七章
翌日、どのように朝を過ごし、どうやってここまでたどり着いたのか、俺は1文の引き戸を引いていた。
8時27分。
8時15分を回った時には生徒でにぎやかになっているはずのクラスの中は、廃園必至のテーマパークのようにがらがらで、ベランダなどの視認できない範囲を除いて、確認できるのは3人しかいない。
「みんなは? みんなはどこだよ?」
俺は普段と変わらない様子のオセロの片割れを選んで、話しかけた。
白い方が全体的に右にはねた寝癖を両手で押さえつけながら、どんなことにも無関心といった様子で気だるそうに俺を見上げた。
「・・・知るか」
直感的に何か知っているように思えた。
すぐ近くに座る女子生徒に話しかけようとした。
すると、彼女は席から立ち上がり、走って教室を出て行った。
シカトを遂行しているという風には見えなかった。
殴ってでも白い方から聞き出そうとすると、彼はついさっき女子生徒が出て行く時に開きっぱなしにした引き戸に移動していた。
これも寝ぐせなのだろうか、白の後ろ髪はめくれ上がり頭皮が大きく覗けた。
待て、と叫ぶまもなく白シャツの体は閉まっていく引き戸に飲み込まれていった。
自分のこめかみのあたりがピクピクと、動いているのがわかる。
体がこんな反応をみせるのは初めてだ。
というか、怒りとも、焦りともいえないこのような感情を抱くこと自体初めてだった。
意図しない感情の蘇生は、俺の焦燥を意味しているとしか思えない。
誰かに話を聞かないと。
3―2。
残っているのは一人・・・俊樹だ。
そう、本来教師の座るべき椅子に腰掛けながら、教卓の机に肘をつき、組まれた両手の指の上にあごを乗せ、涙を流しているのは俊樹だった。
俊樹は椅子から立つと、四つ脚の全てにタイヤのついたその椅子のせもたれの部分をつかみ、反動をつけるように少し引いた後、前に放ち、走らせた。
教壇と床の段差で反転した椅子は、側面部分を下にしてわずかに滑走した。
その様子を見届けた俊樹は、その場につっ立ったたまま、俺の方へ歩み寄ってこなかった。
「俊樹、いたんだ」
「泣いているのか? が最初につっこむところでしょ、普通」
俊樹が優のいじめに参加しているところをみたことは、一度もない。
だが、止めようと行動したところを見たことも一度もない。
「シカトはいいのかよ」
「そこもつっこみどころじゃない」
涙をワイシャツの袖で拭うと、俊樹は表情なく続けた。
「講堂だよ。今日は」
「は?」
「朝礼のこと、なんだシカトされてると連絡網も回ってこないんだ」
連絡網を回す順番は出席番号、ようは名前順できまる。
斉藤・・・その前は杉内・・・杉内優一。
俊樹もわかっていっているのだろう。
そして、俺が連絡網を回すべき相手は鈴木真美―ミーナ。
「なあ、昨日、早苗からわけわかんない電話があってさ」
「講堂・・・俺、先に行ってるから」
引き戸が再び開き、閉じる。
空転した頭を抱えながら後退すると、俺の腰は背の低いヒーターの上に収まった。
ヒーターの塗料張りの表面がひんやりとする。
首を斜め後ろに傾けると、窓の向こう側には、うずくまっている女子と、それを中腰で抱擁する男子の姿が見えた。
女の顔は見えない、男のほうは東だろう。
負けん気の強い奴。
昔、こいつと甲斐と殴り合いの喧嘩をしたところを俺と・・・優が・・・止めに入ったのを思い出す。
そろって泣いている。
喧嘩ではなさそうだ。
破滅的な事実が見えてくる。
本令の鐘が鳴ると、俺は二人に気づかれることもなくヒーターから腰を上げた。
1学年分の生徒を収容できる大きさの講堂で、10人前後の生徒が隅っこにまとまって座っていた。
面子から、講堂に召集がかかったのは1文だけだとわかった。
五メートルぐらいの段差を越えたところには講演者用の広々としたスペースがあり、その後ろには、修学旅行の写真を流す時などに使われる大きなプロジェクターがぶらさがっている。
それを背にした尾崎が、手にしたマイクを通して生徒たちに何かを伝えていた。
何人かの生徒が、俺が入ってきたことに気づいた。
尾崎はその生徒たちの視線を追いかけ、俺にいきついた。
マイクが尾崎の口元からぶらんと落とされ、床に向いた。
俺は皆がまとまっている席のあたりに向かって歩き出した。
ある程度進むと、俺が近づくのを待っていたかのように、マイクが改めて尾崎の口元まで上がった。
