日だった。

彼と出会ったのは、何気に始めたSNS。

どんな本があるのか見たいな、新刊情報わかるかな?っていう気持ちで始めた。

そこに彼はいた。

本を沢山読んでいるみたいで、読了ツイートを毎回していた。

私も真似をして読了ツイートをするようになると、彼からいいねが来るようになった。

読んでいる本のジャンルが全然違うのに見てくれていることに嬉しくて。

だから、思い切ってリプを入れてみた。

「いつも、いいねをありがとうございます」って。

そしたら、すぐリプが来た。

「面白そうな本ばかりをツイートされていますね。いつも見るのが楽しみです」って。

私が読んでいる本を褒められたのが、うれしくて

「楽しんでもらえるように、がんばります!」ってまたリプした。

しばらくすると

「楽しみにしてます」って。

それから、少しずつ話すようになった。

好きな食べ物、好きな色、好きな動物、小さい頃の話や趣味や特技。

優しい人っているんだって思った。

みんな、嘘つきで冷たくて怖い人ばかりだと思っていたから。




毎朝「おはよう」

毎晩「おやすみ」を入れるようになって、ただそれだけで楽しくて。

ひとりじゃない気がして。

彼も嫌がらずに相手をしてくれて。

でも、いつか居なくなるんじゃないかって、お母さんが出て行った時みたいにまたひとりぼっちになるんじゃないかって思って、いつも不安だった。

だから、いつも聞くの。

「もう少し一緒にいてくれる?」って。

彼はいつも答えてくれる。

「ずっと一緒にいて下さい」って。

そうするとね、安心して寝られるの。

私ね、小さい時からよく怖い夢を見るの。

怖い本を読んだわけじゃないし、怖いテレビを見たわけじゃないのに。

原因もわからず、怖い夢ばかり見るの。

何回も何回も同じ怖い夢を。

彼に「おやすみ」を言うようになって、怖い夢を見る回数が減ったの。

それでも、怖い夢を見る時があって、寝ているかもしれない彼に

「怖い夢を見たの…」って入れると

すぐ返信が来て

「一緒に寝ましょう。僕がいるから安心してゆっくり寝て下さい」って。

その文字を見ているだけで、嬉しくて安心して眠れたの。

そう、文字だけなの。

そこにいる彼は文字なの。




名前も顔も声も知らない彼。

それでも、よかった。

話しかければ、ちゃんと言葉が返ってくるから。

でもね、少しだけ少しだけ寂しくなる時があるの。

私は誰と話しているの?って。

そんな時に彼が他の人と親しげに話しているツイートを見たの。

するとね、私の中にいた、いえ、隠れていた鬼がね出てきたの。

誰にも取られたくない、邪魔されたくないって。

もちろん、彼はそんな気は全然なかったの。普通に他の人と話してるだけ。

私には…私にはそう思えなかった。

取られちゃう、またひとりぼっちになっちゃう…そうしか考えられなくなってた。

私は、すぐ彼に会いたいって言った。

彼はびっくりして、それでも会うって言ってくれたの。

私の家から彼の家まで、電車を乗り継いで8時間。夜行バスでは12時間。

着いてすぐに会えるように夜行バスにしたの。夜行バスの中は湿気と人の熱気で息をするのも大変な感じだった。

いくつもの高速を通って、パーキング休憩があってそれでもまだ着かない。

なんて遠いんだろう…

