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三章

 先日過ぎ去った台風13号が空から白を持ち去った。

近くに透明度の高い海や湖があったら、境界線が見えなくなってしまいそうな真っ青な空。

でも、あって湘南の海だ。

境目はきっちり見えるだろう。

地球が丸いことだってわかるはずだ。

学校が始まってから、30日近く経った。

生徒は皆そわそわと落ち着き無く授業をうけている。

期待に胸を膨らませているからだ。

文化祭がやってきた。

俺達の学校は勉学にも力を入れているが、同様に行事もおおがかりだ。

受験を見据える生徒や教師にとっては、ひと時の休息となる。

俺達は朝礼が始まるまでに時間があると、いつもべランダでまったりと過ごす。

幅の狭いベランダにドアに近い方から俊樹、佐藤、俺、優、甲斐の順で一列に並ぶ。

窓にもたれかかってはいけない。

二月前に背中を預けて、その重みで窓ガラスを割った奴がいる。

そいつは怪我こそなかったものの、地面に打ちつけて腰を痛めていた上、弁償させられていた。

窓ガラスのやろうは破格だ、と割った本人は涙ながらに語っていた。

俺は手すりと逆の方向に体重をかけ三角形を作る。

俊樹は地べたにあぐらをかいている。

佐藤は便所座りだ。

甲斐が二日前に壊れたチャックをいじっている。

優はそれを見て爆笑している。

優の体勢は俺と同じだ。

「うーん、すがすがしい。」

優は思いっきり背筋を反りながら大きく息を吐いた。

秋だからまだ色はつかない。

「何がだよ、なんにもすがすがしくねーよ。アホか」

甲斐は急に空気をぶち壊しにかかった。

いつものことながら、俊樹も佐藤も、そして、俺も呆気にとられる。

優はちょっとした苦笑いを入れた。

「おーい甲斐、追いてくなよ」

この状況での流れに乗った突っ込み。さすがだな。

甲斐は少し照れながら言う。

「あっ、またやっちゃった、もしかして、これドン引き?」

頭をぽりぽりかいている。

さすがに様子がおかしい。

時機を見ていたように佐藤は立ちあがると、教室に繋がるガラス扉を開けて、中を覗き込みこちらを振り返った。

「ねーそろそろ中に入ろうよ。先生来たっぽいし」

声は変わらず弱よわしいが、最近、佐藤の発言率が高くなった。

どうやら、優の作戦は成功したようだ。

俺は優に目配せしたが、とぼけているのか空を黙々と見続けている。

「喰えない男だ」

「喰われてたまるか」

他の皆はこのやりとりを不思議そうに見つめる。

俺と優しかわからない、そんなことで、少しいい気になった自分が気持ち悪い。

しかし、佐藤は意外にがんばるな。

佐藤の行く末が楽しみでしょうがない。

良くないとはわかっているのに、好奇心が止まらない。

一方俊樹といえば、ここのところは会話の中で一言二言突っ込みを入れていくのに、今朝から黙りっぱなしだ。

別に機嫌が悪いわけではなさそうだし。

「一歩下がって、二歩進む」

いつか俺があまりきばるなよ、という意味で言った言葉をはきちがえて理解したのか、それとも今は自重の時と感じたのか、依然キャラ変への道のりは険しそうだ。

今朝の朝礼は形だけのものだった。

五分もしないうちに終わり、各自所属している団体が作業しているクラスへと向かった。

校舎を慌ただしく走る生徒の様子。

作業において交わされる生徒、教師問わずの議論の声。

文化祭らしさが学園を疾走する。

不燃性なやつらを除いて皆、文化祭に熱くなる。

俺だってそうだ。

俺達五人は同じ団体に所属した。

団体名はカナリヤ。

やることはやっぱり熱いバンドだ。

俺の担当はギター、本来ならボーカルをやりたいところだが、優の声と人気には敵わない。

優は童顔で、すらりとした鼻、浅い二重が特徴だ。

それでいて目力は物凄い。

声は少し高く中性的だ。

柔らかく耳の奥にすっと入ってくる。

容姿も力量もボーカルとしては申し分ない。

優は一人抜けているのだ。

残りは俺を含めて、邪魔にならないように喰らいつくのに必死。

これぐらいの差がある。

俺たち五人は競うように走りながら、音楽室へと向かった。

カナリヤは、演奏の練習をするのに音楽室を借りている。

全ての椅子と机をどけるのに五人で一時間かかった。

音楽室には、実際にどれだけの効力があるかは知らないが、いかにも防音効果のありそうな厚い鉄板の扉がついている。

また、この学校の最上階に位置するので人気がなく、集中してバンドの練習をするにはいい環境だ。

今日俺達が練習するのはBUMP OF CHIKINの天体観測。

文化祭の定番だ。

カナリヤの演目はのうちの3分の1はBUMP OF CHIKINの曲を採用した。

理由は明快。

カナリヤ全員がBUMPのファンなのだ。

俺たちがBUMPについて最も評価する点は、無駄に揶揄しないストレートな歌詞だ。

綾波レイのファンだから、アルエ。

黒猫にドラマを見たからK。

大切な人との記憶を描いた天体観測。

彼らは直球で勝負するからこそ素敵なんだ。

もし、自分の家にギターとコンポさへあれば、俺は延々とBUMPのアルバムを流し、原曲に少しでも近づこうと練習に明け暮れるだろう。

しかし、現実はこうだ。

ギターは生粋のギターリストであるクラスメイトの東から、何個もあるうちの一つを借りて弾いている。

東はギターを愛しているから、借りることすら内心いい気はしないだろうに、家に持ち帰りたいなんて提案するだけ無駄。

だから、こうした音楽室での練習が俺の全てだ。

自分のギターの弦が揺れている間、俺は瞼を閉じて視覚を捨てる。

代わりに聴覚を研ぎ澄ます。

ピットで弦を叩く。

弦が定められた範囲で激しく揺れる。

弦の振動がピットを飛び越え、腕を乗り越え、耳を駆け、鼓膜をわしづかむ。

小脳、大脳、脳下垂体前葉。

とにかく脳みそのどこかの部分が麻痺する。

感覚が鈍くなる。

音が俺を支配する。

他には干渉のない世界。

しがらみから解放される。

ちょうどサビにさしかかったところで曲が止まった。

俊樹が担当するドラムの低音だけが余韻となり取り残された。

甲斐はギターを首から下ろし、顔を火照らせている。

「ストップ、ストップ。いくらなんでもミスりすぎじゃない? やる気あるの?」

三秒くらいしてようやく気付いた、俺に対して向けられた言葉だった。

俺はどこでミスを犯したのか、それさえもわからない。

「・・・悪い、次は気をつけるよ」

甲斐の言葉はとげを持ちすぎている。

「まず、俺の質問に答えようぜ。昇さ、いつも一人だけ放課後の練習残らないし、理由も言わないよね・・・やる気あんのかって訊いてんだよ」

甲斐は俺に丸い背中を見せながら言った。

「そろそろムカつくわ、お前が存在する限り、俺らの努力報われないから」

お前は正しいよ。でも、俺にだって事情がある。

「まあまあ、仕方ないじゃん、昇もがんばってるし、大目に見てやれよ」

慌てて、優が甲斐の説得に入った。大目に見てやれ? 俺が全部悪いのか? 優の言葉に納得がいかない。

いつもならここで俺が泣き寝入りする形で事は終わるのだが、今回は我慢がきかなかった。

俺から甲斐に迫って行った。

「何がいけなかったか分かんないけど、言い方ってもんがあるだろ」

甲斐は俺のほうへ向き直る。

「逆切れ・・・ね。ずいぶんだな」

俺との距離を詰める。

剃りすぎた眉毛をVにする。

「まず、置かれてる状況を理解しなよ。とりあえずは・・・頭下げようか」

頭を押さえつけられた。

優が声を張り上げている。

俊樹と佐藤が甲斐をなだめている。

そして、俺は頭を下に向けたまま震えている。

景色がスローになって流れていく。

俺は甲斐の手を上に向かって払った。

そして、甲斐の喉仏を押しつぶすように握った。

握力を振り絞る。

甲斐が声にならない声をあげる。

俺の手首を強く握ったまま後ずさる。

掴まれた手首がいたかったので、俺は甲斐の首を抑えたまま大外狩りかけた。

優の声が遠くで聞こえる。

いつかと同じだ。

甲斐の体はうねりながら中に浮いた。

首を持っている手の力を下に向かわせた。

重力と俺の力が重なる。

甲斐は頭から床に落ちた。

鈍い音が室内に反響する。

すかさず、頭を抱え込みながらうずくまる甲斐にまたがった。

マウントをとった。

目標は顔面。

絶対有利。

腕を振り上げ、拳を丸める。

これで準備完了。

後は怒りに任せるだけだ。

しかし、拳を振り下ろすところで静止した。

理性が歯止めをかけた。

こいつを殴っても・・・・・・いいのか? きっと媚びるような顔で優を探したが、見つからない。

すぐに甲斐の反撃が始まる、こいつの性格上そのはずだった。

しかし、甲斐は含み笑いを浮かべていた。

ぶつけたショックで頭がおかしくなったのか。

違った。奴は勝ち誇っていた。

甲斐は左手で後頭部を押さえたまま、残りの腕で下から俺の胸倉を掴み、顔を近づけてきた。

眉毛はすっかり元通りになっている。

「大声で言ってやろうか? 知ってんだぜ、お前の家の事情。あの日、お前の親のこと聞いてから俺、調べたんだよ。なあ、淡海昇、いい苗字だな、いつかのキムタクと同じじゃないか」