尾崎のワイシャツはくしゃくしゃで、珍しくネクタイはしていなかった。
寒くはないといった室温の中、尾崎のマイクを持ち上げた方の腕の脇が湿っていた。
よく見れば、反対の脇も染みていた。
そう、人が嫌な汗をかくのはそこなのだ。
「ああ、斉藤・・・今来たのか。よかったよ。ちょうど本題に入るところだったんだ。ほら、早く座れ」
尾崎はマイクで生徒達が座る周囲を指すので、俺は返事もせずに空席を探した。
映画館のシートのような、折りたたみ式の椅子。
一列につき5人が座ることのできるその椅子が、一列と四席埋まっていたのだから、この場にいる生徒の人数は実際には9人だった。
残りの18人の行方は、ベランダにいた二人を除き、想像もつかない。
空いていた一番端の席のまで行き、たたまれ椅子を広げようと手をかけたが、開かない。
折りたたまれた部分に下向きに力を入れる俺に対し、何者かの手が上向きに力をかけていた。
「佐藤、何?」
ここのところ不登校に陥っていた、かつての友人だった。
「お前がここに座る権利なんてない!」
わなわな震える唇から飛びちる唾液が、顔にかかった。
近くに固まって座る生徒達が、いっせいに振り向くのを感じた。
佐藤が怒鳴るところを見るのも、人をお前と呼ぶのを聞くのも、初めてだった。
俺は顔を拭うと、佐藤の手首をねじり曲げ、そのままもう片方の手で椅子を広げて座った。
手を離すと、いつもの弱い佐藤に戻り、泣きっ面で手首をさすっていた。
講堂が沈黙しきるまえに、尾崎が「いいか、話を続けるぞ。心の準備はいいか?」と喋りだした。
尾崎がいわんとしていることがわかる。
あり得ないことを事実として、話そうとしている。
それとも、話すから事実になるのか。
まともじゃない思考に喉がかわく。
そういえば、朝から食物はおろか、水分さえも摂っていなかった。
唇が乾燥しているのを感じたが、なめる気にすらならなかった。
「もう連絡網で回ったと思うが、杉内優一についてだ」
優一、でなく杉内優一。
尾崎は本名を口にした。
「昨日夜に・・・彼は自ら命を絶った。家のベランダから飛び降りた、とのことだ。優一のお父さんから昨日の夜方、直接、先生の自宅に連絡がきたんだ。遺書が残っていたらしい。それを今から読むぞ」
絶望に、いよいよ心が壊死した。
尾崎が舞台の端に置かれた封筒の方へ歩いていく。
その間に、いやーという叫び声がこだました。
隣では、佐藤が硬直した体を丸めていた。
「さっきから何言ってるんですか? 生徒の前でそんなの読む気かよ。普通に考えて問題になるでしょ?」
今さっきいることに気がついた亮太が、一列目から静かに叫ぶ。
「読まなきゃならないんだ」
尾崎は拳を握り締めていた。
誰かが尋ねる。
「なんで?なんで」
俺にはこの疑問は、尾崎が遺書を読むことについてというよりは、優の自殺という事実に向いているように感じたが、尾崎にはそう聞こえなかったらしく「黙れ」と叫んだ。
「俺だってこんなもの読みたいわけじゃない。読まなきゃならない理由があるんだ! 聞けないなら出て行け」
その後にマイクを下ろして、それでも聞こえる声で、そもそもお前らのせいじゃないか・・・と力なく言った。
そうか、この人は教師を放棄したんだ、と思った。
言われるがまま、二人の生徒が飛び出していった。
残りは聞くのか? の問いにまた二人ほど逃げ出した。
俺を除いて、残りは四人。
その内、二人は泣きじゃくって動けないという様子。
一人は俺の隣で固まったままの佐藤。
もう一人は、亮太が残っている。
振り返ったりしないので、表情は仰げない。
立ち上がった亮太は尾崎に噛みついた。
「あんた・・・それでも教師かよ」
「ああ、でも、これが最後の仕事だよ」
「あ?」
「辞職届を持ってきた。今日付けで提出する。だから、これが俺の最後の仕事だよ。勘違いするなよ。別にお前らに説教をするために読むんじゃないよ。昨日、電話口でお父さんに言われたんだよ。もしマスコミにこの遺書を送りつけてほしくないなら、優一をいじめた生徒の前でこの遺書を読めとな。これは罰なのかもしれないなあ」
亮太が黙ったので、尾崎は封筒に手をかけた。
二つ折りにたたまれた、B4サイズの紙が取り出され広げられた。
解読できない程度に、びっしり詰まった文字が透けて見える。
字が滲んでいるのがわかる。
ボールペンで書いたのだろうか。