それが私と彼の距離なんだと思った。

SNSで話してる時はすぐに返信がくるから近い感じがしたのに。

私も彼を見たことがないけど、彼も私を見たことがない。

会ってすぐわかるのか、会って嫌われるんじゃないかって急に不安になった。




バスを降りたのは新宿のバスターミナルだった。初めての新宿。人がいっぱいで目が回りそうで気持ち悪くなりそうだった。

私はスマホを握りしめて彼を待った。

「ウサギちゃん?」

声のする方へ顔を向けると男の人が立っていた。

ウサギはネットで使っているハンドルネームでそれを呼ぶのは…

「Jさん?」

「そう。ずっと話してたのに、初めましてだね」

そう言うと彼ははにかんだ。

「J」は彼のハンドルネーム。思っていた通りの、いえ、それ以上に素敵な人だった。

見た目も声も、初めましてだけど、知っているような、ずっと待っていたような不思議な感覚がした。

「疲れたでしょ?12時間は長いよね」

「ううん、大丈夫」

彼を見たら疲れなんか忘れてしまった。

「どこ行こっか?んーどこがいいかな…」

彼は必死に考えてくれたけど、彼と一緒ならどこでもよかった。

「渋谷はどうかな?おしゃれなお店がいっぱいあるよ。女の子は喜ぶんじゃないかな?」

彼は私が退屈しないように一生懸命喋ってくれて、女の子が喜びそうなお店に連れて行ってくれた。パンケーキのお店や雑貨屋さん、109の前は人がいっぱいで、スクランブル交差点は怖いぐらいの人で溢れかえっていた。

「どう?楽しい?」

彼は私の顔を覗き込んで訊いた。

「うん。楽しい。お店がいっぱいあるし、人がいっぱいいるし、それに…」

「それに?」

「外国人がいっぱいいるね」

「外国人…あはははっ。外国人が珍しいの?」

「そんなに笑わなくても。珍しいよ。だって田舎にはいないもん」

口を尖らせて拗ねた。

「あ、ごめんごめん。そうだよね。そうだ、そうだ。その尖らせた口は何とかならないかなぁ〜」

彼が焦っているのを見るとおかしくて大笑いした。すると、彼もつられて大笑いした。

「そろそろホテルに送って行くよ」

「ホテル取ってないの…」

「え?そうなの。今から取れるかな…」

彼がホテルの予約サイトを見てホテルを探し始めた。

「あのね!」

「ん?」

「Jさんの部屋に行きたい…」




それから私達は一緒に暮らすようになった。生まれて初めて家族じゃない人と同じ家でご飯を食べたり、テレビを見たり、話をしたり、笑ったり。

初めは緊張したけど、毎日が楽しくて夢みたいだった。

JさんはIT企業のエンジニアで、毎日忙しそうだった。だから、私もアパートの近くの小さなカフェでバイトを始めた。

おじいさんとおばあさんがやってる古いカフェで、常連さんが本を読んだり、煙草を吸ってゆっくりとした時間が流れるカフェだった。だから、田舎から来た私でも、しっくり馴染むことができた。

いつも来るお客さんで、変わった人がいた。真っ黒なお婆さん。黒い帽子をかぶって、黒いショールに黒いロングワンピース。黒いバックに黒い杖。

まさに魔女って言葉がぴったりの見た目で年齢はわからない。

お婆さんに見えるけど、100歳を超えているようにも、60歳にも見える。そのお婆さんが来た時は、もっとゆっくりと時間が流れる気がした。このカフェに一番似合っているお客さんだと思った。