だははっ、とわざとらしく笑う。

「ママは大丈夫?」

一瞬、頭の中が白くなったが、幸いにも思考する力はすぐに戻ってきた。

そうか、校長に呼び出されたあの日、甲斐は俺の跡をつけたのだ。

そして、俺と校長の会話を盗み聞きし、俺の家庭事情に興味を持つと、何らかの方法で情報を手に入れた。

甲斐の性格を知っていながら浅はかだった。

こいつは最強の脅威となった。

甲斐は困惑する俺を見て満足そうにしている。

「わかったら、どけよ、それとも何、大声で言って欲しいの?」

俺は言われるがまま、そこから立ち上がろうとした。

しかし、思い出した。

俺の今の状況は絶対有利。

こいつを潰すことができる位置にいる。

それにここでこいつを逃がせば、一生弱みを握られる。

今しかない。

身に降りかかる脅威など消してしまえばいい。

俺は再度拳を振り上げた。

「なんだよ。おい・・・まさか、本気かよ」

甲斐は怯えている。

優が俺の体を甲斐から引き離そうとするので、俺はそれを振りほどいた。

甲斐の顔を守ろうとする手を、床に押し付け、思い切り足で踏んづけた。

ミシッという音がした。

もう一方の手も同じようにした。

今度はポキッと鳴った。

「ああー手がいてー」

叫び声だ。

「ふ、ふざけんなよ」

涙声だ。

「言ってやるよ、言ってやるよ!こいつの母親は」

甲斐の言葉より先に俺の拳が振り落とされた。

醜い鼻をめがけて。

ベチョ、と何かが潰れるような音がした。実際に潰れていた。

血しぶきがあがる。

返り血が目に入り、視界が悪くなる。

俺はもう一度拳を振り落とした。

硬いものがあたる感触からして口だろう。

振り上げては振り下ろす。

この作業をなんども繰り返した。

やがて、硬い感触はとれてなくなった。

目に入った血が流れた頃、白いものが粉々に砕けた状態で、甲斐の顔の辺りに散らばっていた。

甲斐の顔は高い部分が陥没したようで、平面だった。

俺は立ち上がった。

優が立ちすくみ、俊樹が腰をぬかし、佐藤が泣きじゃくっている。

とどめの意味で全体重をかけてひじをお見舞いしてやろうとかがんだところで、優が俺に飛びついてきた。

続いて俊樹と佐藤が俺に被さる様に飛び込んできた。

そして、すぐに教師達がやってきた。

仕留め切れなかったが、やれるだけのことはやったのだから、十分だ。

震えているのは興奮からだ。

俺は何も間違っちゃことはしていないし、大切なものは何も壊していない。

押さえつけられた体に、そう言い聞かせた。



 甲斐の両親や教師達からは、演奏のミスを指摘されたことに腹を立てて俺が甲斐を殴ったと決めつけられた。

半分は正解だ。

もう、半分の事実は俺だけが知っていればいいこと。

その後、甲斐は町田市立病院に運ばれ、全治三週間と診断されたらしい。

俺は学年担任の鴨志田から1週間の停学を言い渡された。

警察沙汰になる寸前のところだったらしい。

俺と甲斐は不在のままだったが、文化祭は例年通り行われた。

カナリヤは活動しなかったようで、優は文化祭を欠席したらしい。

これらの情報のうちのほとんどが佐藤から聞いたものだ。

折を見ては佐藤の家に電話をし、そこから学校の情報を仕入れた。

俺としては優の口から聞きたかったが、連絡をとる方法がない。

甲斐を半殺しにしてから二日目の今日、俺は甲斐の両親に謝罪に行くことになっている。

危なかった。

もしも、この事件が警察沙汰になっていれば、俺の家の事情は外に知れ渡っていただろう。

周りで動きがないところを見ると、甲斐は余計なことを口走っていないようだが、楽観視もしていられない。

口も手も潰したが、それでも、周りに伝える方法が無いことも無いだろう。

問題は甲斐の執念すら打ち砕くことができたかどうかなのだ。

「お前、保護者の方はどうするんだ。面談の時なんかもいつも忙しくてこれないようだが、担任と保護者の同伴が、謝罪の基本だぞ」

尾崎は校長から何も聞かされていないようだった。

謝罪に行く前にその手順を確かめておきたいと言われ、俺は尾崎と今朝早く会うことになった。

尾崎を家に入れるわけにはいかないので、近くにある貝殻公園で待ち合わせた。

家はちょっと・・・。

そう口を濁すだけで尾崎は簡単に折れた。

尾崎は生徒に人気のある教師だ。

なにせ生徒の機嫌をとるのが上手い。

よく言えば常に味方でいてくれる。

公園に入ってすぐに尾崎を見つけた。

剥がれ木のベンチに座っていた。

この公園はいつ来ても懐かしい。

「おお斉藤、ここだここ」

尾崎が手を振る。黒いスーツで身を包み、太い斜線の入ったネクタイをしている。

斉藤と呼ばれるのは好きじゃない。

友達にも出来る限り昇と呼ばしている。

しかし、生徒を下の名前で呼ぶ教師は少ない。

俺は木片を払ったり剥き取ったりしたが、それでも座ったときに、太ももに細かいとげがいくつも刺ささった。

尾崎も椅子のとげを嫌がっている。