尾崎はしかめた面で咳払いをし、遺書の音読を始めた。
「まず皆に謝りたい。俺はこれから皆に復讐する。学校は楽しかったよ。1文の奴って、皆ギャグセンスあるし、空気も読める。俺が思うに、この学年でうちらのクラスが一番おもしれーよ。まあ最強ってわけだ(笑)」
「かっこわらい」と尾崎はばつの悪そうに、不器用にそのまま読んだ。
女の子の一人が過呼吸気味に嗚咽する。
尾崎がまた一つ咳払いを入れた。
大きく深呼吸をして、続きを読む。
「お前らは本当に良い奴なんだよ。それはわかってるんだ。高1の時とか、マジ皆、無茶ばかりやってだいぶ担任困らせたじゃん。基本俺ら、問題児だったからね、ってか、担任が代わるなんてこともあったけど、そんなことは前代未聞だろ」
そういえば、そんなこともあった。
「体育祭とか音楽祭とか、懐かしいな。本当にいい思い出だよ。なんでかな、そんなお前らが、なんで俺をいじめるんだ? なんでいじめを止められないんだ? 正直わかんない」
亮太が両手で、両耳をふさいだ。
「俺、正直このいじめはすぐに終わるって信じてたんだよね。ほら、うちのクラスって団結感強いじゃん。強すぎて、他のクラスといがみあってるけど(苦笑)」
さらに不器用に、尾崎は「かっこにがわらい」といった。
くしょうだろ、とは誰もつっこまない。
「もうここまで読んだら、わかるだろうけど、俺はこれから死ぬ。自殺だよ。これがお前らがとりつかれた「いじめ」の結末なんだ。わかるよな? 俺は混乱してる。皆を傷つけたいはずなのに、でも、凄くつらくて、俺の死を乗り越えてほしいような、いつまでもウジウジ背負っていてほしいような、わからないよ」
教師だけあって、音読の技術はたいしたもので、詰まることなく遺書を読みあげる。
「皆ごめん。ここからは残酷な感じになるよ」
滞りなく文章を読むコツは、一息入れる時に、あらかじめ数行先に目を通しておくことのようだ。
事実、今、尾崎の顔が青ざめた。
「死ぬのって、マジ怖いから。もうやばいよ。お前らがどんなに想像してもしきれないぐらい。だから、お願いだ、頼むよ、こういうのはこれで最後にしよう」
ここまでだ、と尾崎は遺書を折りたたんだ。
亮太が耳をふさぐのをやめ「終わりですか?」と尋ねた。
冷静を装っているのがわかる。
怯えているのも。
尾崎は答えずに、折りたたんだ遺書を封筒にしまい戻すと、同時にその封筒から同じようにたたまれたB4の用紙を取り出した。
「この紙にはこのクラスの生徒一人一人に対してコメントが書かれている」
泣きじゃくる女子を、毅然と振舞う女子が抱きかかえるようにして、講堂の出口へ向かった。亮太がうらやむような、さけずむような眼差しを送る。
「東圭太」と、不意に尾崎が名前を読み上げたので、亮太も俺も、振り向いた。
「お前とは、そこまでつるんだ記憶はないけど、でも、嫌いじゃなかったよ。目立つようなことは嫌なんだろ? いつも、クラスを遠巻きに眺める東からは、けっこうクラスに対する愛を感じとってたよ。お前は一度も手を出さなかったよな。でも、助けてほしかった。ごめん、やっぱり東も憎んでる。久実とはできてんだろ? 仲良くな」
一息で読み終えると、尾崎は「石田隼人」と読み上げた。
名簿と同じ、名前順になっているようだ。
その後も矛盾するように、クラスの一人一人に対する愛情と憎しみの感情が書き連らねられていた。
そして、神林亮太の番がきた。
意地か自戒か、逃げ出さない亮太は体格通りに小さく見えた。
「亮太、本望か? お前は俺が憎かったんだろ。亮太が毎日のように俺をにらみつけていた事には気づいていたよ。正直、俺もお前が嫌いだ。人の痛みがわからないのは生まれつきなのか? リーダー面するつもりはなかったけど、2度と、1文でいじめは許さないつもりだった。それが気にくわなかったのか? もしそうだというなら、お前は最低だ。生涯この過ちを悔い続けろ、そして、もう二度と、誰かを傷つけたり・・・」
「黙れ、黙れよ、くそちびが!」
「死人まで冒涜する気か、まだ続きがある、心して聞きけ!」
「えせ教師が偉そうに講釈たれんなよ! あんた、職業どうのこうのの前に成人として終わってるな。こんなもの読んで聞かせることになんの意味がある? 俺らを戒めることであんたが赦されるとでも思ってんのか? あんたは自分が楽になりたいだけだろ!」