座る席も一番端っこの窓側の席。カフェの外観がアイビーに覆われているので、窓と言っても外はあんまり見えない。

でも、そこにその魔女は座る。

注文するのは、アールグレイ。

このカフェはとても良い茶葉を使っているからお湯を入れた途端に良い香りが店中に立ち込める。

そのアールグレイを魔女は砂糖も入れずに飲む。長い指で長い爪でカップを持って。

私は怖いような、でも見たいような不思議な気持ちで見ていた。

でもある日、その魔女から話しかけられた。

「あんた、いつも私を見てるね」

「ごめんなさいっ。絵本に出てくる魔女がいるみたいでっ」

私は慌てて失礼なことを言ってしまった。

「そうかい、魔女みたいかい」

そう言って魔女は笑った。

「本当の魔女なんですか?」

「さぁね、どうだろうね」

そう言って笑うと魔女は窓の方を見て自分の世界に入ってしまった。

それから魔女と話をする機会がなかったけど、ずっと心の中で魔女のことが気になっていた。




彼の勤務時間は、朝10時〜夜7時。でも残業をすると10時。

いつも納期に追われて忙しそう。

どんどん顔色も悪くなっていく。

ご飯も食べられない時もあるらしい。

「大丈夫?顔色悪いよ」

「あぁ、今大事な仕事任されているんだ。デザインからプログラム、サイトを動かす権限まで僕に任されているんだよ。これが成功すると、この先の仕事が変わってくるからね」

「そうなんだ…」

「大丈夫だよ。もうちょっとだからね」

彼は私の頭に手を置いて笑った。

それからも、帰ってくるのは遅く、帰ってきても技術本を読んでいることが多くて話しかけるのも悪い気がした。

一緒にいるのに寂しい気がした。

彼の顔色はどんどん悪くなって、食べても吐くようになった。

病院に行って胃薬をもらってきたけど、吐き気は止まらず、電車に乗っても、朝起きても吐き気を催すようになった。

私は思い切って

「心療内科に行ってみようよ。精神的なものかもしれないし」

と言った。

彼は吐き気に疲れていたのか、行くと言った。2人で心療内科に行って、先生に病状を一生懸命説明した。

心療内科の先生は、漢方から胃腸薬、神経を落ち着かせる薬までいろいろ試してくれたけど、吐き気は止まらず病院に通うのも疲れてきた。

彼はあまり喋らなくなった。

あんなに楽しそうに毎日話してたのに。

でもね、私はそれでも一緒にいられるだけでよかったの。

それだけで幸せだったの。

あれを見るまでは…




彼が食べられる物、好きな物と思って、バジルのパスタ、オムライスを作って待っていたけど、帰ってくるのはいつも深夜。

疲れていて食べることもできない。

それでも、毎日仕事に行く。

当たり前だけど見ていて辛い。

そして、寂しい。

ある日、バイトで遅くなって買い物に行くのが遅くなってしまって、夜9時を過ぎていたけど、何か食べさせたくて買い物に出た。

深夜のスーパーは案外お客さんでいっぱいだった。私は、和食にしようと煮物の材料をカゴに入れて、少しでもお腹の調子が良くなるようにヨーグルトも買うことにした。スーパーを出る頃には10時を少し回っていた。

スーパーの前に通りを歩いていると、道の反対側に彼と女の人が腕を組んで歩いているのが見えた。

何かの間違いだと思った。

だって、彼は仕事だもの。

でも、私には見えるの。

やっぱり彼だった。

綺麗な服を着た綺麗な女性。

もう最近は見たことのない笑顔を彼は見せていた。

また、お母さんが出て行った時のように勝手に涙が出た。悲しいのか辛いのか、わからないけど涙が止まらない。

道をすれ違う人が驚いた顔をしていたけど、私の目には入らなかった。

また、ひとりぼっちになる。

彼を取られてしまう。

そのことばかりが頭の中でグルグルと回っていた。

今度は私が吐きそう。

私がアパートで待っていると、彼は帰ってきた。さっき見た笑顔はなかった。

疲れた顔して何も言わず、シャワーをして「疲れたから、もう寝るよ」と言って寝てしまった。

私が泣いているのも気付かずに。

私は彼の寝顔を見ていた。

少し疲れているけど、出会った頃の彼がいた。

そして、思った。

離れたくないって。

私の手に包丁があった。

でも、刺せなかった。

だって殺したら、私のものにならない。




次の日、私は彼が会社に行くのを待ってアパートを出た。

バイトを休むとカフェにも連絡を入れて、私は電車に乗って、あの魔女のいるところを探した。カフェのご主人に大体ここだろうと言うのは聞いていたので、そこに向かうことにした。

東京でも田舎の方で、ここが東京?田舎から出てきた私には不思議だった。

お店より住宅が多いと思っていたけど、その住宅も少なくなって、山の中を歩いているような感じがした。

ほんとにここに魔女が?

いや、逆にこんな所だから魔女が住めるのかもしれない。

私には魔女に会うことしか頭になかった。

でも、すれ違う人や住んでいる人に

「魔女知りませんか?」とは聞けないから

「黒い帽子に黒い服のお婆さん知りませんか?」って。

それでも、聞く人聞く人、首を傾げた。

魔女だからバレないようにしているのかもしれない。

私は住宅地を離れて山の方に行ってみることにした。くねくねした道を歩いて行くと山に入る小道が見えてきた。

私は何かに引っ張られるかのように小道に入って行った。鬱蒼とした木々の間を歩いて行くと、小さな小さな洋館のような古い家が見えて来た。

ここだわ!