まずは月並みに。

「ごぶさたです先生」

「斉藤・・・調子はどうだ?」

同情的な眼差しだ。

「変わりないですよ。今日はわざわざすいません」

「いや、いいんだよ。ところで親御さんの方はどうだった?」

尾崎は少し遠慮がちに聞いてきた。

家が母子家庭だからだろう。

「俺一人じゃ駄目ですか?」

今更親の話題になって焦る必要は無い。

「・・・親は忙しいんだそうです」

俺は理由あり気に言った。

尾崎ならこれで折れる。尾崎は深い息をついた。

「そっか、それじゃあ、仕方ないな、」

この人は物分りがいい、扱いやすくて素敵だ。

無言を使う。

小さなとげが尻をつつくのが気になるようで、尾崎は座る位置を微調整する。

調整が落ち着いたところで、尾崎は俺の肩に手を乗せた。

「仕方ない、俺と二人で行くか。じゃあ、基本的な礼儀についてだが・・・」

その後、長々と謝り方の作法を教わった。

その間、俺はほとんど尾崎の言葉を聞き流していた。

反抗していたわけじゃない。

俺達の座っているベンチからよく見える場所にある滑り台での出来事が気になっていた。

小さな、それでもなかなか傾斜のきつい滑り台で、二人の女の子が遊んでいる。

階段の角度は緩やかで、頂上の手すりは俺の背よりある。

過去になにかあったのか、と懸念してしまうほどの安全対策。

先に、少し背丈の高い方が助走をつけて勢いよく滑り降りた。

スピードに乗りすぎたようで、勢いあまり潰れた蛙のような格好で砂のクッションに顔からつんのめった。

よくわからないキャラクターの刺繍が施されている黄色のシャツが印象的だ。

出遅れた小さい方の少女はおどおどしている。

黄色の少女の身を案じてのことだろう。

こちらは無地の水色を着ている。

心配をよそに、黄色の少女は何事もなかったようにむくりと立ち上がった。

水色の少女はほっと胸をなでおろしている。

だが、次は自分が降りる番だと思い出しようで、滑り台の手すりを横から掴んで離さない。

相当怖いのだろう、身をかがめてやまない。

一向に滑る気配の無い黄色の子に対して、下にいる黄色の少女が、恐らく催促する意味でまだ小さい手を力いっぱい上の子に向けてさし出している。

その無垢な仕草は求愛しているようにさえ見える。

さきの自分の不完全な着地を見せておきながら無茶な要求だ。

それでも、先の下の子の行動で勇気をもらった水色の少女は、意を決した様子で手すりから手を離し、平面と傾斜の境目に震えながら立った。

次の瞬間、その小さい体と未完成な心では過酷かもしれない傾斜を滑り降りた。

少女達の手は触れ合い、やがて重なり合う。

小柄な少女に勢いを止める力はなく、二人して砂に転がった。

起き上がると、砂埃を落とすような動作をした後に、黄色の子は嬉しそうにはしゃぎながら、水色の子の手を引いたまま円を描いて回った。

水色の子を軸に、黄色の子は大きく回る。

二人だからこそ、こんなに大きな円が描けるのだろう。

黄色の肩まで伸びた髪の毛がつむじの上まで浮き上がる。

風に乗る桜のようだと思った。

でも、儚なさはない。

しばらく回り、それに飽きた彼女達は、滑り台の下にありクッションの役割を担っている四角の枠に囲われた砂浜で遊びだした。

元気なもので、一度もはしゃぎ声が途絶えない。

親友なんだな。

お互いにとって、お互いが一番大切。

そんな眺め。

少女達は砂を材料の全てに、水を柔軟剤とニスの役割に、爪を筆のかわりに器用に使う。

そうして未知なる建造物や用途不明の団子などを組み立てる。

幼子達の芸術か。

どうやら話は終わったようで、気のない返事しかしない俺を叱り付けることもしなく、尾崎がベンチを立った。

裾を持ち上げ、文字盤に大きな鷹の模様が施された腕時計を眺めている。

俺は尾崎の後を追う。

向かう先は尾崎の車だろう。

公園の出口にさしかかったところで少し気になったので、首だけ回して砂浜の方を向いた。駄々をこねる子供の声と説得する母親の声が交差する。

少女達両方の母親が迎えにきたようだ。

彼女たちはなかなか離れようとしなかったが、母親達の声が怒号に変わるとすぐに従順になった。

しょげた顔で別々の方向へ歩いていく。

なんども振り向きながら「また、明日ね」と舌足らずな言葉で別れを惜しんでいた。

すぐ近で、小さなクラクションが鳴っている。

俺が車に乗り込む頃には、公園に少女達の姿はなかった。

感動的な別れを告げた彼女達は、そのくせ、また明日ここで何事もなかったかのように遊んでいるのだろう。

それがいい。

いつまでもお互いを一番に思いやって欲しい。

そうすれば、陰など落ちないのだから。

俺は尾崎の車に乗せられて、甲斐の入院している町田市立病院へと向かった。

距離事態はそうでもないが、町田街道は必ずといっていいほど混むので時間はかかるだろう。タバコの匂いがきつい車内で流れいく景色を眺めていると、ふと、甲斐の顔を思い出した。