「なんで、怒る? 矛盾してるぞ。お前にはこの場を退出する権利がある。どうして、聞く? なぜ、怒るんだ?」
亮太は一瞬言葉に詰まった。
彼は殺意に近い感情が発しながら「あんたも親父と同じだ、汚い大人め」と吐き捨てた。
意に介さない尾崎が亮太を見る眼差しは、非難の色に満ちていた。
尾崎の言うことも、亮太の言うことも、正しい。
二人とも、そして、俺も、最低の人間なのだ。
今にも殴りかかりそうな亮太に、尾崎は首を横にふり、ため息を漏らした。
これ以上噛みつかれちゃかなわない、と思ったのか、尾崎はその先の部分を聞き取れないような早口で読み流した。
名前は続き、小島圭介が読み終わり、次は杉内優一、違う、俺の番だ。
例にならい文面に先に眼を通すと、俺の方に何か言いたげな様子を見せた。
相変わらず、奇妙なぐらいに抑揚のない口調で喋りだした。
「昇、今、笑っているか?」
尾崎は以上だ、と俺を少し哀れむように見た。
今、確かめなければならないことがある。
「先生、次に書いてる名前は?」
尾崎は静かに答えた。
「これで、終わりだ」
亮太も、もしかしたら、尾崎も気づいていない。
こんな状況下で、一瞬、俺は確かに安堵した。
「以上だから、解散だ」
「先生の名前は載ってないんですか?」
「・・・以上だ」
「嘘でしょ」
尾崎に駆け寄ると、亮太は乱暴に遺書を奪い取った。
「あるじゃないですか先生! ちゃんと、一番最後に」
「読んであげますよ」
「やめろ」
「いや、読ませてもらうぜ」
俺は何も言わず席を立った。
隣にいたはずの佐藤は、いつのまにか消えていた。
見苦しいやりとりが聞こえてくる、俺が講堂を出る直前にはドン、という音と、怒号が聞こえてきた。
どちらが、どちらを殴り、どちらが、どちらに怒鳴ったかなど、どうでもよかった。
優は最後まで彼女を思い続けた。
遺書にはミーナの名前がなかった。
冬の風をうけて薄いカーテンが凹凸をつくる。
カーテン越しに、オレンジ色の光が細長く注ぎこんだ。
冷えた体を抱きしめてみるが、何も感じない。
圧倒的な絶望は、俺を不感症にした。
悲しみすら湧いてこない。
優を失った、その事実だけが俺を支配しているようだ。
しかし、実感はできない。
優と一緒に喋ることも、じゃれ合うことももうないなんて、理解できない。
蘇る記憶は意外にも特別なイベント事などではなく、優とミーナと早苗の四人で楽しくわいわいしている「日常」だった。
あのころの俺は、優により取り戻された笑顔を携えていた。
俺だけじゃない、1文の皆は少なからず優に影響を受けていたはずだ。
1文から、暗闇を奪い、暖かな光を植え込んだのは優だ。
それを皆でじっくりと育んだ。
それを皆で放棄した。
いや、俺が、させた。
俺は我が家なんかよりも、よっぽどリアルな家族を1文に感じていた。
俺が全てを壊した。
俺が優に人を憎ませた。
俺が優を殺した。
窓際に手を伸ばし、風に揺れる紫のカーネーションを掴んだ。
紙を切るように、花びらを一枚一枚破き、窓の外に捨てていった。
紫の花びらはゆっくりと下降していった。
2番目に愛された花だから、散ってしまえばいい。
遺書が読み上げられてから2日間、家の中で電話が鳴り止むことはなかった。
クラスメイト、校長、警察、マスコミ、優の両親。
誰からなんて検討もつかない。
いじめにより生徒が自殺した場合、社会がどう動くかなんて、調べる必要を感じなかったのだ。
そういえば、昨日の夕方にインターホンが鳴った。
ベッドから起き上がる気力すらない俺はそれ無視したが。
体は汗で湿り、口の中は粘り気がある。
あれから、風呂にも入っていなければ、歯磨きもしていない。
優は空に飛んだ瞬間、誰を思い浮かべたのだろうか。
愛を注がぬ母親か、親友の甲斐か、自分を追い込んだ斎藤昇か、あるいは、最愛のミーナか。ミーナ、彼女は今どうしている。
まさか、自分を責めたりしていないだろうか。
ミーナまで、苦しみのあまり死を遂げたりしないだろうか。
他の1文の連中や、ララ、田仲、彼らにも罪を負わせてしまった。
皆苦しみもがいているに違いない。
廊下を歩く音がして、部屋のドアを叩く音がした。
「昇、起きてるか?」
「なに?」
「お前飯も食わないで、大丈夫なのか?」
「平気」
「一応伝えておくけど、学校から何度も電話があってな。あさって、教頭先生が家庭訪問に来たいとかほざいていた。完全にお前を疑ってるよ。もちろん断ったから、昇はゆっくり休めばいい」