私は直感した。

小さな洋館もアイビーに覆われていてちゃんと姿を見ることは出来なかった。

それでも、ドアを見つけるとノックした。

しばらくすると、あのカフェにくる魔女が現れた。

「来ると思ったよ」

「私が来るってわかってたんですか?」

「あぁ、何となくね」

「本当に魔女なんですね」

「はっはっはっ。魔女なんかじゃないよ。黒い服を着ているけどね」

そう言うと私を招き入れた。

古くて薄暗い家で、ほとんど何もなかった。空っぽの家という感じだった。それに少し寒くて冷たくて私は少し怖くなった。お婆さんは私を椅子に座らすと、紅茶を淹れてくれた。

「あの…私…」

「いいからお飲み」

「はい…」

「困ったことが起きたのかい?」

私は今までのことを話した。

「で?どうしたいんだい?」

「彼を私だけのものにしたいんです。誰にも渡したくないんです」

「そうかい、それは困ったね。人の心なんて他人が勝手に動かせるもんじゃない。ましてや、他人が決めるもんでもない」

「でも…」

「人の心はね、自由なんだよ。誰かが縛れるもんじゃないんだよ。それは、わかるね?」

「はい」

「それでも、彼を自分のものにしたいんだね?」

「はい!」

「仕方ないね。あんたがここに来たと言うことは、そういうことなんだろうね」

「そういうこと?」

「彼を閉じ込める方法はあるよ」

そう言ってお婆さんは目を見開いた。

闇に吸い込まれそうな瞳に怖くなったが、ここで諦める訳にはいかなかった。

私はお腹に力を入れてお婆さんの方を見返した。

「それでも、ずっと一緒に居られるなら」

「そうかい。覚悟があるんだね?」

「はい。だから魔女だと思ったあなたを探して会いに来たんです」

「そうだったね」

お婆さんはゆっくり立ち上がり、本棚から古い本を取り出した。本に書かれている文字は見たことのない文字で私にはわからなかった。

「とても古い魔術だ。それに誰にでもできるもんじゃない。それなりの覚悟を持ったものだけが使えるんだよ」

「はい」

私はお婆さんの目をしっかり見つめた。

怖かったけど、これで願いが叶うって思った。

「満月の夜にロウソクを13本用意するんだ。彼は睡眠薬でも飲ませて眠らせおくんだよ。彼の寝ている周りにロウソクを立てて火を灯すんだ。それから、彼には鏡を持たせること。その鏡だが、普通の鏡じゃない。100年は経ったものでないと意味がない。100年を経たものは力を持つからね。その鏡に出会えるかどうかも、あんたの運だよ。もし、出会えれば運があんたの味方したということだ。わかるかい?」

「はい」

「それから、あんたも鏡を持つんだ。合わせ鏡だ。彼の持っている鏡より大きな鏡でなければいけない。窓を開けて満月の光を部屋に入れるんだ。そして、その光をあんたの持っている鏡に集めて彼の持っている鏡に入れるんだよ。その時に呪文を唱える。呪文は後で教えよう。できるかい?」