ぐちゃぐちゃになった鼻と砕けた白い歯。

今更自分のした行動の衝撃を手に余している。

拳に出来たかさぶたはまだとれない。

謝罪することについて抵抗は無い。

人を殴ったのだ、人が怒るのも当たり前のこと。

悪かった。ごめんなさい。

心に無くても演技すればいい。

簡単なことだ。

次に思い出したのは優の顔。

俺はあのとき優を払いのけてしまった。

悪いことをした。

それに俺が停学になって心配しているに違いない。

今度あったら謝らないと。

当然本心から。

結局、病院に着くまでに1時間近くかかった。

その間暇だったので、窓ガラスに発生していた結露に爪で落書きをしてみた。

描き始めてから五分もしないうちに、笑顔のアンパンマンが完成した。

その隣に控えるジャムおじさんは替えの顔を携えている。

授業中に描き上げたアンパンマンは数知れない。

おかげで、今は目隠しした状態でも完璧に書き上げる自信がある。

アンパンマンの顔に詰まっているのは、愛、勇気、希望。

あんこに象徴されるのがそれらの感情ならば、自分の顔を差し出すという行為は自己犠牲の精神を象徴するのだろう。

愛されるから誰かのための勇気が生まれ、それは希望の光を灯す。

全てつながっているのだ。

逆もしかりで。

どちらかといえば俺はバイキンマンに近いのかな、とも思ったが、そもそもあのような素敵な世界の住人に自分を重ねること自体が冒涜にあたる気がして考えを改めた。

俺は下向きに崩れるアンパンマンを眺めながら、彼のテーマソングを鼻歌した。

サビの部分にさしかかると、尾崎が笑っているのがわかったが、どうってことなかった。



 甲斐の入院している病院は迷えるだけの大きさだった。

ただでかいというだけで威圧感がある。

なんか入りにくい、だから帰るー。

さっきの子達をまねて駄々をこねてみせようか。

尾崎はさぞ困るだろう。

車内で、尾崎は甲斐が転校する可能性があるといっていた。

両親の意向らしく、本人の意思はまだ確認できていないとのこと。

適当にうつむながらその話を聞いていた時、俺は予想以上の達成感に拳をぐっと丸めた。

広々とした院内をなんとも言えない心地で歩いた。

清潔感のただよった、だから心霊的な恐怖を感じさせる先の捉えられない廊下。

青の蛍光灯がおきまりのホラー映画を連想させる。

俺達は待合室で甲斐の親と会うことになった。

尾崎が少しでいいから甲斐の顔を見たいと言ったらしいが、「教え子の罪は教師の罪です」と言われ、かたくなに断られたらしい。

それを俺に言うのはどうかと思うけど。

病院を謝罪の場として設けたのは甲斐の両親だ。

それでいて顔を合わさせないというのは、俺に対する断罪のつもりだろう。

「202」

どういうわけか病室の番号は尾崎が知っていた。

待合室は甲斐の病室のすぐむかいにあった。

座るための椅子、置くための机、話すための空間、なんとも簡素な所だ。

俺は片方しか肘掛のない硬くて安っぽい椅子に座り、尾崎と二人で甲斐の両親が来るのをただじっと待っていた。

尾崎に座ることを勧めたが、このままで大丈夫だよ、と断られた。

「心なしか緊張するな」

うそぶく尾崎の顔からは不安の色がはっきりと伺える。

そのつもりがなくても迷惑をかけたのは事実なのだ。

俺はもう少し、悪びれるべきなのもしれない。

「すいません先生、俺のせいで」

気休めにもならないだろうが、言っておいた。

「いや、いいんだ。お前だけが悪いわけじゃない」

この人が今の言葉を甲斐の親にぶつけたりしないか不安になった。

静寂が終わる。

先の見えない廊下から二人の人影と、まばらな足音が聞こえた。

甲斐の両親らしき人たちが見えた。

母親の方は歩き方の姿勢がいい。

背は高く顔も整っている。

モデルのような人だ。

甲斐の目や口はこのひと譲りだろう。

対照的に父親の方は背が低く、顔立ちも幼い。

みるからに人が良さそうだ。

甲斐の鼻にそっくりだ。

拳がうずく。

尾崎が最初に口をあけた。

「ご無沙汰しております」

母親は尾崎の挨拶に軽く会釈をして、すぐに俺のほうへ向き直った。

値踏みするように見てくる。

エリートママは俺にいくらの価値があると思ったのだろうか。

自分の子を殴った人間など高くて10円くらいにしか思わないだろう。

銭の単位かもしれない。

「こんにちは、君が斎藤君だよね」

一言一言がしっかりと発音されている。

滑舌の良い人だ。

「はい、自分が斎藤昇です・・・・あの今回のことはほんとにすいません。甲斐君の具合はどうですか?」

棒読みにならない程度に感情移入した。

母親は俺が甲斐と口にした瞬間、顔をしかめた。

父親が唇を震わせる。

尾崎が狼狽している。

沈黙がやってきた。

「あの立ち話もなんですし、おかけになりませんか」

果敢にも沈黙を破ったのは尾崎だった。

「・・・そうね、あなた座りましょ」

甲斐の父親は無言でうなずき、俺の向かい側の椅子に座った。

母親は俺をにらみつけた後、父親の隣の椅子に腰を下ろした。

尾崎も俺に目配せした後、席に着いた。

何を伝えたかったのかは分からない。

「今回の不祥事が起きた理由をお尋ねしたいのですが」

甲斐の父親だった。

理由については昨日の晩考えておいたから楽勝だ。

「最初は口論だったんです。甲斐君が僕のギターのミスを指摘しました。でも、僕には指摘される覚えがなくて・・・だから、ついカッとなってしまい、甲斐君の胸倉を掴んで、そこから喧嘩になりました。でも、ここまでするつもりはなかったんです。歯止めがきかなくて。あの・・・本当にすいません」

 俺の学生生活はまだまだ続く。

後腐れないのが一番いい。

尾崎が続く。

「この度の騒動を防止できなかったことを、学校を代表して改めて謝罪致します」

その発言は俺のものよりかは感情がこもっていたが、甲斐の母親はその言葉を冷たい目で受け流した。

「あの子はすっかり怯えていますよ。昇君をね。私たちとしてはあの子の怪我が完治しようと、二度とこの子のいる学校に通わせるつもりはありません。なぜ、学校側がこの子を退学になさらないか、私達には理解しかねます」

「お母さん。学校としても厳粛な判断を下すべきか悩みましたが・・・この通り、昇君は大変反省しております。それに、生徒たちに話を聞く限り、甲斐君の日ごろの行動にも誉められない点がありまして・・・もちろんそれを差し引いても暴力は許されるものではありません。ですから、こうして彼には2週間の停学という罰を与えています」

息子にも汚点があった。

そう言われながら甲斐の母親が静聴するので面喰った。

「つくづく低俗な学校ですね。もう結構ですよ。私たち家族と町田市立学校とは何の関わりもないんですから。それに、あまりしつこくすると、この暴力少年の逆恨みでも買いかねませんから」