「そっか」
「なあ、昇、怒らないから、正直に答えるんだ。優一君をいじめたのはお前なのか」
「ああ、そうだよ、俺が殺したようなもんだよ」
「そんな、昇・・・母さんが悲しむぞ」
生きてたらね。
兄貴が優の名前を口にした瞬間、切り離していたはずの我が家と学校が一つに重なった気がした。
兄貴が立ち去る音がしてから、俺は時間をかけベッドから腰を上げた。
しばらくして、兄貴がドア越しに買い物に行くと言い、家を空けた。
その直後にかかってきた電話を何も考えずに受けた。
「はい、斉藤です」
「町田市立学校の佐藤です。度々、お電話して申し訳ないのですが、そろそろ昇君に代わってはもらえないでしょうか。お兄さん、昇君の保護者だとおっしゃるのなら、そのくらいの責任は果たす・・・」
「僕が昇ですが」
「え、ああ、君が・・・なら話は早いわね。それで、今お兄さんはいないの?」
「はい、今さっき外出したばかりですが」
「少し、話をしましょうか」
喋ることで、乾く場所が口から喉に悪化した。
タンを切るために、咳払いをした。
「失礼ですが、あなたは?」
「ああ、失礼。私は、町田市立高等学校の教頭を勤める佐藤という者です。私の方にはあなたと挨拶を交わした記憶があるのだけれど」
教頭の佐藤といえば、小太りの丸眼鏡の女性だ。
年齢相応の落ち着きを持った、たまたま出会えば気さくに挨拶をよこす、気のいいおばさんだった。
「なんの用ですか?」
「ああ、やっぱり、お兄さんから話は聞いてないみたいね。実は今回の杉内優一君が自殺した件で、学校として、調査を進めているところなの。それで、文系1組の皆さんへの家庭訪問を進めていて、名簿の順だと次は君の家の番なの。そういうことだから、近いうちにそちらに伺わせてもらおうかと思ってるんだけど」
いじめの実態調査か。
「・・・ええ、いつですか」
「こちらとしてはあさっての十時に伺わせてもらいたいんだけど、無理なようなら時間は・・・」
「大丈夫です。わかりました」
「そう、それと・・・今回の件、皆をけしかけたのは君だという話が出ているんだけど、君自身はどう思ってるのかな?」
「どうって」
「優一君をいじめたのは君か、という話よ」
その話はしたくない。
「そう・・・ですよ、俺がやりました」
タンが絡んで声が掠れてしまう。
咳払いでは解決できそうにないので、うがいをしたかった。
「他の皆まで巻き込んでいいのかしら」
「はい?」
「今のままだと、1組の皆もただではすまなくなるかもしれない。全ては君次第だけど」
「どういうことです」
二日間、反芻と後悔しかしていなかった頭では、事態が把握できない。
「昇君、どうかな、罪滅ぼしをしたいとは思わない? 今回のことはマスコミにも取り上げられるだろうし、皆、どうなるのかしら」
「何を・・・」
「はっきり言わせてもらうわね。君はともかく、他の子まで赦されないべきなのか、私には疑問ね」
「1文の皆は、赦されるというんですか?」
「完全に、というわけではないけど、社会の批判を軽減してあげることは可能なんじゃないかしら。それには君の英断が必要だけれど」
ああ、そうか。
学校はクラス規模のいじめから、個人のいじめにまで、事実を落ち着かせたいのだ。
「俺が皆にいじめを強要したと、そういうことにすればいいんですね」
強要か、70パーセントくらいの正解だ。
「間違っても誤解しないでね。事実を捏造しろ、と言ってるわけではないの。君は素直に事実を認めればいいだけ。君は罪を犯した。でも、法律では君に厳罰は与えられない。そんな君にも、償う機会はあるべきでしょ。これはきみにとってもチャンスなのよ。私の言ってること・・・きっと君なら分かるよね」
1文の皆の顔がフィードバックする。
笑ってる、泣いている、怒っている、怯えている。
優はどの顔を見たいだろうか。
遺書読まれた愛情と憎しみ。
あいつの心はどちらに傾いていたのだろう。
「そう・・・ですか。教頭先生、そろそろ兄貴が帰ってきますから、あとはあさって話しましょう」
「ええ、そうしましょう、長々と失礼しました。それでは、あさっての10時半に伺わせてもらいます」
「兄貴にはなんて」
「そうね、お兄さんは反対していたようだけど・・・伝えないわけにもいかないでしょ」
「わかりました」