「やります!」

「ただね、一つ注意することがあるよ。もし、彼が持っている鏡の力の方が強いと、あんたが鏡に閉じ込められるのさ。それでもいいのかい?」

「はい」

「それと、もう一つ。銀の皿に水を入れて黒猫の血を一滴入れるんだ。黒猫には魔力があると言われるんだ」

「黒猫…」

「どうしたんだい?」

「彼は猫が大好きなんです。実家の猫の話ばかり言っていて。それが黒猫で…」

「だから、黒猫を傷つけるのは嫌だと言うのかい?それじゃあ、この魔術はできないよ、無理だ。一つでも欠けることはできない」

「やります。絶対にやります」

私はお婆さんに呪文を教えてもらって洋館を出た。なぜか、この小さな洋館にはもう二度と来れないだろうと思った。




黒猫はペットショップで買ってきた。まだ子猫で私の後をずっと着いてきた。トイレにもお風呂にもどこにでも。

彼は黒猫を見ると、とても喜んだ。

喜んでいる姿を見ると胸が痛んだ。

だって、彼を閉じ込めるために買ってきた黒猫だから。

彼は帰ってくるのが早くなった。

黒猫に会いたいからだ。そして、笑うようになった。彼の膝の上にはいつも黒猫がいて、私のことなんか見ようともしない。

黒猫に嫉妬したが、私に懐いていつも着いて来る小さい黒猫を嫌いになれなかった。

彼は黒猫に名前を付けたが、私は名前で呼ばなかった。黒猫の血が必要になる時に躊躇しそうだと思ったから。

懐く黒猫と笑顔の戻った彼。

私の決心は揺らいだ。

このままでもいいような気がして。

ある日、彼の携帯が鳴った。

休みの日なのに、仕事だからと出掛けて行ったのが気になった。

今まで、そんなことが一回もなかったから。気になった私は跡を付けた。

すると、あの綺麗な女の人がいた。

2人はカフェに入って行った。それから、またどこかのビルに入って行った。私はずっと跡を付けていたが、怖くなってアパートに戻った。黒猫が擦り寄ってきたが、それさえも、汚らわしく感じた。

彼が私より可愛がってる黒猫。

私は決心した。

このままだと彼を取られてしまう。

もう時間がない…

私は急いで教えてもらった魔術の用意を始めた。

ロウソクは簡単に買えたが、問題は鏡だ。

それも二枚。

100年も前の鏡が簡単に見つかるだろうか…。

私は骨董屋周りを始めた。なかなか100年前となると見つからない。

しかも、大小二つだ。

でも、諦めていられない。毎日、毎日、バイトを休んで探した。

日本橋、京橋、南青山、南荻窪、骨董屋のある街を歩いて回った。

一件の骨董屋の主人が、銀座に古い骨董屋があると教えてくれたので、行ってみることにした。

人通りの多い通りを抜けて、細い路地を抜けていくとその店はあった。地図を書いて貰わなければ行けなかっただろう。

江戸時代から続くという骨董屋は意外にも洋風の建物だった。中に入ると上品な中年の女の人が出てきた。

その女の人はオーナーで、ヨーロッパのアンティークが好きで集めているということだった。確かに、古い銀食器、ガレのランプ、アンティークの人形なんかもあった。

私は鏡を探した。

「何かお探しですか?」

「はい。100年前の鏡を探しているんです。大小と二枚いるんです」

「まあ、二枚も?お店でもやってるのかしら?」

「はい、カ、カフェを…」

「あら、若いのに凄いわね」

「い、いえ、カフェのご主人に頼まれまして…」

私はとっさに嘘をついた。

「そう、カフェに飾る…」

オーナーは顎に手を当てて考えた。

「あ!あれはどうかしら?」

そう言って奥の部屋に入って行った。

オーナーが持って来たのは、縁に薔薇の飾りがついた鏡だった。

「もう一枚いるんです」

「あぁ、もう一枚もあるんですよ。これと対になる鏡で、それは薔薇が付いてないの」

そして、もう一枚の鏡を箱から出した。

「大小でしょ?」

そう言ってオーナーが微笑んだ。

「はい!ありがとうございます」

とても高かったけど、私にはこれしかないと思った。魔女は鏡に出会えるのも私の運だと言った。なら、私に運があると言うことだろう。

私は満月の日を待った。

それが私の全てのように。




満月の夜。

月は雲一つない夜空で輝いている。

私は月を見つめた。

月も私を見つめた。

お月様、私に力を貸して下さい。

私の願いを叶えて下さい。

私は月に手を合わせた。

彼には夕食の後に睡眠薬入りのコーヒーを飲ませた。

静かにベッドに眠っている。

小さな黒猫も彼の足元で眠っている。

黒猫の水にも、ほんの少し睡眠薬を入れた。

これでいい。

私は自分にそう言った。

彼の周りにロウソクを13本立てて火を付けた。暗い部屋が明るくなった。

ロウソクの灯りに照らされた彼の顔を私は手で触れた。彼の体温が手に伝わってきた。

もう触れることができなくなるかもしれないのにいいの?