最初の値踏み以来、甲斐の母親は俺の方に目を向けない。

彼女から発せられる非難の言葉は、どこか遠くにいる別の人間に向けられているような気になる。

「甲斐君も転校を望んでいるんですか?」

尾崎の硬く組んだ両手は湿っているだろう。

父親が血相を変えた。

椅子から立って辺りをうろうろする。

視線はずっと甲斐のいる病室に据えられている。

「・・・あんたには関係ないだろ!」

普段は温厚に違いない男は、父親として声を荒げた。

甲斐は愛されている。

どうして、こいつは人の心を掴めるのだろうか。

なぜ、こんな性悪なクズが人に愛されなければならないのか。

なぜ、なのか。

その後も長いやり取りが続いた。

終わったのは1時間後。

甲斐の父親はあれから一度も座らなかった。

結局、両親の許しは乞えず、甲斐の転校という方針も変化なく、尾崎も俺も甲斐の顔を拝む機会は与えられなかった。

「甲斐君の一日も早い回復を祈っています」

最後のこの台詞は何度も噛みながらのぎこちないものになってしまった。

練習したのだが、思惑と真逆の言葉に口は上手く機能しなかった。

俺はできるだけ甲斐には長く病院にこもっていて欲しい。

俺の罪が問われないならば、このまま死んでくれてもいい。

一応、謝罪は済んだが、本当の目的は果たせなかった。

甲斐に確かめたかった。

彼が殴られたことを根に持ち、親に俺の母親のことを言ったりする可能性は・・・いや、大丈夫だ。

俺との接点を持ちたがらないのは、あいつらの方なのだ。

そう信じるしかない時はそう信じる。

今までそうやって生きてきたんだ。

平穏な時なんてなかった。

恐怖ならいつもすぐそこにいた。

それでも、俺はまだこうして呼吸している。

大丈夫。

大丈夫。

絶対に大丈夫だ。



 昨日をもって刑期を満了した。

二週間もの間学校にいけないことはつらかった。

家に籠るというのは地獄の夏休みを過ごすのと同義だったからだ。

二週間の歳月は思いのほか長く、学校や甲斐と仲のいいわずかばかりの友人達に対する罪悪感はとうに冷めていた。

今は至福の気分。

そんな、俺の前にそびえたつのは、古い赤レンガで積みあげられた間隔をあけて左右にそびえたつ校門。

左側の校門の中央には学校名が刻み込まれた長方形の鉄プレートが備え付けられている。

町田市立学校という文字が刻みこまれたプレートは、歴史を表すかのように劣化している。

今までは気にもとめなかった景色に目がいく。

久しぶりの学校はそのりりしい姿で、俺を拒むことはしなかった。

夏の間に塗装し直された校舎全ての階段が白く眩しい。

俺は自分の在籍しているクラス二年文系1組を、跳ねるように二段間隔で階段を超え目指す。教室はところどころ明るかった。

朝特有の薄暗さを持つ教室に、太い日差しが数本差し込んでいる。

少し寒くなってきたので、皆その日差しに自然と体を寄せる。

寒いならカーテンを全開にすればすむ話だ。

だが、皆知っている。

影のあいまに差し込むような光だからこそ暖かく心地いいのだ。

「おはよー昇」

俺が教室に入って最初に声をかけてきたのは佐藤だった。

軽い茶髪になっていたので、若干認識が遅れた。

「元気だった?」

「お、おう、なんか、心配かけて悪いね」

俺と佐藤の話し声で、教室中の皆が俺いっせいに俺を見る。

そして、やってきたのは慰めの声。

「大丈夫だった? 斎藤君」

「心配してたよー」

クラスメイトの女子が数人がかりで俺を囲む。

ミーナは・・・いた。

囲いをつくる女子たちの最後尾で、何ともつかない表情を寄せてくる。

心配してくれたのだろうか。

肩のところまであった黒髪は面影なく、ショートヘアーになっていた。

前髪は直線に揃っている。

顔の表情がはっきりして、どう考えても似合っている。

皆はミーナのM気満々の眼差しがたまらないというが、俺はそこよりもつんと尖った小鼻が好きだ。

目よりも鼻が大事、この判断基準は甲斐と行動を共にするようになってから形成された。

どうでもよすぎて、いたことに気付かなかった早苗が俺の肩をポンとたたいた。

久しぶりに見る薄緑のアイシャドウがなぜかイラッとする俺はひねくれ者だ。

「復帰おめでとう。ねえ斉藤君、みんな君の事を心配してたんだよ。だからさ、なんか皆に向けて言葉かけてあげてよ」

女子は俺を斉藤と呼ぶ、少しきつい。

早苗は空気を吸ってから「ねっ」と、付け加えた。

女子のリーダー格の彼女ははっきりと物事を口にするのだ。

「皆―きいたげてー」

スカーフをくるくるまきながら、早苗が注目を操作する。

「斉藤君が皆に言いたいことがあるらしいよ」

気恥ずかしかったが、ここで対応しないわけにもいかまい。

俺はその場でマイクをもったフリをして、俺を囲む群衆に手招きする。

もっと近寄れ、もっと集まれ。

半分やけになっていた。

いつもよりノリのいい皆の関心が集まったところで、声を張り上げた。

「俺です。斉藤です。忘れないでくれてありがとうー、でも、大丈夫、とくに問題ないよ。今後もクラスに尽くします。」

「えー、なにそのハイテンションぶり、停学明けなのにやるねー」

早苗は顔を斜めに傾け、背の差から俺を見上げてくる。

「早苗・・・お前は常に土足なのね」

「上履きでーす」

めんどいのでシカトに徹したら、ふてくされた早苗にすねをけられた。

常々思う。この学校で一番つらいのはやられキャラじゃない、やられキャラはいじられるぶんだけましだ。

本当に可哀想なのは、俺の復帰祝いの演説にも見向きもしないような、教室の隅の隅でぽつんと孤立しているやつらだ。

弱すぎて群れることすらままならないのだ。

あの校長と同じ人種だ。

俺はその後もクラスの皆と社交辞令のような挨拶を交わした。

昨日の夜、暇すぎて作った手書きの名詞を配ったりもした。

その間、他の人に悟られないように優の姿を捜したが、見つからなかった。

人の祝いの日に遅刻とは憎たらしい奴だ。

ほとぼりが冷めた頃、尾崎が自分の体よりだいぶ小さい教壇に立っていた。

「ほらほら、早く席につけ。朝礼を始めるぞ」

挨拶係の顔のよく似た女子二人が同時に恥らいながら言う。

「起立、きょうつけ」

そして、礼。

懐かしい響き。

いつもなら面倒に感じて座ったままなのだが、今日はしっかり背筋を伸ばして深ぶかと頭を下げてみる。

「おお、斎藤、久しぶりだな。どうだ、色々と懐かしく感じるんじゃないのか?」

尾崎を含め、軽い雰囲気を作ろうとする皆の気遣いが嬉しい。

「はい。本当にごぶさたですね。もはや、先生の薄い顔すら懐かしいですよ」

教室が笑う。

「いよっ、しょうゆ顔」と誰かが大きな声で言う。

生徒思いの尾崎は歴史あるいじられキャラだったりする。

「全く。相変わらずだな。まあいい、とにかく朝礼をはじめるぞ」

教師達のなかにもキャラクターはある。