「今日から数えて五日後に記者会見を開く手はずになっているの。だから、あなたが話したことがそこで、校長先生の口から学校が把握した事実として語られることになるでしょう」
「はい」
「それとね、明日は私が伺えるかはわからない。状況がいろいろ複雑になっていてね。ごめんなさいね。誰が来ても君は・・・わかってるかしら?」
急に歯切れが悪くなっている。
「はい」
電話が済むと、洗面所でうがいを済まし、部屋に戻り再びベッドに腰掛けた。
黄ばんだ天井に優の顔を描く。
何より、自戒の意味をこめて、笑顔を作った。
頬肉は感情に逆らうことを拒む。
それでも、精一杯の笑顔を作る。
固くなった頬に、知らずのうちに涙がつたっていた。
まだ心が残っていたんだと思うと、本当におかしくなってきた。
皆の破滅か救済か、最後の瞬間に優がどちらを望み、今どちらを望んでいるのかを知る術はない。
俺の想像に委ねられるというのなら、優にはクラスを愛する奴でいてほしいし、そう信じている。
1文の皆が人殺しのレッテルを張られる事までを、あいつが期待したとは思えない。
いじめは最後にして欲しいと綴ったのは、1文に未来を見たからだ。
未来を摘むことを意図していたなら、ひたすら罵詈雑言を書き連ねればよかったのだから。
遺書を読まれた時点で、皆、心に痛みを負った。
これ以上の罰は俺だけが負えばいいんじゃないのか。
そもそも、元凶がこの俺であることは間違いない。
亮太ですら、俺よりも罪深いということはないだろう。
皆が未来を生きて償いきれない分は、俺が引き受ける。
俺が良心の呵責から死ねば、あとは大人たちがどうにかしてくれる。
斎藤昇が全ての罪の所在は自分にあると認め、優のみならず、1文の生徒に謝罪の言葉を残し飛んだならば、社会の批判だけでなく、呵責までも軽減できるだろう。
あいつは俺たち1文を陥れた事を死ぬほど悔やんでいた、そうだ、本人も認めているじゃないか、俺たちは被害者だ。
そんな風に皆なら偽れる。
もちろん、本心では別だろうが、だからこそ、優の望んだ「こういうのはこれで最後」も約束される。
―ミーナのこともある。
1文に所属するほとんどの生徒が黒だというのに、彼女だけ白だと言うのはあまりに都合がいいだろう。
追い込まれた誰かが、巻き添えにする可能性もある。
優も俺も、彼女を傷つけることを望んでいないのは確かだ。
だから、安いだろうが、俺の未来と皆が背負う不幸で、お前なら赦せるよな?
二日後、教頭から聞いた時間より5分ほど早くインターホンが鳴った。
「昇、俺がでるから」
兄貴は先日、急ぎで掃除した客室の席を立った。
使う機会を予想していなかったために、去年の年末に行った大掃除の時以来、触れていないこの部屋は、もう半年以上も埃を被り続けていた。
見えるところは昨日のうちに、兄貴が片したようだが、応急処置だ。
椅子のとっての裏側を指でなぞると、埃がこびりついてきた。
「うん、頼むよ」
兄貴は俺の肩を掴む。
「いいか、打ち合わせどおりにな。教頭先生とは俺が話すから」
兄貴からは何も知らないと言い続けろ、と言われた。
俺を守るつもりらしい。
「まったく、なんで教師がこの家に来て、お前に話を訊かなきゃならないんだ。勝手に電話とって、お前は何を考えてんだ?」
俺がうつむくと、兄貴は首をかしげて玄関に向かった。
インターホンはしつこくなる。
立て付けの悪いドアの開放音がしてから、来客はなかなか顔をみせない。
玄関で立ち話をしているのだろうか、言葉を認識できないほどの声量のやり取りが漏れ聞こえた。
激しく言い争っているようにも聞こえたが、耳をすますと、兄貴が一方的に何か言っているようだった。
ばらばらな足音が廊下に響き、客室のドアが開けられた。
ドアを閉める癖のない兄貴も、客人がいれば話は別だった。
兄貴に手招かれて、先に入室してきたのは予想外に小柄な男だった。
以前よりもさらに痩せたようだ。
眼の下の隈はいっそう濃くなっている。
「校長先生、お久しぶりです」
俺は席から立つと、校長に頭を下げた。
「やあ、昇君、学校へは来てないようだけど、体は大丈夫なのかい?」
校長が座るのを待って、俺と兄貴は席に着いた。
兄貴が我先に座ろうとしたので、制した。
「はい、校長先生は顔色が優れないようですね。俺のせいですね・・・本当にすいません」
教頭はこれを言いたかったのだろう。
この人の登場は俺のプランにどう影響を与える?