私の中のもう1人の私が聞いた。

こうするしかないのよ。

そして、私は彼に言った。

「ずっと一緒にいるんだよね?そう言ってくれたよね?」

眠っている彼が頷いた気がした。

彼に小さい方の鏡を持たした。そして、銀の皿を用意して水を満たした。

黒猫の血…

私は眠っている黒猫を見た。まだ小さな子猫だ。私はナイフを持って子猫に近付いた。子猫の前足を手に取ってナイフを当てた。後は力を入れて切るだけ…わかっているけど、私の後をいつも付いてきた姿が頭に浮かんだ…

切れなかった。

私のために子猫が痛い思いをすることはない。そっと子猫の頭を撫でた。

私は自分の指を切って、銀の皿に血を一滴落とした。水の上に広がる血を見ながら、これでいいと思った。

私も鏡を持って満月の光が窓から入ってくるのを待った。

時計の針が12時を指した時、月の光が窓から部屋に入って来た。私は鏡を持って光を受けた。光をいっぱい集めて、ゆっくり彼の持っている鏡の方へ光を向けた。

すると、鏡が、2つの鏡が青白く光った。私は教えてもらった呪文を唱えた。

一段と光が強くなった瞬間、私は鏡を逸らした。受ける鏡が逸れたので、彼の鏡から出ている光が私の胸に刺さるように貫いた。

どれくらい時が経ったのだろう。

ただ、白い部屋に私は居た。

どこなのかもわからない。暖かくも寒くもない。広いのか狭いのかもわからない。

窓もドアもない。白いだけの部屋。

何もない部屋に白いロウソクだけが置かれている。

13本の白いロウソク。灯されているロウソクの炎を触っても熱くない。

そのロウソクを見て私は鏡の中にいるのだと思った。怖くも寂しくもなかった。

これが鏡の中なんだと思った。

私はそっと目を閉じた。

やっぱり、私にはできなかった。

彼を殺すことも、閉じ込めることも。

それなら、私が鏡の中に入って彼を見ていたいと思った。

だって、愛しているから。




病院の一室。

「先生、どうなんですか?彼女は目覚めるんですか?」

「彼女の体は何ともありません。ただ、心が… 心が彼女を眠らせいるのです。心が目覚めれば彼女も目覚めます」

「それは、いつですか?」

「残念ながら、それはわかりません。心とは、厄介なものでもあるんです。本人が目覚めたいと思わなければ目覚めないのです」

彼は私の頬を撫でながら泣いていた。

そこに、あの綺麗な女の人が入ってきた。

「大丈夫なの?あなたまで倒れないでね」

「はい。大丈夫です」

「せっかく勉強会まで行って頑張ってたのにね。彼女にプロポーズするつもりだったんでしょ?」

「はい。もうちょっと勉強して、もっと仕事ができるようになってからプロポーズしたかったんです。幸せにしてあげたかったから。彼女、ずっと寂しい思いしてきたから、ずっと一緒にいてあげたかったんです」

「そう、残念ね。これから、どうするの?」

「待ちますよ。ずっと待ちますよ。彼女が目覚めるまで。目覚めたらプロポーズします!」

「それを聞いて安心したわ。じゃあ、頑張りなさい」

綺麗な女の人はそれだけ言うと病室を出ていった。

彼女は彼の仕事のチームリーダーだった。

彼がずっと私を見ている。

「僕はここにいるから。ずっと待ってるから戻っておいで」



もうちょっと待ってね。

私、目覚めるから。














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― 新着の感想 ―
[良い点] 展開もスムーズで惹き込まれて読みやすかった。 [気になる点] とくにありません。 [一言] テンポもストーリーも良く読みやすく面白かったです。
[良い点] とても面白かったです。月並みな感想になりますが、読者を引き込む魅力的な物語展開と文章力と構成がとても上手いなぁと思いました。 主人公の過去、愛する人との出会い、不信感、そして禁断の魔術から…
[気になる点] すうっとお話の中に入っていきました。 きっと彼女は幸せになれると思いますよ。 人を信じるというのは、なんて大変で、勇気のいることなんだろう。 そんなことを感じました。
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