生徒をいじる人、尾崎のようにいじられる人、そして、校長のように関わりを持てない人。

キャラ作り。

自分を偽って生きているようにも思えるが、それでも、笑って生きていくためには必要なものに違いない。

気を遣っているのか、それともやられたのが甲斐だからなのだろうか、甲斐の話は出てこなかった。

その日の昼になっても優の姿は見られなかった。

気になってしょうがなかったので、今日は休みなのか、と尾崎に尋ねた。

待っていた答えは来なかった。

日ごろの優等生ぶりからは考えられない事だが、尾崎によると連絡は来ていないらしい。

更に尾崎は言いにくそうに補足した。

優一はこの三日間ずっと無断欠席だ、と。

俺の再出発を邪魔したくなかったからなのだろうが、誰も優のことを知らせなかったのが頭にきた。

俺にとっては、自分のことよりもあいつのことによっぽど関心があるというのに。

それにしても、あの出来すぎ君が3日も続けて無断欠勤とは珍しい。



 六間目のホームルームの時間に、優は突然教室へ入ってきた。

様子がおかしい。

髪はくしゃくしゃで、ワックスどころか寝癖直しすら使っていないようだ。

それにどことなく陰が在る。

優が自分の席への途中、俊樹や加藤などに挨拶の声をかけられたが、返答しない。

優はその後も誰の挨拶にも反応を示さない。

感情表現は豊かなはずだ。

優は乱暴に椅子を引き、俺の斜め後ろの席に重そうな腰を置いた。

「うぃーす、久しぶりじゃんか、優」

おどけていったが、ここでも返答はない。

「小人さん、小人さん。シカトはよしてください」

感触的に無視とは違う。

聞こえていないようだ。

尾崎が心配そうにする。

「どうしたんだ、お前が無断で遅刻なんて珍しいな」

優がのそりと顔を上げた。

喋るな、とわかった瞬間わくわくした。

久しくきかなかった友の声だ。

「甲斐のお見舞いに行ってたんです」

変わらず透き通った声だった。

気まずさから教室は静まり返る。

優にしては気のきかない言葉だ。

まさか俺の存在にきづいてないのだろうか。

優が机を睨み付けるので、つむじと目があった。

俺は自分の頭を優の顔よりも更に下に落とした。

そこから視点をすくい上げることで、優の表情をはっきり窺い知ることが出来た。

そこにあったのは初めてみる親友の姿。

大きく腫れた瞼は、手のひらを太陽に透かしたときのような赤をしている。

眼球の毛細血管は浮き上がり、その管を血液がほとばしっている。

肩を左右上下に揺れしながら呼吸を荒くしている。

塩の強い雫が頬に枝分かれして線を描く。

泣いていた。

怒りとも悲しみともつかない表情で泣いていた。

席が近いこともあり、いつもならホームルームなどの取るに足らない授業は、優は俺とただひたすら喋っているのだが、今日は一度も俺に話しかけてこない。

何度か俺から声をかけようと試みたが、その度に優が見せる悲愴な表情が俺を消極的にさせた。



  六時間目が終わり、休み時間になると優はすぐに教室を出た。

今は友を追うことはしない。

心配させる側はする側の気持ちを、理解できないものだ。

退学どころか警察に引き渡された可能性もあったのだ。

俺があいつの立場でも同じようになるのかもしれない。

それほどまでに思っていてくれたのかと思うと、この状況は嬉しくもあった。

終礼が始まるころには優は教室に帰ってきた。

目の腫れはすっかりとれ、呼吸も整っている。

トイレに行っていたのだろう。

優は人に弱さを見せない。

俺はそれでいいと思う。

今日はできるだけ優との距離をあけることにしよう。

多分、優は俺に自分の泣きっ面などさらしたくないだろう。

世話がやけるよ。

でも、ありがとう。

放課後、優は一人で下校した。

別れの挨拶ぐらいしてくれてもいいだろうに。

ここまで辛辣な態度を取る友に多少の違和感を覚えたが、気にしちゃいけない。

優を信じず誰を信じるというのか。

一緒に帰らない、と俊樹と佐藤に声をかけられたが、気分も乗らず、手だけで断った。

一人で下校するのは久しぶりだった。

大丈夫、明日、優は笑っているだろう。

きっと、そうに違いない。

今日は貝殻公園経由で帰ることにした。

いつもとは全く違う帰り道。

町田は道が入り組んでいるから、帰り道の選択肢はたくさんある。

公園に彼女たちの姿はなかった。

幼稚園かもしれないし、別のところで遊んでいるのかもしれない。

あの日、遠い地に住む二組の親子連れがたまたまこの辺に用事があり、あの公園に立ち寄っただけかもしれない。

彼女たちが二度とこの公園で遊ばないことだって、普通にありえる話。

思い立ったからと言って突然来てみても、彼女たちを見つけられないのは当然のことなのだ。じゃあ、俺は何に動揺しているのか。

そうだ。彼女たちがいないという事実よりも、何かを確かめるようにここに来た自分の行為に戸惑っているのだ。

剥がれ木のベンチに張り付けられた紙がヒラヒラと揺れている。

入口付近からでは距離があり、その紙に書かれている文字は読めない。

歌を思い出す。

母さんが紡いだ歌。

得体のしれない恐怖など、この歌にかかれば一ころだった。

その先の帰路はヒーローソングを鼻歌しながら上機嫌な気分だった。



 BGMがセミからこおろぎに変わった。

最近は朝から冷え込む。

吐く息が白く濁るとまではいかないが、冷え性な俺の指先はこの冷えた空気よりも冷たい。

予鈴が鳴る。

俺は今日いつもより十分も早く学校についた。

いつもは朝礼開始五分前につくから、本鈴が鳴るまであとたっぷり十五分はある。

こんなに早く来たのは優に会いたいがためだ。

大丈夫とは分かっているが、念には念を、そう、それだけのこと。

俺は人の少ない教室の自分の席で、優が来るのを待つことにした。

「あれ、昇じゃん? 今日はやけに早いね」

期待を裏切る声の主は俊樹だった。

声に張りがある。

いったん沈んだと思えばここにきてまたしゃしゃりだすのか。

くそ、気がたっているのが自分でもわかる。

「今日は色々あってね」

会話する気にはなれないが、あからさまに無視するわけにもいかない。

「・・・優のこと待ってんでしょ? さっきからドアのほうばかり見てるし」

俊樹は短い髭が3本生えた顎でドアを指す。

当たっている。

でも、だからどうだと言うのか。

こいつは何を言いたいのだろう。

俊樹は急に神妙な面持ちになる。

俺はそっぽを向いたが、俊樹は構わず続ける。

「お前やばいよ・・・優切れてるって」

頭を首だけで支えるのが疲れて、俺は頬杖をついた。

面倒な奴。

楽なところがとりえだったのに。

切れてるって・・・何を言っているのか。

この場合その表現は適切じゃないだろ。

せめて「お前を心配して」とか「お前のことを気にして」とか、それらしき言葉を前につけろよ。