俺の向かい側の椅子に腰掛けながら、校長は首をふった。
「昇君、本当は教頭先生が来る予定だったんだが・・・どうしてもといって、私に代わってもらったんだ」
以前とは違う何かが校長を取り巻いていて、しかし、その正体を掴ませない。
「わざわざ校長先生が出向いてくるなんて、いよいよ昇にプレッシャーをかける気ですね」
兄貴は普段より少し丁寧に、でも、とげとげしい言い方で校長に喰ってかかった。
校長は反論もせず俺を見つめてきた。
眼は座っていた。
「昨日の話は校長もご存知なんですか」
「知ってはいるつもりだが、どうだかね」
わけありげな微笑はかつての校長を彷彿とさせた。
本質はここにあるのだろう。
校長は失礼と断り、前もって用意しておいた麦茶の入ったグラスに手を伸ばした。
形式として、俺達兄弟の分も用意してあったが、多分どちらも手をつけないだろうなと思った。
「昇、なんだ昨日・・・」
兄貴の話を遮り続けた。
「昨日の話に依存はないです。なにもかもそちらの思い通り、というわけにはいかないかもしれませんが、終着点は同じはずです」
終着点こそが違うのか、あるいは俺のとる行動すら計算にいれているのか、俺が知る必要のないことには違いない。
「兄貴の説得は俺が引き受けます」
校長は視線を落とし、うなだれた。
「話が見えてこない・・・が、なにやら芳しくない。少し、話を訊かなくてはならないかもね」
面倒だ。
この様子では電話の内容は伝わってない。
校長は何度もグラスを手にとっては、少量の水を喉に入れた。
喉は渇けども、1杯の麦茶を飲み干さないように気をつけているといったように見受けられたが、こちらも2杯目を用意する気はないので、丁度よかった。
「おい、昇、なに言ってんだよ」
「兄貴、詳しいことは後で話すから、今は黙っててくれ」
「昇君、それにお兄さん、さっきから誤解があるようですが、私は真相を確かめにきたんです。事実を隠蔽するためではありません」
今の一言で、玄関での会話がなんとなく想像できた。
校長はいやに、真摯な姿勢で臨んでくる。
かつてから、学校内では主権争いが見え隠れしていた。
人当たりのいい教頭は胃の底に野心の沼を溜めている。
関心の向かない噂でしかなかったが。
もし、教頭が優の事件を踏み台にしようというのなら、それは死者への冒涜にあたる。
それを叱る権利は俺にはないのかもしれないが、やはり納得はできない。
しかし、優の意思を継ぎ、ミーナを、皆を解放するために、彼女の提案に乗るしかない俺としては、なによりも校長の思惑を知り、対処する必要がある。
「二人で話を進めるなよ! 蚊帳の外ってわけにはいかないぞ。俺はこいつの兄貴ですよ。保護者だ」
会話に入れない。
それだけで兄貴には十分なストレスだ。
トラウマとなった疎外感は兄貴を壊す。
「知ってんだぞ。あんたらは昇一人に責任を押し付けるつもりだろう!」
状況を理解してないくせに、的を射ているのが厄介だ。
「兄貴は何も知らないだろ」
兄貴は軽蔑するような、あるいは、すがっているのかもしれない、とにかく幼少の瞳で俺をにらみつけると、立ち上がり、リビングのドア口まで大股で向かい、乱暴にドアを開閉した。
音から判断して、兄貴が階段を駆け上がったと同時に、すいません、と頭を下げた。
「いや・・・いいんだよ。たった二人の兄弟だ、無理もない」
生唾を飲む音がこっちにまで聞こえてきた。
怯えてはいただろうが、校長は意外に冷静だった。
「それに、お兄さんのおっしゃることもあながち間違ってないのかもしれない。そういった不穏な動きは私も察知しているんだよ」
「そう・・・ですか」
「すまないね、汚い大人の欲に振り回されて、君はひどく困惑しているだろう。話を訊かせてくれるかい? まずは昨日の電話の内容を」
なんということだ、この人は正義感に駆られている。
教頭の謀略を見逃すはずがない。
なぜ、いつもちゃちゃをいれるのだ。
「昇君?」
「ああ、昨日の・・・話ですよね・・・ええと、そうですね、たしか・・・」
俺は冗長に喋りながら、必死に答えを探していた。
そして、たどり着いた。
この人に真実を告げてはならない。
「そうだ、気を落とさないようにとのことでした」
校長は最初は驚いたように眼を見開くと、次に顔を伏せた。
膝の上で握られていた両手は震えていた。
「やはり、私を赦してはくれないんだね」
「赦すって、別に恨んだ覚えはないですよ」
「あの時、私が君から逃げなければ、事態は違っていたかもしれない。私は君の闇を薄められたかもしれない」
「闇を薄める・・・なんか、詩的な表現ですね」
麦茶の下に敷かれた紙パックが、グラスから結露した水に濡れている。三枚ともだ。
「すまないとしか、言えない・・・たとえ、君が私を頼らなくても、私は自分のなすべきことをする。罪滅ぼしがしたいんだ」
それは俺の仕事だ。あんたのじゃない。
「エゴイストの罪滅ぼし。それは罪滅ぼしか? それとも、自己満足か? なんか難しいですね」
「君が自分を犠牲にすることで皆を救おうというのなら、それは間違っている。彼らは生涯、罪から逃れることはできなくなる。誰も救われないんだよ。あれは学校の体裁を保とうと躍起になっているだけだ」
