ひとりぽつねんとカウンターで
それにしても静かだ。とか言う以前に、音を立てるものが何もない。
眠っている黒猫が、たまにスピースピーと音を立てるぐらいなもので。
西馬は今、カウンターの中の粗末な木の丸椅子に座っている。とか言う以前に、西馬にあてがわれたものは、だいたい粗末なのだ。寝床は藁だし。住まいはあばら屋だし。
ずっと座っていると尻が痛くなるので、西馬はたまに立ち上がった。尻がしびれる感じがする。死んでしまった今となっても痔になったりするのだろうか。そりゃ地獄だ。「ぢ」なだけに「ぢごく」。
(そういや、でかいビルにでかい「ぢ」って看板が出てた気がするけど、あれどこだったっけな)
思い出したところで何にもならない。
お客が来ないので、カウンター内に用意された酒は減らないし、道具類もピッカピカのままだ。
シェーカーにブレンダ―にバースプーンにあれやこれや。獄卒たちがえっさほいさと運んできて、ざらざらと置いて行ったものだった。
獄卒たちの主な仕事は、地獄におちてきた人間たちを痛めつけることだ。だから、ここに運んできたもろもろの道具も、そんな人間たちに折檻するためのものだと思ったらしい。ひとつひとつ手にとって、
「これ、なんに使うんだ」
と、西馬にたずねてきた。好奇心旺盛か。およそ、彼らは地獄にあるものしか見たことがないので、とにかく珍しいのだ。
(めんどくさ……)
西馬がいっさい答えないと分かると、彼らは勝手にあれこれ想像して、わいわいがやがやと喋り出した。シェーカーの中を覗きこんだり、アイスピックをふりかざして喜んだりしている。
無邪気か。
死んだ魚のような目をした西馬は、それをただ眺めていた。彼がなんの反応も示さないのを見ると、獄卒たちは次第に静かになり、やがて黙って帰って行った。
(今さらこんな……)
シェーカーがゆがんだ鏡のように、西馬の顔を映し出している。西馬は目をそらした。
今のところ、お客は閻魔大王だけだった。こんにゃく焼酎しか飲まない。他のリキュールやらスピリッツやらその他のいろいろのアルコール類は、ただのお飾りとしての役割しか果たしていなかった。
(いやもうきっと忘れてる)
若い頃、頭の中に叩きこんだカクテルのレシピなんて。