誤解するだろ。

「・・・そっか、優に謝んなくちゃな」

俺は話の終わりを俊樹に感じさせるよう、素っ気なく言った。

トイレに行こうと思い膝に力を入れた。

しかし、俊樹が俺の名前を強く呼ぶ。

話は終わりだよ、と言い聞かせなきゃ分からないのだろうか。

もう少し空気の読める奴だと思っていた。

「昇、話を聞いてくれ!」

 俊樹は俺の机を両手で叩く。

茶色の強い机は支えである鉄柱四本の高さがそれぞれ違うため、俊樹のそれで大きく揺れた。

「お前が考えてるほど簡単な問題じゃないぞ。甲斐を殴ったのはまずかったんだ。このままじゃ、優はお前のこと赦さないと思うよ」

俊樹の戯言など気にもならない。

興味がなかったために俺が知らないだけで、こいつにはもともと虚言癖があったのかもしれない。

ただ気に障るのは、今日はやけに俺のことを「お前」呼ばわりすること。

それに優のことは「あいつ」。

この前までは「昇」や「優」で精一杯だったくせにステップを飛ばしすぎだ。

これは優のまいた種だ。

あいつ自身に刈りとらせよう。

俺はここでも簡単にあしらうことにした。

自分の胸をシャツごと掴んで、俊樹の言葉を噛みしめた・・・ように言った。

「わかった。肝に銘じとくよ。だから、少し黙ってみようか」

ん、と眉毛を少し上げて、俊樹に了解を得ようとした。

構わずに俊樹は机に身を乗り出して続けた。

「真剣に聞けよ。優は甲斐をあんなにしたお前を赦さないって言ってたんだよ。意味・・・わかるだろ?」

停学開けじゃなきゃ殴りかかっている。

さすがに我慢ならなくて、俺は椅子から立った。

そこで俊樹の顔を見て、ただ、ただ唖然とした。

今までに見たことのない表情だった。

俊樹の目は血走り呼吸は荒い。

どう頑張っても、嘘をついているようには見えない。

優が心配しているのは甲斐で、甲斐に怪我をさせた俺を許さない。

嘘のような話。

膝の力を失い椅子に落ちた。

座面は硬く、尾てい骨を痛めた。

「いい加減にしてくれよ俊樹。そろそろ笑えないから」

初めて俊樹にすがっている。

俊樹は大きくかぶりを振り、それっきり何も言わず教室を後にした。

焦りが募る。

黒板のわずかな淵に置かれた時計の針は七時半を示している。

なのに、本鐘はまだならない。

いつからなのか、この時計の針が進んでいるのは。



 4時間目が終わっても優は来なかった。

早く真相を知りたい。

でも、いざ知るとなると恐い。

優に来てほしいのかそうでないのか、自分でもよくわからなくなっていた。

昼の半ば、俺は高等部校舎の一階にある、予約していた弁当を取りに来る連中で混雑した購買で、佐藤を見つけた。

佐藤は人ごみの間から手を伸ばし弁当を取ろうとしていた。

彼が精一杯伸ばしていた腕を掴み戻すと、露骨に嫌な顔をされた。

「ごめん。ちょっといい? 訊きたいことがあるんだ。人に聞かれたくないから、体育館裏に行こう」

俺はそう言うと佐藤の了承をえることなく、掴んだ腕を引っ張りながら無理やり購買から連れ出した。

購買にいた多くの生徒が訝しげに俺達のことを見ていたが、別に気にならなかった。

体育館裏は整備が行き届いていなく、長く鋭い草が生い茂っている。

その草に足が触れると痒くなったり、すり傷になったりする。

体育館裏をかたどる壁の上のほうについている換気用の窓からは、いたるゴミが不法投機されるため、空き缶やらスナック菓子の袋やらで汚れている。

とても長居出来るような所じゃなく、この場所に人が足を踏み入れることもほとんどない。

だから、俺はここを選んだ。

俺は佐藤の両肩を掴んで、軽い力で壁側に押し付けた。

朽ちた壁には、相合傘など様々な落書きがされていた。

佐藤の顔のすぐ左の壁に手をつきながら、優が今何処に居るか知ってるの? と、できるだけほがらかに砕けた面をして訊いた。

今は俊樹と喋りたくなかった。

俊樹も俺と距離を置く。

今はそれが素直にありがたかった。

佐藤が顔を伏せたので、俺は壁のはがれかけの部分を爪でひっかいて傷口を広げた後、五本の指でその部分をめくりはがした。

冷たく硬いコンクリートが赤裸々になる。

衣を剥がされたコンンクリートはどこか恥らしい。

俺の破壊行為を見た後、しばらくしてから佐藤が口を開けた。

「いや、わかんないな。優のことはよく知らないんだよね。でも昇は悪くないよ・・・うん・・・」

俺を気にかけてなのか、佐藤は口ごもる。嫌な反応だ。

更に柔らかい顔と柔らかい口調で言う。

「ホントは知ってんだろ? はっきり言ってくれよー。俺のことなら気にすんなよ」

ここからは凄みをきかせた。

「それとも、なに、優に口止めでもされてんの?」

恥らうコンクリートを固めた拳でこづく。しっかり硬い。

「ご、ごめん。俺は本当に・・・知らないよ」

しどろもどろだ。自己アピールもできないくせに、他人のための嘘だけはいっぱしにつきやがる。

性格がいいのだろう。

でも、今はそのことを褒めてやる余裕はない。

佐藤に聞いても時間の無駄なようなので、他の人間に訊くことにした。

「わかった、もういいよ。なんか、脅す感じになっちゃって悪かったね。この前から、色々迷惑かけちゃってごめんな。でも、優の事だから・・・うん、もう行くわ」

俺はそう言い残すと、道行く草を踏みつけながらその場を去った。

残酷な思いやりだった。

優の情報を聞き出すためなら、何をしてもいいというわけじゃないのだ。

皆、それぞれの事情を抱えているに決まっている。

第一、事を引き起こしたのは俺自身なんだ。

誰を責める権利もあるはずがない。

振り向き、踏みつけられた草から佐藤までが一直線につながっていたのを見て、自己嫌悪に陥った。

佐藤への謝罪の気持ちを心の端へ追いやり、自分の置かれた絶望的な状況の打開策を考えだした。

すると、すぐに自分には強力なあてがあることを思い出し、なんとか気を持ち直した。

奴を尋ねるしかない。

奴とはグループこそ違うが、過去に同じクラスなったこともあり、俺とは気が置けない仲だ。休み時間はいつも同じ人種の奴らとトイレでたむろしているララという男。

当然ながらララはあだな。

本名は神田陽太という。

無類のガンダム好きだ。

これは本人から聞いた彼の武勇伝。

中学に入って最初の授業中に設けられた自己紹介の時間、ララは誇らしげに言ったらしい「僕の好物はガンダム、好きなキャラはセイラです」と。

教室は完全に音をなくしたよ、とララは誇らしげ俺にその話を聞かせた。

セイラはもちろん、木馬、シャア、アムロ、ザク、他にも候補は色々挙がったようだが、呼びやすさからララに落ち着いたらしい。

ちなみに、もう一つの有力候補としてガイアというのがあったらしいが、濁音は言いにくいとの理由で却下されたらしい。

(ララはこちらのほうが気に入っていたみたいだけど)