俺が犠牲になったところで誰も救われない・・・全否定だが、そのことだって、考えなかったわけじゃない。
だが、彼らが罪を認め社会の制裁を受けたところで、彼らのうちの何人が耐えられるだろうか。
よりにもよって、大学受験を控えた時期に、だ。
人を死に至らしめた彼らも、決して強くはない。
強い人間なら、優を傷つけたという事実を受け入れ、もっと早くに自分の罪を認めることができただろう。
優はいじめられることもなく、俺はどこか遠い所へ消え、亮太は黙ったままだっただろう。
それにどうだろう、彼らは一度はいじめという事実を記憶の底に封印している。
あの時とはいじめられた対象の価値も、迎えた結末も違うが。
彼らは弱いが、何かを背負って生きることには慣れているのだ。
これは確率の問題だ。
俺は彼らを解放する確率が最も高い策をとる。
「罪を認めろ、さすれば赦される。どっかの宗教にそんな教えがありましたね。神様なら罪自体を憎んでくれるところですけど、相手は社会ですからね」
嘘に喉が渇いたので、飲まないだろうと思っていた麦茶に手を伸ばした。
「私は断じて君がしようとしていることを認めないよ。たとえそれが君の言うように、私のエゴだとしてもだ。私はもう逃げない。校長の職を投げ打ってでも、君から・・・自分から逃げない、だから、君の本当の言葉を聞かせてくれ」
ちぐはぐな会話の中でも校長は信念をぶつけ続けた。
俺は驚いていた。
人なんてそう変われるものじゃないと思っていたのに、この人は変わろうとしている。
自分の殻を破ろうとしている。
見過ごせばいい現実を顔そむけず、直視しようとしている。
この人は校長の職を投げ打ってでも、と口にした。
嘘かもしれないし、仮に本当だとしても、その動機は利己的なものかもわからない。
もしかしたら、教頭に校長の職を奪われるのを阻止するために、俺を利用して、悪あがきをしているのかもしれない。
そうでないとは言い切れるほど俺はこの人を知らない。
今度は可能性の問題だ。
校長も俺の憧れてきた精神を追いかけようと、それも俺と違い他力本願でなく、自らの手でそれを掴み取ろうとしている可能性があるのなら、俺にはとてもそれを無視することはできない。
しかし、その可能性に真っ向から向き合った上でも、俺のすべきことは依然変わらない。
しょせん、業の深い俺には校長の変化の芽を摘み取ることしかできないのだ。
そう思う権利もないのだろうが、それでも少し、悔しい。
「いいですよ、わかりました、時がきたら全て話します」
「時、とは?」
「そんなに深い意味はありませんよ。ただ、こちらにも事情があるんです。ほら、兄貴のこととか、2日間くれればけっこうですから」
「君は何を考えているんだ?」
罪は清算されなければならない。
「それも二日後には話します。環境が整わないことには何を話すことも出来ないんですよ。ただし、勘違いしないで下さいね。約束できるのは、話すことまでです、校長先生の考えに従うかどうかは別です」
俺の本当の答えも、校長の頭の中には最悪の展開として想定されているだろうから、あたかも、二日後のことを真剣に考えているかのように話した。
「ああ、そうだね。その時までに私も君を説得できるよう準備を進めるよ。それこそ、皆を救える環境を整えないと、君は納得しないだろうからね」
グラスを見ると、お互いに麦茶を飲みほしていた。この人の変化を助長することはできなくても、解放することぐらいはできるのだ。
「先生、兄貴も限界来てると思うんで、そろそろ」
「ああ、おいとまするとしよう」
校長が立つと、俺も後に続いた。
先導するように、半歩前を歩く俺の背中には、信念とでもいうのだろうか、強い意志をぶつけられているような気がした。
玄関までの間会話もなく、重い空気のまま校長は玄関の扉に手をかけた。
「約束だ、2日間は待つよ。だがね、それ以上は・・・あまり長くは待てない。君に言ってなかったが」
「今週末の記者会ですね」
校長は再び顔を伏せた。
地面をじっと睨み付けているようだった。
「それじゃあ、二日後にまた来るよ。そうだ、伺う時間は今日と同じでいいかい?」
「いや・・・可能なら、午後にしてほしいです。兄貴にも同席してもらいたいんです。兄貴はその日は6時には帰ってきますから、それ以降で」
勘付かれてはならないと、工作を徹底しておく。
「午後か、それならば・・・」
更にお互いの事情を考慮し話を詰めていった結果、次に会うのは2日後の7時からになった。
「では、これで」
俺は頭を下げた。
二回目の別れの挨拶に、少しバツの悪そうにして、校長は笑顔を残し、扉を閉めた。
寂しい作り笑顔は相変わらずだった。
俺という人間も単純なものだ。
校長のことをあんなに嫌っていたのに、今は名残惜しくすらある。
共通点は人と人を結びつけるものらしい。
その日の午後、たまに朝食のおにぎりを買うコンビニに出向くと、豊富な種類の菓子パンが陳列された棚から、砂糖のまぶされていないアンパンを手に取った。
レジに持っていくと、不定期に店にいてレジ打ちをしている店長が、お客さんがおにぎり以外を買っていく姿を見るのはこれで二度目だね、と言ってきた。
本当は甘いものは苦手なんですけどね、と返すと、何がおかしいのか顔をしわくちゃにして笑っていた。