トイレでは四人ぐらい男子がタイル版の壁にもたれかかりながら、楽しそうに談笑していた。全員がインドア派の風格を強烈に漂わせている。

その中で、一際強烈な個性を放つ肥満児がいた。

こいつがララだ。

「ララ、調子はどお?」

ララのふくよかな中腹をさすってやる。

ララは気持ち良さ気に体をくねる。

動作一つとっても、アザラシさながらの大迫力。

「おお、昇りー、お久だね」

「昇りー」

ララは俺をそう呼ぶ。

理由は不明。

いくら聞いても頑なに答えない。

確かに久しぶりだ。

昨日も会ってないので、二週間と一日ぶりだった。

「教えて欲しいことがあるんだ」

余計な会話をするつもりは無い。

「わかってる、香具師のことでしょ」

かぐしとは「やつ」を意味する。

2ちゃんねるというサイトから生まれた用語だとか。

そして、この場合の「やつ」は優を指す。

「・・・うん、そうだよ。なにか知ってるか?」

ララは自分の唇に指をあてかいながら言う。

「うん、ある程度はね」

ララは凄い奴だ。オタクで、ゲロの如く息が臭くて、デブで、2ちゃんねる用語を連発するのに人に好かれている。

優とは全く質の異なったカリスマ性を持つ。

ララはその人望から、巨大な情報網を保有している。

学年を超えてこの学校の生徒は情報を必要としたら臭い息に耐えこいつを頼る。

ララは俺のことが「おきに」らしい。

会えばいつもにこやかな挨拶を欠かさないし。

困ったことがあれば有無を言わず協力してくれる。

「昇りーのどこか影のあるところがゾクゾクします」

これをララの口から伝えられたとき、俺は違った意味でゾクゾクした。

「教えて欲しい」

単刀直入に言った。

ララは気のいいデブだが、話が長いという欠点もあるのでそうした。

ララは考え込むために下を向く。

それと一緒に中腹の肉がウェーブする。

「いいんだ。知ってるなら言ってくれ。ララ」

さもないと喰うぞ、とすぐ後に冗談を入れてみたが、その部分には力がなく、取ってつけたような形になってしまった。

ララは笑顔を崩さない。

「・・・いいぽー。香具師は甲斐の見舞いにいってるらしいよ」

貧血のように立ちくらむ。

「ありがとう、ララ」

俺は声を絞った。

ララは決まりの悪そうな顔しながら、うん、とだけ言った。

俺はカビた青の扉を力いっぱい押し開けた。

勢いあまったドアはトイレの反対側の壁にぶつかる。

そこにいたオタク達が驚いて、俺を目で追った。

気にせず小走りで教室に戻り、自分の席の下から鞄を拾い上げ学校を出た。

駅の真下にあり、日差しの届かない陰湿なバスターミナルの近くでタクシーを拾った。

運転手が何か喋っていたが、俺が答えないでいると、独り言として片付けていた。

手持ちは五千円。

英語と地理の参考書代だったが、背に腹は代えられない。

町田市立病院を目指すタクシーの走行が非常に遅く感じられた。



 病院に着いたのは十二時ごろだった。

タクシーはちょうど病院の真正面に止められた。

ここから病院の入り口までの、なかなか距離のある縦長の道を30秒足らずで走破した。

病院をめぐるねずみ色で塗りたくられた壁はその色にまだつやがある。

はがれることも黄ばむこともなく、無神経にそびえ立っている。

背の高い自動ドアの前に立つ。

ドアが俺を認識して開くまでの時間すらわずらわしい。

病院の中は白で統一されていた。

退院するらしき病人が名残惜しそうにしている。

それをいなす女性の看護士も白を纏っていた。

院内にはほとんど段差がなく、エレベーターも完備されている。

バリアフリーは万全だ。

俺は中に入るとすぐに受付向かい、そこで若い女の看護士に、甲斐と面会可能な時間帯を尋ねた。

女性は俺の制服に目を向けると、怪訝そうな面持ちをした。

「あのー失礼ですが、そこの用紙にお名前と電話番号を記入してもらえますか」

俺はすぐにその用紙を埋める。乱雑な字になった。

俺がそれを書いている間に、受付の女性は厚いガラスで仕切られたナースセンターに入っていった。

奥の方で俺をちらちら見ながら、熟年の看護士と声を潜めて話し合っている。

用紙を埋め終わる頃、看護婦も受付に戻ってきたので、記入済みの用紙を提出した。

「あの、今甲斐の面会に佐藤優一ってやつ来てますよね? 俺と同じ制服なんで、わかると思うんですけど」

「お名前は」

「は?」

「だから、改めて、お名前を聞かせて欲しいの」

若い女性は急にため語になった。

「斉藤昇です」

気持ちのいい質問の仕方でなかったので、自然と不機嫌な声になってしまった。

問題ね、と女性は小声で呟いた。

「斉藤君、あなたは甲斐君と面会できないわ」

「なんでですか?」

「当の本人が面会拒否したいと言っているからです。」

あからさまに事務的な調子で丁寧語に戻った。

冷静に考えればわかることだ。俺は抜けているところがある。

「わかりました。甲斐の友達は面会に来てましたか?」

看護士は受付の書類を整理しながら言った。

「お答えできません」

嫌な女だ。

ララの情報に間違いは無いだろう。

ここで待ちます、と告げると若い看護士は顔をしかめた。

俺は手前にある、目測で五人がけの長椅子に腰掛けた。

思ったよりやわらかい。ふかふか、という表現もできる。

病人の腰の負担を考えてのものだろう。

控室のものとは大違いだった。

付近にある自動ドアが開くたびに、冷たい風がさしてくる。

ここからなら人の出入りが見張れる。

両手をこすりあわせ、瞬間の温もりを持つ吐息を吹きかけながら待ち続けた。



  上を見上げ、特徴のない丸の時計を眺める。

短針が二回動いたころ受付に優を見つけた。

看護士と何か話している。

そこの長椅子に危険分子が座っているよ、とでも伝えているのだろうか。

今すぐ駆け寄りたかったが、ここで優に話しかければ、さすがに看護士達も黙ってはいないだろうから、視点を開放した。

優は話し終え、俺の前を通り過ぎ、冷えた外界に出た。

横目でこっちを見ていた気がする。

俺は看護士がこっちを見ていないのを確認してから、ドアへ急いだ。

これではっきりする。自信からか怯えからか、体が震える。

「優、待てよ!」

病院を出るとすぐに呼んだ。

わずらわしさを我慢できなかった。

優は俺の声に反応せず、無数に植えられた横木を尻目に、砂利の混じった地面を踏みつけながら歩き続ける。

重い足取りだ。俺は声を張り上げる。

「優、優、おい」

周りの人間は俺の進む道を空ける。

「なあ、聞こえてんだろ」

「優一!」

横木の先に開けた道が見えてきた。俺がタクシーから降りた場所だ。

「なんでだよ」

俺はとうとう優の肩を掴んだ。

流れが止まる。

優は首をゆっくりと俺のほうに向ける。

首筋があらわになる。

「離せよ。昇」

優が俺の手首を力なく握り、ホコリでも払うかのように放り捨てる。

顔も目も熱くなる。

脳天から突き抜ける震撼が直立を許さない。

「なんだよ、なんなんだよ。はっきり言えよ!」

優は今度は体ごとこちらへ向き直ると、俺の胸のあたりを両手で突き飛ばした。

なんとか手で衝撃を吸収したものの、俺はその場に尻餅をついた。

数多の砂利が手の皮と肉の間に入り込む。

「言ってやろうか? なあ昇、言ってやろうか?」

怒声の尾のほうには力が込められていた。

「甲斐は学校やめるんだよ。わかるよな? お前のせいだよ。俺はお前を赦さない」

喉仏が鳴る音が聞こえた。

「赦さない」

優から初めて聞いた言葉がピンとこない。

「甲斐はプライドが高いから昔のようには戻れない。あいつボロボロなんだぞ」

知っている、俺がそうしたのだ。

立とうとしたが、下半身が俺の命令を拒絶する。

腰が抜けてしまったようだ。

優は俺の様子など気にせず続ける。

「どうすんだよ。あいつお前の名前をだすだけで、怯えながら、泣きながら赦さないって・・・甲斐はお前を許さない、だから、俺もお前を赦せない」

上を見上げると、夕日の染みた秋空を時期をたがえた鳥が飛んでいる。

「赦さない」

甲斐の言葉だとよく理解できる。

ああ、そうか俺は優に赦されないのか。

「甲斐をあんなにしたお前とは話す気にならない。もう、俺に話しかけないでくれ、俺はお前と縁を切る」

わかりやすい説明だ。

優はいつも丁寧だ。

怒るときも、叱るときも、絶縁するときも。

俺は優の親友じゃなかった。

優の親友は甲斐だったのだ。

さしずめ、俺は友人Cといったところか。

奇妙なほど素直に状況を飲み込めた。

「・・・じゃあな」

優は遠くへ行く。

俺は崩れたままだが、優はこちらを振り向いたりしない。

空を仰ぐことで出来あがった視界にはもう、鳥は映らない。

あの時と同じだ。

優にとって俺が一番でないから、俺達は一緒にいられないんだ。

よりにもよって、なぜ、甲斐なんだ。

なぜ、父だったんだ。

なんで、俺じゃないんだ。

繰り返してたまるか・・・繰り返してたまるか。

手のひらにめりこんだ砂利を、周囲の皮ごとえぐりとった。

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